どうも、子ども部屋おばさんです。

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「アイシングクッキー作ってみたんです、皆さんでどうぞ!」  会社の昼休憩中、若い女性社員がそう言ってクッキーの入った箱を取り出した。  にこにこと人好きのする笑顔の彼女の元に、男性社員から率先して群がった。 「ええー! 園崎さん凄いなぁ!」 「お店で売ってるやつみたいじゃん。料理上手いんだね」 「いえ、以外と簡単なんですよ。楽しくてつい作りすぎちゃって。食べるの手伝ってもらえると嬉しいです」 「そういえば、園崎さん一人暮らしなんだっけ?」 「若いのに偉いよねぇ。でもこんなに家庭的なら、すぐに相手が見つかるでしょ」 「そんなに褒めても何も出ませんよ〜。お弁当のおかずくらいしか」 「えっ分けてくれんの!?」 「弁当も手作りなんだ。ちゃんとしてるねー」  ちやほや。そんな文字が効果音として見えるようだ。  私は我関せずの姿勢で、黙って自分の弁当箱の蓋を開けた。  しかし抵抗虚しく、園崎さんは笑顔で私の元へやってきた。 「宮野先輩も、良かったらこれどうぞ!」  可愛らしい箱をずいっと目の前に差し出される。その箱を持った手に、きらきらごてごてのネイルが施されているのを見て、私は内心眉を顰めた。 「ありがとう。でもごめんね、私今甘い物控えてて」 「大丈夫です、これそんな甘くないですよ!」  普通に聞いたら断り文句だってわかるだろバカヤロウ。口の端が引きつりそうになるのを必死で堪える。  取り巻きの前で波風を立てるようなことを言いたくないが、はっきり言わないとわからないか。仕方ない。 「あー……ごめんね。私、手作りの食べ物って苦手で。園崎さんだけじゃなくて、皆断ってるの。申し訳ないけど」  そう言うと、園崎さんは目に見えて悲しそうな顔をした。俯いてしまった彼女に、すぐさま男性社員がフォローを入れる。 「宮野、お前せっかくの厚意にそれはないだろ。感じ悪いな」 「自分が料理下手だからって嫉妬してんのか? やだなーお(つぼね)って」  はぁ。それ以外に返答のしようがない。  女同士の問題になると、何故すぐ嫉妬に結び付けたがるのだろうか。嫉妬というのは同程度の立場で、自分が持っていないものを持っている他人に対して、本来なら自分も持っているべきだと思うから起こるものだろう。私と園崎さんでは立場も全然違うし、別段羨む要素も何もないから嫉妬しようがないのだが。まさか自分達にちやほやされるのが、他の女から見て羨ましい行為だとでも思っているのだろうか。めでたい頭だ。 「宮野って実家暮らしなんだっけ? その弁当も母親に作ってもらってるんじゃねーの。三十にもなって、みっともないな」 「これは自分で作ってますが」 「ああ、道理で冷凍食品ばっかだと思った。園崎さんに教わった方がいいんじゃない?」  凄いな、見ただけでどれが冷凍食品かわかるくらいに冷凍食品を愛用してるのか。いいと思うよ。最近の冷凍食品美味しいよね。まぁこの中に冷凍食品入ってないんだが。  適当にいちゃもんをつけたかっただけの取り巻きは、すぐに私に興味をなくして、園崎さんをちやほやするのに夢中になった。  それを白けた目で見ながら、私は昨日の残り物を詰めただけの弁当を無言で口に運ぶ。  中心で笑う園崎さんが、口元に手を当てる。綺麗にデコられた長いネイルが目に入った。  ――あれで全然気にならないんだもんなぁ。  別段、他人の身なりにどうこう言うつもりはない。この会社は服装自由だし、ネイルでも何でも好きにすればいい。ただ、あのネイルでよく人に手作りだと言って食品を渡せるな、とは思う。  他人の身なりに口出ししない。昨今強く主張されるようになったこの言い分には、概ね賛成だ。ただし、それは他人を巻き込まない場合に限る。  ネイルをしていても料理はする。この主張に関して、私は半信半疑である。何故なら、がっつりネイルをしていて、本当に日々きちんと自炊するような人間に、未だかつてお目にかかったことがない。  そもそも、爪の間の雑菌というのはなかなか取れない。飲食店に務めた経験のある者ならわかるだろうが、爪の間というのは専用のブラシで隙間まで洗って、その上で消毒してから食品に触る。上から手袋をするとしてもだ。ちょっとでも髪を払ったり、顔でも掻こうものなら、その度にまた爪の間まで洗浄する。  イメージが湧かなければ、爪の間に香り付きのオイルを垂らしてみるといい。朝に垂らして、一日の内に何度も手を洗うだろう。その香りは、きっと夕方になってもまだ香るはずだ。爪の間に入ったものは、そのくらい取れない。爪が長ければ長いほど、爪の間まで洗浄するのは更に難しくなる。  それにネイルというのは塗装であるから、当然はげる。ラメやストーンなどの装飾を付ければ、それは更に落ちやすい。それらが食品に混入する可能性がある。  ここで多いのが、手袋をする、という意見である。家庭での調理用として多く用いられる手袋は、ポリか薄手のゴム手袋が多い。これらは使い捨てを想定しているので強度が弱く、長い爪で使用すれば当然破れやすい。  手袋を何度替えているのか、という疑問も残る。例えば、生肉を切った包丁やまな板はすぐに消毒しなければならない。同じように、手袋で触ったのだとしたら、その手袋は次の食品に触れる前に替えなければならない。包丁やまな板と違って、使い捨ての手袋はしっかり消毒するわけにもいかない。消毒面以外にも、手についたら洗えば取れるようなものでも、手袋に絡んだり、染みてしまったものは、ちょっと洗ったくらいでは取れなかったりもする。その度に、手袋は惜しまずに替えているのだろうか。替えているのだとして、料理中に何度も手袋を外すなら、やはり爪の装飾が落ちて食品に混入する可能性もまた上がるのである。  私の抱くこれらの疑問が、何故はっきり解決していないのか。それは、ネイルをしていて料理をする、と主張する女性達によくよく話を聞くと、それほど手順の必要な調理をしないからである。あるいは頻度が極端に低い。もしくは衛生観念が死んでいる。  「どんなに簡単でも料理は料理」。これもネイルと同じで、よく聞かれるようになった主張だ。切るだけでも料理。火が通っていれば料理。盛りつければ料理。だから、一般に想像されるような調理をしていなくとも、本人にとっては料理なわけで。イコール「ネイルをしていても料理する」に結びつくわけだ。  どこからを料理と言うか、なんて線引きは誰にもできない。好きに主張すればいいと思う。ただ、ネイルと調理レベルの話には共通点がある。どちらも、誰かに()()()()()のだ。  自分がそれでいいと思うなら、好きにすればいい。自分が食べる物を他人に口出しされる謂れはない。  好きなネイルをして、何を食べていたっていい。冷凍食品だろうと総菜だろうと、いくらでも使っていていい。なのに何故、わざわざ「ネイルはしているけど自分は料理をする」と主張する必要があるのだろうか。どうして簡単なものを作って「これは料理なんだ」と他人に主張してくるのだろうか。  つまりこれらは、アピールなのである。多くは異性に対して、私は毎日あなたに手料理を振る舞える家庭的な人間ですよ、と言っているわけである。たまに同性へのマウント。  手袋に関わらず長い爪での細かな作業は困難だし、ネイルを傷つけないためには指先を使わないに限る。ネイルに拘っている時点で料理よりお洒落の優先度が高いのだが、「女は捨てない、お洒落で家庭的な私」アピールをしたいがために、ネイルと料理の両立を訴えてくるわけである。  アピールというのは、当然だが他者に対して行われる。ここで話が最初に戻ってくる。園崎さんの行動だ。  あれは一種の示威行為だ。家庭的な女子アピールをしたいがために、周囲を巻き込んでいる。特定の人だけに渡すとあからさますぎるし、裏を読まない善人からのサポートも狙っている。「園崎さんて料理上手なのよ」という口コミを広めてくれるのを期待しているのだ。本人が言って回ったら嫌味だが、他人の口から聞いた情報というのは信用するようにできている。差し入れで、女性の先輩にも可愛がってもらえると思っているのだ。  しかし、似たような女性を何人も見てきた私からすると、巻き込まれるのは勘弁なのである。昔は私も断るのが下手で、園崎さんと同じように個包装もせずに箱入りを直接差し出して、その場で食べろと圧をかけられた時に、やむを得ず食べたことがある。当たった。一週間ほどトイレと友達になった。同じものを食べさせられた人達が半数以上腹を下していた。笑うしかない。  以来、手作り品は絶対に断ると決めている。それでも、場の空気でどうしても断れないこともあるのだが。せめて個包装にしてくれたら、欲しい人にあげるとか、申し訳ないけどこっそり処分するとかできるのに。  つまりこの時点で、想像力というものが欠けている。ネイル云々以前に、真っ当な精神をしていれば、よほど仲が良く事前の了承が取れていない限り、素人の手作り品なんて怪しいものを他人に押しつけないのである。常識が欠けている人間の手製を、どうして疑いなく口にできると思うのか。本気で手作り品は配布禁止にしてほしい。  まぁ私に害がなければ好きにすればいい。男性社員達は喜んでいるようだし、私も彼女に恨まれたくはない。だから黙っている。  それ多分、既製品ですよと。  園崎さんは美味しそうな手作りのお弁当も持ってきている。だから一人暮らしなのにちゃんと自炊もしている家庭的な女子の立場を確立している。  しかし私は知っている。園崎さんのお宅には、毎週末母親がやってきて、家の掃除と料理の作り置きをしていることを。園崎さんのお弁当は、母親の作った料理を詰めていることを。女性だけでお弁当を食べていた時に、園崎さんがうっかり零したのだ。だから余計に、私に料理がきちんとできるアピールをしたいのかもしれない。  普段の食事は全く作らないが、お菓子だけは作る女性もいる。園崎さんがそのタイプである可能性もあるにはあるが、料理関係の会話をした時の感じからするに、おそらく彼女はお菓子も作れない。本当に手作りであったら怖いので念のため断ったが、先ほど目にした実物からしても、既製品の可能性は高いと見ている。  既製品だったら食べた男性社員達が仕事を休まないので安心だ。むしろ既製品でありますように。  黙々と弁当を食べていると、どうしても他人に絡みたい面倒な先輩が、今度は新入社員の男性に声をかけた。 「えっ! 斎藤、お前弁当白米だけか!?」 「あ、はい。一応、海苔は持ってきてて」 「いくら給料日前だからってそれはないだろ~! 見てみろ、同じ新入社員でも、武田は弁当買ってるぞ。作れとは言わんが、せめてちゃんとした飯くらい食えよ。そんなんじゃ頭回らないだろ。やりくりが下手なんじゃないか?」 「はは……」  空笑いした斎藤さんは、武田さんのコンビニ弁当をちらりと見て、溜息を吐いた。  可哀そうに。斎藤さんとは、何度か安いスーパーの情報交換や節約レシピで会話をしたことがある。  斎藤さんも武田さんも、地方から上京してきた一人暮らし組だ。しかし、彼らには大きな違いがある。  斎藤さんは、新入社員の安月給でなんとか暮らしている。対して武田さんは、なんと社会人だというのに、生活費を全額仕送りしてもらっている。給料は全て自分のお小遣いだ。これは斎藤さんの愚痴で知ったことで、他の人達は知らない。  最近は値上がりがひどくて、野菜はろくに買えないと話していた。果物などは高級品で、もう何ヶ月も口にしていないと。私も決して余裕があるわけではないが、見兼ねておかずを分けたこともある。勿論、斎藤さんの同意を取ってから。  武田さんは飲み会にも積極的に参加していて、先輩達に可愛がられている。対して斎藤さんは、給料日直後の月一くらいしか参加しない。それでも頑張っている方だ。参加費がきついのだ。けれど先輩達からは付き合いが悪いと思われている。  皆それぞれ事情はある。でも、わざわざそれを他人に説明したりなんかしない。  一人暮らしは家庭的。実家暮らしは家事をしない。  食事が豪華ならやりくり上手。質素なら浪費家。  そんな思い込み。何も知らないくせに。
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