胎動の章

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第四十一話 特級の矜恃  朝の講義を終えて一人、会議室で弁当を広げる。律が持たせてくれた物だ。青いランチバックに入った二段重ねのそれを開けると、一段目には白米の上に梅干しが乗っていた。いつだったか優斗が好きだと言った、果肉の柔らかいタイプの梅干しだ。そんな些細な事まで覚えていてくれた事に、心が暖かくなる。  二段目にはウインナーにピーマンの肉詰め、プチトマトとブロッコリーなどの野菜もしっかり入っていた。ボリュームもあり彩りも鮮やかで、工夫してくれた事が窺える。  しかも朝食とは品ぞろえが違う。手間だったろうにと、フリフリのエプロンをつけて弁当を詰めている律を想像すれば、自然と笑みが零れた。しっかりと手を合わせて感謝し、午後の訓練に向けて頬張る。  鬼の事は不確かな情報しか得られなかったが、仕事をする内に遭遇するかもしれない。その時に備えて鍛えなければならないのだ。  律の心に平穏を。  それが今の優斗にとって一番重要な事だった。  弁当を食べ終え時計を見ると十二時を回っている。もう道場に行かなければ。  共切を肩にかけ会議室を後にした。  道場につけば早速着替え、他の隊員達に混ざり柔軟体操で体をほぐす。ちらりと窺えば昨日より人が少ないように思えた。昨日絡んできた瀬下(せのした)という奴も見当たらない。律が予備の人員は出払っていると言っていたし、ここにいるのはまだ仕事が割り振られていない者達なのだろう。詳細は知らされていないが、優斗と同じ教習中の同期といったところか。その割には座学が一人だが。もしかしたら他の部屋で行われているのかもしれない。  時間になれば集合がかかった。優斗は思考を中断し昨日と同じように整列すると、後堂が全体を見回す。 「こんにちは諸君。今日も鍛錬に励もうではないか。死して屍拾うものなし。無駄に散るな。それは無辜(むこ)の民を危機に晒す事と同義と思え。剣を振るえ。妖魔を八つ裂きにしろ。その先にあるのは闇無き世界だ。お前達が戦う事にはちゃんと意味がある」  昨日も聞いた口上。だが皆、じっと耳を傾けていた。その様子に満足そうに頷き手を鳴らす。 「では、稽古を始める。と、いきたい所だが。ここで紹介しておこう。どうぞ、入ってきてください」  隊員達の頭上を飛び越え、出入口に声を投げると扉が開いて人影が現れた。  菖蒲(あやめ)茉莉花(まりか)。昨日とは違いジャージ姿だ。  そして何故か律までいる。  律は優斗を見つけると大きく腕を振った。 「優斗! 見学に来たよ!」  その隣には東もいた。それから数名の男達。  訪問者達は後堂の元まで来ると、一列に並び背筋を伸ばす。 「今日から菖蒲さん、茉莉花さんが訓練に参加する。昨日の対戦が余程効いたらしい」  そう言って優斗を見遣る。  菖蒲は一歩前に出ると深く頭を下げた。 「共咲菖蒲です。本日よりよろしくお願いします」  茉莉花もそれに続いた。昨日とはうってかわり殊勝な態度だ。  そして次に後堂は東を含めた男達を紹介する。 「彼らは技術部の技師達だ。装備を作るにあたり、稽古の様子を参考にしたいと見学の要請を受けた。宮前君は……まぁ、おまけだ。気にするな。技術部にはここでしかとアピールしなさい。今後の付き合いにも関わる。いわばお前達の命を握る人達だからな」  東が礼をすると他の男達も頭を下げる。その仕草はややぎこちない。 「では改めて。稽古を始める。それぞれ組みなさい」  菖蒲達は後堂の元を離れると、優斗に近付き向き合った。 「……小堺。昨日はすまなかった。だが俺も負ける訳にはいかない。必ず追いつくからな」  そう言って真っ直ぐに優斗を見つめる。それに優斗も真剣に応えた。 「ああ。僕だって譲る気は無い。それより一人足りないようだけど?」  その言葉に菖蒲の顔色が陰る。茉莉花も同様だ。 「蓮は……死んだ。いきなり三位に手を出して呆気なく。俺達は本当に血に頼っていただけだったんだ。ここから地道に這い上がっていくさ」  優斗もさすがに口を噤んだ。  菖蒲は軽く頭を下げると、茉莉花と共に隊員達の輪に加わっていく。  その後ろ姿を見送ると後堂がやってきた。 「小堺君、君は今日も私が相手しよう。君は実に面白い。まだまだ荒削りだが伸びるぞ」  そう言って豪快に笑い背中を叩く。力強い励ましに優斗も大きく返事をした。 「はい。よろしくお願いします!」  深く礼をすると律が声援を送る。 「優斗! ︎︎頑張って!」  あまりに場違いな明るい声に、周囲の目が集まり優斗は照れくさそうに手を振った。  緊張をほぐす様に大きく息を吐くと、改めて後堂に向き合い模擬刀を構える。教官自ら指導してもらえるのだ。これほど恵まれた経験はそうできないだろう。祖父も段持ちではあったが、後堂は更に実戦的だ。容赦なく拳や蹴りが飛んでくる。それは寸止めなど生易しい物では無い。気を抜けば目を潰される事さえ有り得た。  訓練は二十五分置きに五分の小休憩を挟みながら三時間行われる。三十分六セットだ。長時間集中力を維持するため、体力の分配を身に刻むために短い時間で息を整える。  昼食後すぐの訓練だ。中には激しい訓練についていけず、胃の中身をぶちまける者もいた。だが優斗は必死に耐える。律が作ってくれた物を吐くなんてできない。それに今はその律自身が見ているのだ。無様は晒したくない。頭に浮かぶのは、どんな時でも律の笑顔だった。  午後三時半。教官補佐から訓練終了の笛の音が鳴る。それと同時に皆が崩れ落ちた。立っているのは優斗だけ。それも半ば意地だった。  舐められてたまるか。負けてなるものか。自分は共切の使い手。律のパートナー。そんな自分が膝をつけば、それは律の立場をも崩す事になってしまう。そんなのは許せない。  優斗は肩で息をしながら後堂を睨みつける。闘志はまだ消えていなかった。三時間手合わせして一太刀も当たらなかった。繰り出した攻撃は全て弾かれ、反撃を喰らう。どうにかして一泡吹かせたいが、後堂は涼しい顔だ。睨みつける優斗を楽しげに見ている。 「良きかな。天晴れな闘志だ。さすがは共切の使い手と言ったところか。だが殺気にはまだ足りんな。もっとだ。もっと闘志を燃やせ。相手は卑しい魑魅魍魎(ちみもうりょう)。君の大切な物を守るため、君自身が生き残るために。私はいつまでもここで待っている」  訓練中の厳しい顔を柔和に緩め優斗の頭をガシガシと撫でる。それが悔しくて優斗の頬を涙が伝った。しかし、後堂はそれさえ嬉しい様に目尻を下げた。  一頻(ひとしき)り皆の呼吸が整うと集合がかかる。屍と化していた隊員達が重い身体を引きずりながら整列すると後堂が発言した。 「今日で教習が終わる者もいるな。ここでの訓練を胸に刻み戦場へ行け。そこがお前達の死に場所だ。派手に暴れてきなさい。一匹でも多く妖魔を滅する事。それがお前達に与えられた使命だ」  その言葉で皆が鼓舞され沸き立つ。それぞれに陰陽寮(ここ)へ来た理由があるのだろう。それも優斗には関係がない事だ。  ただ律と生きる。  それだけが優斗を突き動かす。  後堂は隊員達を見回すとにこりと笑った。
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