胎動の章

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第四十八話 ︎︎廃校の怪異  陽の照りつける校庭を横切り、校舎の玄関まで辿り着くと、後方支援員(サポーター)の一人が鍵を開けた。同行している後方支援員は二人。もう一人は校庭で連絡要員として残っている。陽を遮る物のない炎天下だ。現場とはまた違った過酷さだろう。  軋んだ音を立てて扉が開く。校舎内は薄暗く、埃の匂いがした。換気もされておらず、湿気がこもり蒸し暑い。  玄関を入ってすぐにあるのが事務室だ。中を覗いてみたが、机などの備品も撤収され、がらんとしていた。  一旦、玄関広間で輪を作る。時計を見ながら玲斗が口を開いた。 「0九00(まるきゅうまるまる)時、作戦開始。ここから校舎内を周り、体育館を終着地点とする。道中の妖蟲は殲滅(せんめつ)、優くんはひとまず後方から僕達の動きを観察してて。りっちゃんは優くんのサポート。この程度の仕事なら優くんが動く必要は無いと思うけど、訓練だからね。室内での戦闘は初めてだろうし、道場とは違って廊下や教室は狭いから、動きに制限がかかる。僕達の戦い方でそういう所をちゃんと見るように」  いつもとは打って代わり、真面目な表情で指示をする。さすがに仕事中は気が引き締まるのだろう。永都(ながと)に目配せをして、玲斗を先頭に廊下を進む。  その後に優斗と律、情報部と研究部の四人、最後尾を後方支援員の二人が警戒する。  玄関から少し進むと、職員室が見えてきた。ここまではまだ妖蟲は見当たらない。職員室を覗くと、日陰に数匹の妖蟲が息を潜めていた。  そう大きくはないが、人型に近い。細長い胴体に、太い手足。目ばかりが大きな歪んだ顔。背は曲がり、裂けた口から涎が垂れている。  玲斗は舌打ちした。妖蟲や妖魔は力が強くなるにつけ、人型に近付いていくのだ。学校は特に人の念が集まりやすい。  思春期の子供の妬みや僻みは、無邪気で悪質だ。たった一人を大勢でいじめ、最悪死に至らしめる。しかし、間接的に殺人を犯しても、子供だからという理由で守られるのだ。  そこに教員の念も混じってくる。熱意を持って教師になった者の現実に対する失意、教え導く立場にありながら生徒を追い詰める者、それを知りながら見て見ぬふりをする者。  大人の念は複雑だ。本音と建前。裏と表。  学校という場所は、ひとつの社会だ。教える者と教わる者。年齢も、境遇も様々な者達が集まった場所。  会社は成人だけで構成され、目標は社訓として統一されている。それとはまた違うコミュニティが出来上がっているのだ。  似て非なる状況は、大人と子供が共存している事で歪みを生じる。義務教育である小・中学校は特に歪みやすい。顔を合わせる面子が変わらないからだ。最悪、いじめが九年間続く事になってしまう。クラスが変わっても、しつこく絡む奴はいる。教師に相談しても、話が教師の間で共有されるから対応は変わらない。逃げたくても、逃げる事ができないのだ。  そして不登校になっても、念は学校に向けられる。恨めしい、悔しいと。  それは成長しても消える事は無い。ふとした瞬間に記憶は蘇り、また念を巻く。  いじめだけでは無い。自分より優れた者への憧憬、妬み。見下す者への歪んだ優越感。そんなものが(うずたか)く積もっていくのだ。  そして年月を経て、形を成す。今、目の前にいるのがその一端。  生まれた時は黒い(もや)の様に形を持たない。それが徐々に濃くなり、小さな塊を整形する。更に成長すると、虫の形を取り、少しずつ人型に近付いていく。まるで胎児の様に。  何故人型なのか。それは念の対象だからだ。恐れも、憧れも、そのほとんどが人に向けられる。幽霊やお化け、妖怪、UMAなど、それらも人型である事が多い。  そして、その中でも特に恐れられるのは、鬼と呼ばれる存在だ。それは日本だけにとどまらない。洋の東西を問わず、鬼は一般的な妖怪などとは区別されているのだ。  デーモンやオーガと混同されがちだが、吸血鬼などは顕著だろう。人と変わらぬ姿をした化け物。それらが鬼と呼ばれる。  別名ナイトウォーカー。  夜を渡り歩くモノ達だ。  今、目の前にいるこの小さな妖蟲も、成長していけばやがては実体を持ち、ナイトウォーカーとなるかもしれない。この学校が廃校となってから、まだ数年しか経っていないのに、既に人の形を取ろうとしている。  それだけ荒れた学校だったのか、もしくは霊力持ちがいたのか。  妖蟲達はこちらに気付くと、のそりと日陰から這い出てきた。陽を嫌うというだけで、動くには支障がない。  涎が垂れる口から、長い舌が伸びた。それは濁った糸を引きながら、触覚の様に(うね)る。  玲斗は腰から短刀を抜き、逆手に構えた。 「優くん、こういう奴らは成長が早い。見つけたら優先的に倒してね。まだ実体化はしていないけど、可能性は充分あるから」  父の声に優斗は頷き、刀に手を添える。出番はまだだろうが、油断はできない。律も優斗を庇う様に前に出た。  それを視界の端で確認すると、玲斗は笑う。 「うん。それでいい。ここは僕達でやるから、しっかり見てて。行くよ、順くん」  その声に永都(ながと)も妖刀を抜いた。それは分厚く、(なた)の様に無骨な刀だ。見るからに重量があり、斬るというよりも叩き潰す事を得意としていた。  筋肉ダルマの永都だからこそ使いこなせるピーキーな妖刀で、長い歴史でも所持していた者は少なく、永都が手に取るまで二十年眠っていた。  序列が高い物ほど使い手を選ぶが、永都の薫咒(くんじゅ)の様に使い勝手が悪く眠る妖刀もある。これは序列三十位以上の妖刀に多く、それ以下は量産品と言っていい。造り手が拘るあまり、一点重視で造ったためにこうなる妖刀がしばしばあるのだ。  薫咒はその筆頭。序列十五位で玲斗の下に付いている理由でもあった。  そして、永都自身も。  永都は見た目からも分かる通り、自衛隊出身だ。生真面目でストイックな性格は自衛隊に向いているが、潔癖で他者にも善を強いて同僚からは煙たがられた。特に寮で同室だった者からは苦情が絶えず、何度も入れ替わりを繰り返し、持て余した上官の命令で自衛隊を去ったのだ。  しかし、生来の戦士とも言える性質は一般社会に馴染めず、陰陽寮に流れ着いた。そこで玲斗と出会い、死に場所を見付けたのである。  適当を絵に書いた様な玲斗だが、永都にはそれが丁度良かった。ダラけている様で、仕事はきっちり(こな)す玲斗に、今までの上官とは違うものを見た永都は感銘を受け、死地を共にしている。  今も玲斗の左前方で身構えていた。玲斗の妖刀は短刀だ。どうしてもリーチが狭い。永都の仕事は、玲斗の道を作る事。死亡率は格段に高くなり、幾度も死に目に遭ってきた。  しかし、玲斗が敵を討ち取った時、よくやったと頭を撫でてくれる。それがとても心地よく、一生涯この人についていこうと誓った。  この仕事の先にも、それが待っている。  永都は刀を手に、一歩踏み出した。
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