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悪役令嬢は影と共に踊る
煌びやかな燭台が灯りを灯し、豪勢な食事がテーブルに並び、それを囲う色とりどりのドレスが軽やかに舞う。
その中心にいるのはシルバーブロンドの髪を優雅に結い上げ、幾層ものレースを重ねた真紅のドレスに身を包んだ令嬢シュレイア。
シュレイアは扇で口元を隠し、可憐に笑う。
今日はこの国の第一王子ハインスと公爵令嬢シュレイアとの婚礼発表の場だ。
幼い頃から婚約を結んでいた二人は、高等学舎を卒業した晴れの日であると共に、十六歳の成人を祝う今日この日に正式な婚礼を執り行なう日取りを発表する事になっていた。
人々は口々に祝いの言葉を発し、我先にとシュレイアを褒め称える。
しかし、その隣にあるべき姿は無い。
本来であればハインスがエスコートすべきシュレイアはただ一人会場に現れたのだ。
人々は訝しんだが堂々としたシュレイアの姿に皆うっとりと酔いしれ、ハインスの存在など無き者のように振る舞った。
そんな中、第一王子の訪れを告げる声が上がり、開かれた扉の先に現れたハインスは金髪碧眼で中肉中背、ヒールを履いたシュレイアの方が背が高いのではないだろうか。この国ではそう珍しくもない容姿で整ってはいるがこれと言って特徴のない顔をしている。
その腕の中には幼顔の少女を伴っていた。
ピンクブロンドの髪をハーフアップにまとめごちゃごちゃと髪飾りをさし、大きなピンクの瞳も濃い化粧で彩られ、更に胸を強調した品のないピンクのドレスと全身ピンクに染まったその少女は、ハインスの腕の中に小動物のように愛らしく収まり、大きな潤んだ瞳をシュレイアに向けている。
そしてハインスは声高に叫ぶ。
「シュレイア! 貴様との婚約を今ここに破棄する! 僕の妻にはこのファーナこそが相応しい! 身分を笠に着て他者を貶めるなど言語道断! 貴様など打ち首にしてくれるわ!」
そのあまりな言い分にざわざわと人波が揺れる。
しかしシュレイアがパチンと扇を閉じれば調教されたかのようにしんと静まり返った。
「ハインス殿下。これは一体どう言った事でしょう。貶めるとはなんのことですの?」
シュレイアの赤い唇から凛とした声が響く。
その威厳溢れる声色にたじろいだハインスだったが、ファーナが胸を押し当て縋り付くと気を取り直したように声を張り上げた。
「ふ、ふん! 貴様が行ってきた蛮行は全てわかっているんだ! 僕の寵愛を得んがためこのファーナを蔑んでいたな!? 証拠は揃っているんだ! 観念するんだな!」
虚勢を張っているのが手に取るようにわかる失態を、当の本人であるハインスは気づいていない。ファーナの体を支える手も震えているのがまざまざと見て取れた。
「証拠とはなんですの? 私はその方とは何の面識もございませんわよ。お名前さえ知りませんもの。どなたかと間違われていらっしゃるのでは?」
毅然として言い放つシュレイアに臆したのか、ハインスは身を固くする。
それにイラついたのかファーナが食ってかかった。
「シュレイア様酷いです! いくらわたしがハインス様に好かれているからって意地悪するなんて……。わたしの教科書を破いたり、水をかけたり、最後には階段から突き落とされました! そんなことする人が王妃様になるなんてあってはいけないと思います!」
キャンキャンと喚くファーナの声にわずかばかり柳眉を諫めるシュレイア。
「何故私がそのようなくだらない事をしなくてはならないのですか。そこまで仰るならその証拠とやらを見せてくださいません事?」
その言葉を待っていたかのようにハインスは威勢を取り戻した。
「言ったな! 証拠ならたんまりあるんだ! お前が破いた教科書や嫌がらせをしている現場を見ている者もいる! さぁ、証人よ前に出ろ!」
ハインスが胸を張って主張し、聴衆に宣言するも、辺りはしんと静まり誰一人として証言する者はいなかった。
勝ちを確信していたハインスは予想外の展開に目を白黒させ慌てふためいている。
「何故だ……、何故誰も出ぬのだ! ベイネ嬢! そなたはシュレイアがファーナに水をかけた現場を見たと言ったではないか!」
ハインスは手近にいた伯爵令嬢に詰め寄るが、当の令嬢は困惑した表情で恐る恐る提言する。
「恐れ入りますが殿下、私が見たのはファーナ嬢が水浸しになって泣き喚いている所ですわ。そこにシュレイア様のお姿はありませんでした。尋問を受けた際にもそう証言したはずです」
思いがけない意見にハインスの顔は焦りを帯びる。
キョロキョロと周りを見渡し、少しでも自分に有利な状況を作ろうと躍起になって証人を探す。
「キンディオ! お前はファーナが突き落とされた現場を見たと言ったな!?」
目をつけられ辟易した子爵令息はため息混じりに証言する。
「私が見たのはファーナ嬢が階段の踊り場で倒れている所だけです。そもそもシュレイア様が学舎にいらっしゃる訳無いではないですか」
シュレイアが学舎にいない?
ファーナが受けたいじめは全て学舎で行われている。
そこにシュレイアがいないとなると大前提から覆されることになるではないか。
「何故シュレイアが学舎にいない!? そんなバカな事がある訳ないだろう! シュレイアも今日高等学舎を卒業してこのお披露目のパーティーが催されているのだぞ!?」
ハインスもファーナも誰の目からもわかるほど周囲から孤立し、ただ二人抱き合いながら半ば泣き出しそうな情けない顔を晒し醜態を演じている。
そんな二人を眺めながらシュレイアはゆっくりと口を開いた。
「私はこの十年間、王宮で政を担うための勉学に勤しんでおりましたの。ですから初等学舎も高等学舎も通ってはおりませんわ。籍はありましたから試験だけ受けて単位を取り卒業認定を受けましたの。これはここにいらっしゃる全ての方々の知る所。何故殿下がご存知ないのか甚だ疑問ですわ」
そう、シュレイアは六歳から王宮に通い、帝王学を学んできた。
この場にいる友人達とはお茶会を介して友情を育み交流してきたのだ。
今、この場にハインス達の味方はいない。
それでも見苦しく足掻くハインスは滑稽でしかなかった。
「何故お前が王宮で勉学など……! それは僕がすべき事ではないのか!? 僕は高等学舎に入れられ狭い寮生活を送っていたというのに! 僕こそが政を担う王であろう!」
誰からも支持されず侮蔑に晒せれているというのにまだハインスは事の重大さをわかっていなかった。それに唯一の賛同の声が上がる。言わずもがなファーナの金切り声だ。
「そうよ! ハインス様こそが国王になるべきお方なのにどうしてあんたがそんな勉強する必要があるの!? 王妃なんて着飾ってお茶会してればいいだけでしょ! ハインス様のご寵愛も得られない惨めな王妃なんて哀れなだけだわ! それに比べてわたしはハインス様に愛されているの。おとなしく引き下がりなさいよ!」
キンキンと広い会場に鳴り響く甲高い声に辟易しながらもシュレイアは道化師達に言葉を投げる。
「王妃? 何を仰っているのかしら。そもそも貴女はどなたですの? 先程も言いましたが私は学舎には通っておりませんでしたの。お茶会にもお呼びした事はございませんし……」
心底訳がわからないと言うように首を傾げ、不意に問いを投げる。
「アンシル、この者は何者です」
扇でファーナを差し誰とはなしに投げられた言葉に周囲がざわつく。
それに答えたのは姿なき声だった。
『ジェート男爵家が末子、ファーナにございます』
低いがよく通るバリトンボイスはシュレイアの影から聞こえてきた。
その異様さに周囲の者達がさざめきながらシュレイアからわずかばかりの距離を取る。
「ジェート男爵? 確か浪費家で有名な御人ですわね。いつも資金繰に奔走しているとか。その末子が第一王子と懇意の仲とは……。では貴女が例の。殿下、愛人を持つのは勝手ですが人は選んだ方がよろしくってよ」
シュレイア本人はそれが当然であるが如く影の声を受け入れ、ハインスを睥睨した。
ハインスはそんなシュレイアを気味悪げに見つめ、耳障りな声で喚き立てる。
「なんだ今のは!? それに愛人だと!? ファーナは正室として王妃に立つ! 貴様は用無しだ! おい! こいつを牢に叩き入れろ!」
ハインスは壁際に並んで立つ兵士に命じるが、誰一人として従う者はいなかった。
「何をしている! 早くこいつを……!」
いきりたったハインスは兵士を殴り、従わせようと躍起になっているが、鎧で武装した兵士に歯が立つはずもなく地団駄を踏んでいる。
「殿下。さっきから王妃だの正室だの、本当に何を仰っていらっしゃるの? この国に王妃はおりませんわよ」
呆れを含んだシュレイアの口振りに周りも口々に賛同する。
その衆目の中、ハインスとファーナだけが置いていかれたように間抜け面を晒していた。
しばらく惚けていたハインスだったがやがてワナワナと震え激昂した。
「何を言う……。今は確かに空席だが、現国王である父の正室だった僕の母は王妃だった! 貴様! 亡き母を愚弄するか!?」
大仰な手振りで訴えるハインスの様はどこか滑稽でシュレイアはため息を落とした。
全国民が知るべき事をこの第一王子は知らないと見える。
どうしたものかと思案に暮れていると、また姿無き声が響いた。
『姫様、発言をお許しください』
その声にシュレイアは扇を広げ、優雅な仕草で答えた。
「許します」
姿無き声は慇懃に淡々と事のあらましを伝える。
『ご報告いたします。只今を持ちまして第一王子ハインス殿下の廃嫡が決定いたしました。これより国王陛下がお出ましになり直々にてお言葉を賜ります』
廃嫡。
その言葉が紡がれた後、会場は安堵の息に包まれた。
このような無知極まりない男が第一王子として存在するのはこの国の恥でもあるかのように。
「なんだ……! なんなんだこの声は! 貴様、悪魔でも飼っているのか!?」
ただ二人、状況が飲み込めないハインスとファーナはキョロキョロと辺りを見回し不気味さに身を寄せ合っていた。
ハインスの暴言にシュレイアはなんの気負いもせず言い放つ。
「あら、殿下はノワール侯爵家をご存知ありませんの? 陛下のご教示があったはずですが?」
周囲の人波も少しの畏怖を持ってはいるが、シュレイアの言葉に一様に頷いている。
「ノワール侯爵家だと? なんだそれは。父上からもお聞きした事なぞない!」
衆目の憐んだような目線にもめげずに喚き散らすハインスにある意味尊敬の念を持つシュレイアであった。
シュレイアはひとつ溜息を吐き、扇を鳴らす。
「アンシル、お出でなさい」
その言葉に反応し、シュレイアの影がむくむくと膨らみ人の形を成す。
影を覆っていた闇が去れば、そこに現れたのは長身で細身だが引き締まった体躯の美青年。
その肌は褐色で、髪はゆるく波打つ黒檀、目は切れ長で瞳は鋭く見据える金色。
漆黒の衣装に身を包み、シュレイアの側に控えたその人物は得も言えぬ美しさと触れれば容易く切り刻む恐ろしさをたたえていた。
アンシルはそっとシュレイアに寄り添い腰を抱く。
そのあまりに異様な登場にハインス達は息を呑んだ。
そしてその親しげな様子に歯噛みする。
「なんだその男は!? いやに親しげだが貴様こそ不貞を働いているんじゃないのか!?」
それを意に介した風もなくシュレイアは淡々と述べる。
「不貞? この者は既に側室として王宮に上がる事が決まっています。殿下にも愛人は許すと申したでしょう? 今騒ぎになっているのは殿下が国王になるだの王妃にするだの仰っているからですわよ?」
それを聞いたハインスは不可解とばかりに首を傾げる。
「側室だと? 王妃が側室を持つなど聞いた事もないわ!」
噛みつくハインスにシュレイアは事もなげに言い放つ。
「ええ、私は王妃ではありませんから」
さっきから勿体つけたような言い方にイラつきを募らせたハインスは地団駄を踏みながら幼子のように喚き散らした。
「なんなんださっきからハッキリ言え! それにその男の事もわかるように説明しろ!」
シュレイアは愛しげにアンシルの大きな手を撫でながらうっとりと見上げる。
「彼はアンシル。私の愛しい方ですわ。そしてノワール侯爵家の嫡男でもあります」
ハインスはまたノワールかと爪を噛みシュレイアの言葉の続きを待った。
「ノワール侯爵家は代々王家に仕える影です。その名の通り、主人の影に潜み全てを見通す者。見るに耐えない貴方方の逢瀬や、そちらの……ファーナ嬢でしたかしら、彼女の自作自演も全て魔道具で記録し陛下へ提出しております。この騒動も陛下はご覧になっておいでです。本来でしたらもっと早く婚約を破棄するべきでしたが、親バカとでも言うのでしょうか。陛下にも困ったものですわ」
魔道具で痴態を記録されていた辱めもあり、ハインスは顔を真っ赤にして反論した。
「そんなバカな! それならば何故僕にはそのノワールが着いていない! 僕こそこの国を導く次代の王だ!」
これまでの話の流れにも何も学ばなかったのか、恥を上書きしている事にも気づかずハインスは更に言い募る。
「貴方は王にはなれません。王を継ぐのはこの私です。実際、貴方は第一王子ではありますが王太子ではないでしょう?」
とうとうシュレイアの口からハッキリとあらましを述べるがハインスは納得がいかないと言うように追い縋る。
「そんな……、僕は王になれない? だって今の国王は僕の父じゃないか! その子が王位を継ぐのが正当じゃないのか!?」
信じられない、信じたくない結末にファーナもヒステリックに叫ぶ。
「そうよ! ハインス様が国王になるはずだわ! 嘘を言うのはやめなさいよ!」
シュレイアはそんな二人を睥睨しながら冷えた声で打ち据える。
「この国は元々女王の治める国ですわ。先代の女王、つまり殿下のお母上がご早世なされた後、残された王位後継者は幼い私だけでした。ですから私が成人するまでの繋ぎとして現国王が政を執り行っていたにすぎません。貴方との婚約は王家の血を残すために結ばれたもの。いわば種馬ですわね。つまり、私との婚約が無くなれば殿下に価値はないと言う事ですわ。最も、既に廃嫡の取り決めが交わされたようですし、そちらのご令嬢も身の振り方を考えるべきでしょうね」
その言葉に打ちひしがれたハインスはとうとう膝をつき項垂れた。
ファーナも青ざめた顔でしゃがみ込み、頭を抱えている。
その場に国王陛下お出ましの声が上がる。
国王は憤慨した顔でツカツカとハインスに近づくと王笏で打ち据える。
「この痴れ者が! 高等学舎でも勉学を怠けそこな男爵令嬢と密会しておった事、既に我の知る所だ! しかもこのような場でシュレイア様に恥をかかせようなど言語道断! 貴様など我が子にあらず! よって廃嫡とし国外追放を言い渡す! ファーナとやらも勘当すると男爵が申しておった。何処へなりと去ぬるが良いわ! この者どもをひったてい!」
国王が宣言すると壁際の兵士達が一斉に動きハインスとファーナを縄打ち引きずっていく。
二人はまだ何事か叫んでいたが、猿ぐつわをされそれもできずにムームーと呻き声を上げるだけだった。
国王はシュレイアに膝をつき頭を垂れる。
「シュレイア様、この度の非礼誠に申し訳もございません。本来ならば私が直々に正せねばならぬ事を我が子可愛さに今まで目溢ししておりました。どのような罰でもお受けいたします」
本来ならば国王が膝をつくなど以ての外だが、正式な王位継承権者はシュレイアなのだ。
国王がその非礼を身をもって謝罪する事はシュレイアこそが女王である事を如実に表しいていた。
「陛下、お顔をお上げください。私はあの程度の事意に介してはおりません。ハインス殿下の廃嫡、お決めくださったお心痛み入ります。これからも私が王位を継承するまでの間、お力をお貸しくださいませ。さ、お立ちになって。邪魔者もいなくなったのですし、パーティを楽しみましょう」
国王はシュレイアの言葉に今一度深く頭を垂れ、立ち上がると改めて宣言する。
「我が子の醜聞に若人の貴重な時間を取らせてあいすまなんだ。今日は皆の高等学舎の卒業、並びにシュレイア様のご成人を祝し盛大に楽しんでほしい。女王陛下に乾杯!」
国王の演説と共に皆がグラスを掲げ乾杯を捧げる。
シュレイアはそれを目を細め嬉しげに見つめていた。
そして側に控えていたアンシルに視線を移す。
闇色の青年は微動だにせずシュレイアを見守っていた。
「ねぇアンシル、一曲踊っていただけません事?」
ついと手を差し出せばアンシルは恭しく手を取った。
「私でよろしければ喜んで」
それまで鋭く警戒していた瞳を柔らかく細め、シュレイアを愛しげに見つめた。
会場の中央に進み出て腕を絡めると、壮麗な円舞曲が流れ始める。
曲に合わせて一歩踏み出せばふわりとドレスの裾が靡く。
「アンシル、これで貴方を堂々と正室として据えることができますわね。まさかこんな形で初恋が実るなんて思いませんでしたわ。ハインスの無知にも感謝しなくてはね」
お互いにしか聞こえない声音で囁くように問えば、アンシルもそれに答える。
「私もお務めとはいえ姫様が他の男に組み敷かれるなど身の裂ける思いでございました。愛しています。一生お側に」
その声は熱を孕み、シュレイアの耳朶を打つ。
シュレイアはその睦言のような艶のある声に頬を染め恥ずかしげに微笑む。
近い将来、この国に女王が誕生する。
女王はただ一人の王配を一心に愛し、またその王配も女王だけを見つめて支える。
その道は苦難に満ち溢れ、順風満帆とは言い難いだろう。
けれど、今だけはと薔薇の花びらを纏い、靡かせ、愛しい影と共に舞い踊る。
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