赦し

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生まれてくることができなかった命は、何処へ向かうのだろうか。 名前すらつけてもらうことのできなかった命は、誰に悲しんでもらえるのだろうか。 自分たちの我儘な意思決定により産声を上げることのできなかった命。法的には裁かれることはないが、それでもそこには確かに命があり、それを己の人生を歩まんとする利己的な判断によって命を葬った。 誰かに責められることもできず、ただひたすらにその罪の意識に苛まれるだけの日々。蝉が次の命を紡ぐために必死に鳴く横で、ただ徒に時を過ごす。その子が産まれてきた未来、その子が笑顔で過ごす未来、その子のまた子供が生まれ、自分を見届ける未来。そんな、自分たちが閉ざした未来を想い、それでもそれを誰にも責められることのない時間を過ごす。 誰かに首を絞められ、身体を痛めつけられ、苦しみ、涙を流し、息絶えてしまう方がよっぽど楽であろうと、何度思ったことか。ただ、そんなことは誰も望んでおらず、その行為によって、その発言によってすら、今度はまた別の誰かを傷つけてしまう。 いまの自分たちに、何ができるのだろうか。 ピルによる避妊の確率を通り抜けてきた奇跡的な命を絶やそうとしている自分たちは、何をすれば赦してもらえるのだろうか。 そうだ、神社に行こう。 神社に行って、ただひたすら、産まれてくることのなかった命に赦しを乞い、次に宿る命に感謝し、日々を大切に生きよう。 いま自分が歩んでいる時間は、誰かの時間を犯すことで成り立っている。親が子を育てることで、親の時間は犯され、子の時間が長くなっていく。牛や豚を殺すことで、彼らが過ごさんとしていた時間は犯され、人間が生きる時間が長くなっていく。 きっと、本質は同じなんだ。 自分たちで潰した命によって、今の自分たちの命が長らえている。泣くことも、喚くことも、苦しむことも、全て間違っている。感謝するべきなのだ。 お腹に宿し命を、たとえ己の利己心によって殺したとしても。死んでくれてありがとうと、心の底から感謝しなければならないのだ。 そのために、多くの命が眠る場所に、有難うを伝えに行こう。
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