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   梓真の家は、弁当屋をやっている。何十年も、何代も、家族で続いている大事な店だ。彼は、そんな店の一人息子だった。 「……っごめん」 「怜依が謝ること、何にもないよ」  昼間、島の砂浜で足だけ海に浸かっていた僕たちのところへ、小さなボールが転がってきた。そのボールを拾い上げ、走ってきた女の子に手渡して、手を振っていた梓真の笑顔を思い出す。  梓真は将来、家族を作って、大切な店を続けて、梓真の子どもがまたそれを継いでいくんだ。僕がこのまま梓真と向き合っていくことは、その邪魔をするということだ。 「……僕は梓真の将来を、家を、ぐちゃぐちゃにするんだよ」  今まで何回も梓真にこの話をした。でも、そのたびに梓真は決まって同じことを言う。 「大丈夫だよ、怜依」  僕の右手を梓真が握り返す。  止まらない涙で、首を横に振るのが精一杯だった。 「いつも言ってんじゃん。俺、家も大事だけど、怜依のことも大事なの」  違う。違うんだよ、梓真。  僕が謝ったのは、梓真の家の歴史を壊すかもしれないことなんかじゃない。たとえそれでも構わないと、梓真と一緒にいる未来を望んでしまっていることだ。  梓真の真っ直ぐな目は、自分勝手で醜悪な僕の心を見ているはずだ。それなのにどうして、そんな風に笑って、大丈夫なんて言えるのだろうか。 「……僕の手を握ったままじゃ、お店は守れないんだよ梓真」 「なんでそんなことわかるんだよ」 「わかるよ」  だって、僕は、梓真が好きだ。でもそれだけじゃ、家族にはなれないんだ。  梓真が本当に僕のことを、あのお店と同じくらいに大切だと思ってくれているとするならば、僕は、僕たちは、どうすればいいのだろう。一つを叶えるためには、一つを捨てなければいけない。どうすることが一番正しいことなのか。もう二年も考え続けたのに、僕は未だに答えを出せないでいる。  でも、たとえ正しい答えが判らなくても、決めなければいけないことがある。どれだけ諦めきれなくても、自分に言い聞かせて無理矢理にでも納得しなければいけないことがある。  きっとこれは、そういうものの一つだったのだと思う。 「梓真、……」 「何?」 「……梓真、僕と」  別れよう。  今日こそ言うと決めていた。でも、どうしてもそれだけが声に出ない。何百回も脳内で繰り返した言葉が、また、喉に引っ掛かって詰まっている。梓真の手を振り払って別れを切り出すことも出来なければ、梓真の家が積み上げたものを潰す覚悟を叫ぶことも出来ない。中途半端な僕は、本当に卑怯者だ。  梓真に向かって涙が落ちて、再び視界が歪んでいくあいだに、梓真が僕を引き寄せる。梓真の上に倒れ込むようにして抱きしめられていた。 「……」 「怜依の受験が終わったら、また来ようよ。今度は、あっちの遊園地とか」  僕は、「いいね」とは言えなかった。 「で、そっから先のことなんて、大人になったら考えようぜ。大人になったらきっと、全部上手くいくよ」  そんなわけない。  大人になるだけでどうにかなることなんかが、僕たちにはどれくらいあるんだろう。もしかしたら、そんなものは一つもないかもしれない。梓真だってそれくらいわかっているはずだ。  だから僕は思わず、「うん」と言ってしまった。  
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