38人が本棚に入れています
本棚に追加
戻ってきたクラティナが初めて発した言葉は、悲痛なものだった。
「__ちくしょう…」
「……明日は決勝だったのに………!!!!」
___そう、決勝だったのである。全国大会の。
いや、もっと色々あるかもしれないがクラティナの頭はそれでいっぱいだった。中学の受験前に憑依して、本人に代わって頭に叩き込んだ知識で志望校に合格し、いつ桐沢美帆が戻ってきてもいいよう高校生活を過ごしていたのだが。そこで剣道に出会い、思い切り身体を動かせる喜びで打ち込むこと一年。どうやら本人の運動神経は悪かったらしいのだが、身体は桐沢美帆でも中身はクラティナである。多少機動力に劣ったものの身体を動かすセンスは変わらず、見違えるように運動が得意になった美帆に周りは唖然としていた。そして順調に勝ち上がった初めての全国大会の決勝、に、出るはず、だったの………だが……。
「あー………最悪だ…」
出来るわけない。突然自分の身体に戻った桐沢美帆本人に、いきなり剣道の大会に出ろだなんて。
そう、恐らくこの部屋の有様を見るにどうやら二人は入れ替わっている筈なのである。幸か不幸かクラティナがこちらの世界から離れている間も時間は進み、この身体を桐沢美帆が操っていたのだろう。
それはこのファンシーな色合いの部屋と、こちらの世界の人間が解読出来ないであろう文字で綴られた鍵付きの日記帳が物語っている。
今すぐ確認したいのだが…何やら部屋の外がうるさい。
まずはここがどこなのか、自分はどういった立ち位置なのか確認しなければならない様だ。
短くしていた髪も大分伸びた。肩甲骨辺りまである黒髪を高い位置で括り、何から着手しようかと立ち尽くす。と、不意に扉が小さな音をたてた。数回等間隔のノックが聞こえ、一瞬迷ったものの鍵を開ける。
「………」
「………」
目の前には、すらりとした男性…いや、まだ青年だろうか、整った顔立ちの………誰だ、これは。
彼はこちらを見るなり目を見開き、物凄い勢いで顔を逸らした。
その切りそろえられた髪の合間から見える耳がほんのり赤く染まっている。この反応は、一体。
ぱっと自分の姿を確認して、納得がいった。
クラティナはまだ寝巻き…というか、薄手のシャツに短いパンツ姿である。少し異世界ボケ(?)していたが、こちらの世界では身支度の整っていない女性の部屋に入ること、その姿を見る事は夫や家族くらいなのだ。なので、紳士な彼は目を逸らしてくれている…そういう事か。
しかしそんな事情はあちらの世界の常識を経験してきたクラティナにとっては特段どうでもいい。兎にも角にも、朝は挨拶だろう。
「おはよう」
ただ挨拶をしただけなのにも驚いている。なんなのだ、本当に。
しかしそれでも躊躇いがちに彼は挨拶を返してくれた。
「お…はよう、ございます」
最初のコメントを投稿しよう!