ネームドジュエル

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ネームドジュエル

 感想会を兼ねた朝食の席でエイダは、一晩ぐっすり眠り顔色が戻ったレナルドをチラリと盗み見た。 「僕が今回の手記でお祖父様から受けた質問は、セスが王女との婚姻を受け入れていたとしたら、バラカルト王朝は延命できていたと思うか? だった。まずもってその質問は、そもそもの根本が間違っていると思ったよ。レイラとの出会いで、セスは戦神とまで呼ばれるようになった。王女との婚姻は万に一つもあり得なかったからな」 「そうね……確かにそうだわ……」  エイダは朝食の卵をフォークで突きながら、ぼんやりとしたまま頷いた。   「当時、王国の最も劣悪な環境で教育の機会もなく、常軌を逸した狂気があったからこそ、これほどの功績を積み上げるだけの力を手に入れた。手記からもセスの環境は常に生死をかけた極限状態だったとわかる。常識的な理性のハードルが極端に低かった。だからこそリミッターが外れた強さがあった」 「うん、その通りだと思うわ……」 「僕もセスがヘイヴンに生まれなかったら、戦神たり得なかったという君と同意見だ。だからこそ、王女との婚姻云々の質問はそもそもが成り立たない。でもお祖父様は、戦神・セスとしての後ろ盾があった上で、バラカルト王朝の延命が可能だったかを考えろって……今思えばそれは手記への観点というより、当主教育としての質問だったな」 「そうなのね……」 「エイダ、君はどう思う……?」 「うん……え、私? そうね……えっと……」 「……戦神・セスが、バラカルト王朝の後ろ盾を担っていたら延命は可能だったか? だ」  憤慨したようなレナルドに、エイダは慌てて背筋を伸ばした。 「延命は……したでしょうね。でも少しの間だったと思うわ。その頃の王朝はすでに財政的に破綻していた。金貨があってもそもそもの食料がなかったし……」 「……その時点で隣国との戦争に勝利していた場合は?」 「同じだわ。たとえ勝利していたとしても、隣国も飢饉に見舞われていた。隣国は当時のバラカルトよりは内政にも目を向けていたけど、微々たるもので立て直しはバラカルトとそう変わらなかったもの」  じっと見据えたまま回答に耳を傾けていたレナルドは、頷くとカトラリーを置いて眉尻を下げエイダを覗き込んだ。   「……僕も同意見だ。エイダ、今日はどうしたんだ? 全然集中できてないじゃないか。手記に入り込みすぎたのか?」 「ごめんなさい……そうじゃなくて……」 「何か気になることでもあるのか?」 「……レナルドはご当主様から、何も言われてないのよね?」 「そうだな。特には何も。お祖父様に何か言われたのか?」  心配そうなレナルドの表情に、ビリーの弱々しい声が耳に蘇る。 『私は伴侶が君であればいいと思っている。聡明で勇敢な君なら、あの子のちょっと抜けたところを、その優秀さで助けてくれるだろう』  まるで末期の言葉のようだったビリーの吐露と、手記の不穏な最期が重なって落ち着かない。明らかに体調に異常が出ていたレイラ。寝台に寄りかかり諦観と祈りの混ざった眼差しをしていたビリー。急き立てられるような不安を感じて、集中できなかった。  レイラはどうなるのか。ビリーは大丈夫なのか。レナルドは体調不良を把握しているのか。ビリーの願いを知っているのなら、レナルドはどう考えているのか。  とくんとくんと鼓動する胸をエイダはそっと押さえた。 「……ご当主様のお加減はどうなの……?」  覚悟を決めてエイダは、レナルドを見上げ小さな声で問いを投げた。   「お加減って……やっぱりお祖父様に何か言われたのか?」 「……ずっと気になってて……」 「そうか。なら次は僕も同席しようか? ただお祖父様は視察に出かけたから、話せるのは少し先になるけどな」 「えっ!! 視察って、お出かけされたの? 体調は? 大丈夫なの?」 「え、ああ……大丈夫も何も、視察と定例議会は前から決まっていたことだし……」 「だからって無理すべきじゃないでしょ! ベッドから起き上がれない状態なのに……!!」  エイダの剣幕に戸惑いながら、レナルドは宥めるように手を振った。   「無理って……まあ、お年だけどそんなに心配する必要はないよ。そもそも食べ過ぎで寝込むくらい元気なわけだし……」 「…………は?」 「健啖家なのはいいが、ステーキを三枚はどう考えても食べ過ぎだって……エイダ……?」  無言で固まったエイダに、レナルドが首を傾げる。   「……はあぁぁぁ? 食べ過ぎですってぇ!!」  覚醒したエイダが上げた奇声に、レナルドは飛び上がって目を丸めた。   「エ、エイダ……? どうした、何が……?」  今にも死にそうだったのはなんだったのか。いきなりブチギレたエイダに、取り乱すレナルドを睨みつける。 「その診断に間違いはないの!?」 「あ、ああ。ウチの主治医が確認してる……」 「あんの、クソジジイーーー!!」 「お、落ち着けよ、エイダ。まずは何があったのか説明して……」  立ち上がって咆哮したエイダに、レナルドはあわあわと手をかざす。その焦って泳ぐ瞳がビリーと同じ深い青色なことに、エイダの神経が逆撫でされた。   「人をおちょくって! ヘイヴン一族の顔は見たくもないわ!! 出てってよ!」 「ちょ、おい! エイダ!!」 「出てって!!」  グイグイと背中を押して追い出しにかかるエイダに、レナルドはオロオロしながら追い出される。捨て犬のように瞳を惑わせるレナルドの目の前で、思いっきり扉を閉めて締め出した。八つ当たりだと分かっていても、怒りを抑えらなかった。   「あんの! 狸! ジジイ! 覚えて! なさいよ!!」  生誕パーティーのやらかしをうっかり許した自分を呪いながら、エイダは上等な羽枕を寝台に叩きつける。枕を叩きつけずに済むまで、割と長い時間が必要だった。 ※※※※※ 「……エイダ、入るぞ」    ノックの音と同時に聞こえてきたレナルドの声に、エイダは枕を抱きしめ埋めていた顔を上げた。少しの間を空けて、遠慮がちに開いた扉から、レナルドが顔を覗かせる。エイダの姿にホッと息をつくと、すまなそうに眉尻を下げて歩み寄ってきた。 「……ケーキを持ってきたんだ。一緒に食べないか?」  静かな声で語りかけるレナルドに、エイダは枕を抱えたままもそもそとベッドを降りた。レナルドがケーキとお茶を用意しながら、椅子で丸まり枕を抱き込んたエイダに小さく笑みを浮かべた。   「ラルゴから聞いたよ……悪かった……」 「……レナルドのせいじゃないでしょ?」 「いや、僕も服装までは把握してなかったけど、挨拶に関しては便乗したから同罪だ」  申し訳なさそうなレナルドに、エイダはため息をついて顔を上げた。 「……貴方には怒ってない。レナルドはあそこまでするつもりなかったんだし。協力するって決めたのも私よ。八つ当たりだったわ。ごめんなさい」 「いや、君には怒る権利があるよ。本当にお人よしだな……」  優しく瞳を和ませたレナルドに笑みを返して、枕を手放したエイダはレナルドが入れてくれた紅茶に手を伸ばした。馥郁と香り高い紅茶の温かさが、荒れ狂って落ち込んだ気分を慰めてくれる。無言の静かな時間が流れ、レナルドがカップを置いた。 「……言われたんだろ? お祖父様に。最初からクラソン家の君と婚約させるつもりで呼んだって」 「ええ」 「お祖父様は君と結婚することで、首都での影響力と文化関係の後ろ盾を得るつもりだ」 「権力をより強化するために、ね。移り変わる時代を見据えて、できるだけ多くの不安要素を排除しておくつもりみたい。より強固に秘密を守るために。元祖大狸の賢人・ジャスパーは大喜びね。色濃く血を受け継いだ子孫がいてくれて」  すまなそうな表情に気遣わしげな目線のレナルドが、伺うようにエイダを見やった。 「……傷ついただろ? 君はクラソンであることに複雑な感情を抱いていたから」 「貴方がいなかったらそうだったかもね」  わずかに眉根を寄せたレナルドに、エイダは小さく笑みを浮かべた。 「ふふっ、お人よしなのはどっちかしら?」 「……君がどれだけ努力していたか今ならわかる。だから……」 「今あるものが全て。どうあっても生まれは変わらない。切り離す無駄な努力はやめて、エイダ・クラソンを認めさせるために、大いに利用し活用すればいい。そう言ってくれたでしょ? 本当にその通り。私もね大いに利用し活用することにしたの。活用して利用するなら、代償としてクラソンとして扱われるのは当然だわ。今はもうそこまで気にしてないの」  レナルドの言葉と手記が、頑なに足掻いてた自分を見つめ直させた。  同じ思いを知っているレナルドが、受け入れて自分を誇る姿が眩しかった。  絶望しかない境遇に恨む暇もないほど、ただひたすらに生きようとした戦神の歴史を知った。  自分が抱えていたものが、ひどく矮小だったことに気付かされた。どこに拘るべきで、何を見据えるべきかを。 「私はエイダ・クラソン。クラソン家の一人娘で、今はただの「クラソン」なんてつまらない銘の、ものすごく豪華な()()()()()()だってわかってる。でもいいの。いずれ別のかっこいい銘をつけてみせるから」  原石の根本は変わらなくても、研磨し続ければより輝く。研磨の手段は今あるものが全て。足りないのなら正当な手段で、増やす努力をすればいい。手段にこだわるのではなく、強かに一点の曇りもない望む輝きを。エイダはレナルドを見据え、頷いて見せた。自分にも覚悟を決めるように。 「どんなアクセサリーになるかは、自分で決めればいい。そうでしょ?」 「ああ……どんな銘がつくか楽しみだ。なぁ、エイダ。生誕パーティーでは言いそびれたけど、僕との結婚を真剣に考える余地はあるか?」 「え?」 「僕は君がいい。お祖父様の思い通りは業腹かもしれないが、手記を最後まで終えあと、僕に口説く時間をくれないか?」 「それって……」  サラッと差し出された言葉が、染みるほどに熱くなる顔を俯ける。 「ははっ。希望はありそうでよかったよ」  楽しげなレナルドの声に、ますますエイダの顔が火照った。 「……断っても泣かないでよね」 「努力はしてみるよ」  肩をすくめる調子の余裕を感じる声音に、エイダは悔しくなって思わず顔を上げる。睨みつける予定だったエイダは思わず笑みを浮かべた。  そっぽを向いているレナルドの顔も茹で上がっていて、言葉と声の調子ほど余裕があるわけではないらしい。それがひどく嬉しかった。 「……ご当主様の健康は問題ないのね?」    勝手に一喜一憂する気持ちに苦笑しながら、レナルドの反応に満足したエイダは話題を変えた。変わることを歓迎するようにレナルドも頷く。 「全くないよ。手記の進捗を把握してこのタイミングで逃走。この後、()()()()()()()()()()()のも見越しての、憎たらしいほど完璧なやらかしだ」 「……一泡吹かせたいって言ったら協力する?」 「それは面白そうだけど、お祖父様は手強いぞ?」 「身に染みてるわ」  エイダの答えに顔を見合わせ、同時に噴き出した。レナルドは笑い収めて、少し眉尻を下げてエイダを見やる。 「……手記は今夜でいいか?」 「ええ、続きが気になるの」 「……エイダ、青い紐を引いて僕を呼べ。何時だって気にしなくていい」 「……うん」  穏やかに凪いだレナルドの瞳に、エイダは覚悟が必要なのだと分かった。 「必ずそうするわ……」  きっとまた肩を貸してくれる。どんな内容でもあの温もりが乗り越えさせてくれる。静かに手記への覚悟を決めて、エイダはレナルドに感謝の笑みを向けた。  
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