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「和子が出ていってから13年だ。その間、誰とも肌を触れていない。正直に言えば、使い物になるのか不安はある」
離婚した元妻の名前を告げる寿一は、真剣な表情をしている。
零は思いきって、これまで聞けなかったことを切りだした。
「奥さんのこと、聞いてもいい?」
零が興味本位で尋ねているのではないとわかり、寿一は並んでソファに腰けた。
「俺たちは夫婦として、うまくいってると思ってた。喧嘩もしたことはなかったし」
突然の出来事がよみがえり苦々しい顔になるが、気を取り直して言葉を続ける。
「実家を通して話し合った。同窓会で初恋の男と再会して、そっちと一緒になりたいから俺とは別れたい、と言われた」
理不尽な理由に、零が目をみはる。
「そいつとの子どもを妊娠してる、と聞いて俺は妙に納得しちまった」
「どういう意味?」
「和子とは、一天が生まれてからそういうことをしていなかった。俺には、子どもをつくる以外に、その行為に意味がなかったから」
さきほどより苦しそうな顔になる。
「ちゃんと結婚して、ちゃんと父親になった。俺にとって結婚生活は「ちゃんとした人間」の証明、みたいなもんだった」
父親に言われ続けた言葉に囚われていた。
「だから、一天をきちんと育てるのが、次に俺がやるべきことだと思った」
義務感では夫婦生活は続かない、と自責の念にかられ、「ひとり息子をちゃんと育てること」だけを人生の目的にして生きてきたのだ。
それは、間近で見ていた零と三奈にも、ひしひしと伝わっていたことだった。
「おまえが俺に「失いたくない」と言ってくれたとき、自分の気持ちに気がついた。俺も同じことを思ってるってな」
ごつごつとした指で、零の手に触れる。恥ずかしいことを言っている自覚はあるが、笑ってごまかす。
「だから、おまえに愛想を尽かされないように、こっちは必死なんだ。そんな物にでも頼りたくなるくらいにな」
横目で、零が手にしたままのドリンク剤を見つめる。
「大丈夫だから! 俺も頑張るから!」
「そっか、一緒に頑張ってくれるか」
「うん! だから、ちゃんとできるか……試してみる?」
作業着の下の寿一にドリンク剤は不要だと、なんとなくわかってしまい、零はもじもじする。
零も同じ状態だと察した寿一が、男前な笑みを浮かべた。
〈完〉
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