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 ノンアルコールのビールでとりあえず乾杯し、互いの労をねぎらう。ほどなく香ばしい匂いのする焼き鳥が卓に並んだ。  寿一は年齢を気にしているのか自分では軟骨や砂肝を注文し、零のためには甘辛い手羽先やねぎまを頼んでくれている。さらに焦げ目までうまそうな焼きおにぎりに、女将おすすめの切り干し大根と味噌だれのうまい野菜スティックもあった。 「冷めてしまうけど、一度に出してもらった。悪いな」 「全然いいよ。それより一天の飯は大丈夫なの?」 「昨日のうちにカレーを作ってある」 「さすが! ちゃんとしてるよね」  零が軽く答えると、こちらをじっと見つめる視線にぶつかる。引き締まった口元が、何か言いたげに開いたが声にはならなかった。 「今日、忙しかったから腹ぺこなんだ! ほら食べようぜ」  零は重苦しい空気をさえぎるように、皿に手を伸ばした。 「一天が家を出たいらしい」  普段から口数の少ない寿一が、やっと本題に触れたのは、食べおわって温かい焙じ茶を飲んでいるときだった。 「あー、うん……」 「やっぱり相談してたか」 「黙っててごめん。言わないでくれって頼まれたから」 「いや、こっちこそ。面倒な話を聞かせて悪かった」 「面倒なんかじゃないよ。一天は弟みたいなもんだから。でも俺に話してくれたときには、もう気持ちは固まってるみたいだった」 「何か、理由があるんだろうか」  ああそうか、と零は納得する。寿一が考えているのは、息子を引き留める方法ではなく、ちゃんと送り出すための言葉なのだ。 「具体的なことは聞いてないけど。逃げ出したいとか、そんなネガティブな感じはしなかった」 「そうなのか? 俺に言えないことも零になら話してると思ったんだが」 「俺だって驚いた。でも一天は視野を広げたいんだと思う。今の生活に不満があるわけじゃないって、それははっきりと言ってたから」 「そうか……。それが理由なら頭ごなしに反対するわけにもいかないか」  寿一は、父親とのふたり暮らしで息子に不自由な思いをさせているのではと、引け目を感じているようだ。一天は野球部の副キャプテンとしてチームを支える一方で、学業の成績も悪くない。近隣によい高校があるのに遠方の高校を目指す理由を心配するのも当然だ。 「一天を信じてやらなくちゃ。寿一さんのことすごく好きみたいだよ」 「そんなことがあるのか? 俺は親父とあまり仲良くなかったから、なんだか信じにくいんだが」 「俺は母さんの技術を同業者として見てるから側にいるけど、そうじゃなかったらとっくに家を出てたかもしれない。でもきっと、一緒にいてもいなくても、大切な存在なのは変わらないと思う」  零はかなりカッコつけたことを言っている自覚はあるが、まっすぐに顔を見ながら言いきった。寿一は、15歳も年下の零の言葉を、馬鹿にすることもなく真剣に聞いてくれている。    優しいひとだ。  20年前、三奈と零が今の家に住み始めた頃、寿一は30歳で、隣の平屋住宅に母親と暮らしていた。  中学の制服姿で挨拶をする零に「背、高いな」と声をかけてくれた。しかし、その頃身長170cmだった零の目に、寿一は圧倒的な大人の男性として映った。そして今も、その印象はあまり変わっていない。背丈は高校時代に伸びて178cmになったが寿一には及ばないし、体重もおそらく15kgは軽いはずだ。体格だけでなく物腰からも「とても敵わない」といつも思ってきた。それにもかかわらず、零が寿一に物怖じすることなく話をするのは『ただの隣人』以上の関わりがあるからだ。  お隣さん同士、顔を合わせれば挨拶を交わす関係が一年ほど続いた頃、零が中の下くらいのレベルの高校に進学した年に、寿一の母が亡くなった。  三奈とともに焼香をした零は、肩を震わせる寿一を見て「大人の男も泣くことがある」と知った。生まれたときから父親のいなかった零にとって、寿一は教師と店の客以外で最も近い大人だった。  それから3年後、寿一が結婚した。恋人も作らずひとり暮らしを続ける甥に、叔母が見合い話を持ってきたらしい。  零はその頃、美容師を目指して専門学校に通っていたが、ブライダルのヘアメイクに夢を見るクラスメイトと、親族の顔合わせだけで同居を始めた寿一との温度差に、不思議な気持ちがしたものだ。  その後、自分たち親子が寿一との関わりを深めることになるとは、もちろん想像もしていなかった。 「疲れてるのに、付き合わせて悪かったな」  支払いを済ませ店を出たところで、寿一が詫びた。食事代も「相談に乗ってもらったから」と支払わせてくれなかった。  半人前扱いをしているのではないとわかっている。それでも対等な立場になれないのは寂しい。  寿一はとても優しいひとだ。        
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