6.それからどうした

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6.それからどうした

 桜が散り晴れやかな新緑の季節になったが、零の気持ちはくすぶっていた。  一天は、早々に新しい環境へ順応したようで、月初の4連休も2日間しか実家にはいなかった。寿一も家庭優先で断ってきた昇進をして、毎日忙しそうだ。三奈は最初こそしょんぼりしていたが、すぐにもとの調子に戻っている。  自分だけが漠然とした不安のなかに取り残されているかのようだが、その理由もわからず職場と家を往復していた。  その電話は、休日に自室で惰眠をむさぼっていた零を覚醒させた。  見慣れない番号は、寿一が働く金型製作工場の近くにある医院のものだった。 「山名寿一さんが受診されて、いま処置中なので迎えにきてください」  零は慌ててタクシーを呼び、医院へ向かった。後部座席に座った自分の心音がバクバクと煩い。  駆け込んでみると、寿一は処置室で点滴を受けながら眠っていた。本来なら家族に連絡するのだが、ひとり暮らしなので緊急連絡先に登録した零に連絡してほしいと本人が言ったそうだ。 「尿管結石です。自然に排石されましたが、運転できる状態ではない」と説明され、寿一の自家用車を零が運転して本人を連れ帰ることにした。  手渡された鍵で解錠し、とりあえず布団に寝かせる。部屋には洗い終えた衣類が無造作に積み上げられていた。  横たわる寿一の顔には疲れがにじみ、痛みのせいもあって酷い色をしている。零は自分を責めた。  一天はこうなることがわかっていたのだろうか。だからこそ出発前に自分に父親を託すような言葉をかけたのか。そう思えば、いたたまれない気持ちが湧いてくる。  いちばん腹がたつのは、忙しそうだなと思いながら声をかけなかった自分自身に対してだ。一天を口実にしなければ訪ねることすらできない、そんな情けない自分を許せなかった。 「迷惑をかけた」  寿一もまた、一人になった途端にこのような状態なのを反省しているようだ。いつもは安心感を与えてくれる声が、掠れて弱々しい。 「飯とか、どうしてるんですか」 「なんだか面倒で……」  零が台所を確認すると、ビールの空き缶がゴミ袋いっぱいに溜まっていた。一天には弁当まで作っていた同じ人物とは思えない。  家全体が乱雑で埃っぽく、空気まで澱んでいるようだ。変わり果てた様子に零はショックを隠せなかった。 「これからは俺がそばにいますから」  口をついてでた言葉は、自分自身に対する宣言だった。 「あなたをこのまま失うわけにはいかないんです」  寿一に零の真意を問いただす元気はなさそうだった。  その夜は寿一の家に泊まり、翌日は出勤前に粥を作った。痛みはひいたようだが念のためだ。しっかりと休養して疲れをとってもらいたい。 「水分補給と薬も忘れないで」  言い含める口調に寿一が笑った。その表情すら久しぶりで、零の胸が傷む。  2日目からは出勤するという寿一に 「これからは、僕の監視の目があることを覚えておいてください」と言い置いて、零も自宅へ戻ることにした。 「ちゃんとやるから大丈夫だ」  年甲斐もなく羽目をはずした後のようにしゅんとする寿一を、ちょっとかわいいと思ってしまう。一天へも連絡して、零は約束を守れなかったことを詫びた。大事には至らなかったし、零にしっかりと覚悟ができたとわかり一天は言葉をおさめてくれた。  自分は寿一に会う理由が欲しかったのだと思い知る。それは、翻せば『理由もなく会いにいける存在でありたい』という気持ちの表れだ。目をそらしても、心は正直に欲を吐き出す。自宅の窓から寿一を見かけると、そわそわするようになったのはいつからだったか。ガレージや玄関先で声をかけるとき、何度、声が震えそうになったことか。もう、見てみぬふりなどとてもできはしない。    顛末を知った寿一の叔母が「また見合いをしてはどうか」と言ったらしい。この叔母の紹介で一天の母親と結婚した寿一は、今回はきっぱりと固辞したそうだ。  それを聞いた零は心底ほっとした。  誰に何を言われようと寿一の隣に居続けると、自分に誓ったばかりなのだ。形も、呼び名も、零にはまるで意味はないけれど、寿一に「要らない」と拒まれるのだけが怖かった。  
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