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11.いつする?結婚
みんなには秘密だけど、僕とレオンは猫ちゃんだ。だから壁登りは得意。
同じ色を選んで登ると説明を受けたあと、レオンは手足を伸ばしてしゅるしゅるとゴールまで辿り着いた。
「初心者コースとはいえすごい!」
「手足が長いと有利だね」
「かっこいい!」
だなんて女の子に言われて、レオンはまたにこにこ嬉しそうだ。
今度は僕の番と促され、壁の前に立った。Sと書かれた石がスタートでGがゴール。同じ色だけを辿って、ゴールまで辿り着けばいい。簡単簡単。
スタート地点に足をかけて、僕は少しだけ振り返った。吉良くんはまだ後ろの方に立っていて、僕が登るのを見ていてくれるみたいだ。かっこいいところを見せたいと、僕はふうと息を吐いて気合を入れた。
僕だってレオンに負けてない。体のバネや長い手足を駆使しながら、するすると登り進めると、あっという間にゴールに触れた。
「やるじゃん」
地上に降り立ち、吉良くんの元へ戻ると、彼はそんなふうに声をかけてくれた。
「かっこよかった?」
「ああ、そうだな、かっこよかった」
ちょっと子供をあやすみたいな言い方な気もしたけど、吉良くんはそう言って僕を褒めてくれた。
レオンは吉良くんは僕で遊んだだけだなんて言ってたけど、今だってこんなふうに言ってくれて、僕のことが好きみたいだ。僕がこんなに吉良くんのことが好きなんだし、きっと吉良くんだって同じ気持ちに違いない。
少しして、吉良くんがみんなから離れた隙に、僕はその後ろを追いかけた。
登る壁のあるスペースからは扉を隔てて外に出て、その先に人間のトイレと少し手前に自販機や休憩用の椅子が並べられている。
僕は猫だからちょっと足音が人よりも静かで、だから吉良くんは後ろからついてきている僕に気が付かなかったみたいだ。
そのままトイレに入ってしまったから、僕は外のベンチで吉良くんが戻ってくるのを待っていた。
「どうした、なんか飲むか?」
出てきて僕を見つけると、吉良くんはそう言って自販機を指差した。
僕は立ち上がって、自販機の前の吉良くんの隣に並ぶ。吉良くんは先にボタンを押してスマホをかざして自分の分を買ったみたいだ。ガタリと音が鳴って、落ちてきたペットボトルを吉良くんが取り出し口から持ち上げた。
「どれにすんの?」
自動販売機が何かは知っているけど、僕は表示されたパッケージのうちどれが何かさっぱりわからずに、端から順に目で辿った。
そうしていたら、吉良くんがとなりでふっと笑い声を漏らした。
「冷たいの?温かいの?」
そう聞かれて「冷たいの」と僕は答えた。
「甘いやつ?んーそれかスッキリ系?」
「甘いの」
「マジか、運動しながらよく飲めんな」
そんな風に呟きながら、吉良くんはまたボタンを押してスマホをかざした。
ガタンと音が鳴って取り出し口から手渡されたのは缶飲料だった。黄色い文字でココアと書かれている。
プルタブを持ち上げて口をつけると、甘くてすごく美味しい。それに、なんだか飲んだことのある味だった。
吉良くんがベンチに座ったので、僕もその隣に少し間を開けて座った。
「吉良くん、いつする?結婚」
僕が言うと、ペットボトルに口をつけていた吉良くんが急に咳き込んだ。変なところに入ってしまったのか口元を拭っている。飲んでいたのは水だったのは幸いだ。
「え、お前、まさかそれ本気だったの?」
今度吉良くんは笑っていなかった。代わりに驚いたように眉を上げて、ぱちぱちと瞬きをしている。
「うん、本気!」
僕が言うと、吉良くんは困ったように視線を逸らして、浅く腰掛けていた背中を正して座り直した。
「あー、あのな。悪いんだけど、この前のことでお前がそう言ってるんだったら、あれは、なんというか、俺としてはノリみたいなもんでさ。そういうのじゃないんだよ」
「そういうの?」
「うーん、だから付き合うとか、まあ、結婚てのは実際問題無理だし」
「無理なの?」
「うん、少なくともこの国じゃ男同士は結婚できねえな」
「じゃあ、付き合うのは?恋人は?」
僕が矢継ぎ早に尋ねると、吉良くんはため息に近い息を吐いて、何か言葉を探しているようだった。
「なあ、牧瀬。あれは付き合うとか恋人とかってのじゃない。お互いわりと好みで気持ちいいことしたければ、ああいうことになることもあるんだ。わかるだろ?」
「わかんない」
ぜんぜんわからない。僕は吉良くんが好きだからあんなに仲良くしたんだ。
吉良くんはまたため息をついて、目元を片手で押さえて足元に顔を向けた。少しの間黙ったまま、また何か言葉を探しているようだったけど、不意に頭を上げると、僕の顔を確かめるようにじろじろと眺めてきた。
「まあ、お前顔はめっちゃ好みだし、アホっぽいのも嫌いじゃないけど」
「アホじゃない!」
僕が言い返すと、吉良くんの手が僕の頬を軽く摘んだ。
「つか、俺らじゃ合わないだろ…その、凹凸が」
「おうとつ?」
「ネコじゃないんだろ?おまえ」
「うん!チガウ!」(キリッ)
僕は背中を伸ばしてきっぱり告げた。
頬を摘んでいた吉良くんの温かい手はそこで離れて、今度は自分の顎をさすっている。
「うーん、別に俺、100%好きじゃなきゃ付き合わないってわけでもないけど……」
ぶつぶつ言いながら、吉良くんはまだ何か考えている様子だ。
「でもさ、やっぱ無理だろ。お互い欲求不満で満足できなくなるって。そしたら、俺は他で発散したくなる」
「ほか…」
「うん、だけど、俺は相手にそれされたらムカつくし、許せないってなる」
「んん?」
吉良くんのいう意味がよくわからなくて、僕は眉根を寄せて唸ってみた。
「だから、例えば、俺とお前が付き合ったとしても、俺は他の人とセックスするけど、お前が他のやつとやるのは許せないってこと。俺、そういう身勝手なやつだから」
「吉良くん、他の人とセックスするってこと?」
「セックスの意味はわかんのか……まあ、そういうことだ」
「嫌だ!」
「だろ?だからやめとけって」
「それは……もっと嫌だ……」
僕は奥歯をギュッと噛み締めた。
そのまま黙り込んでしまった僕の顎に、吉良くんが悪戯に指で触れてくる。撫でられて、堪らなくなった。吉良くんは僕を突き離したいのか引き止めたいのか、よくわからない。
「吉良くん、付き合って」
「話の意味はわかったのか」
「……うん」
たっぷり躊躇いながら、僕はやむなく頷いた。
吉良くんはふっと息をと漏らすと、僕の顎をくすぐりながら「おまえ、やっぱ可愛いな」と笑った。
「じゃあ、お試しな」
「お試し?」
「そう、お試し。お前か俺のどっちかが無理だと思ったらすぐ終わり。何も無かったことにすんの。それでもいい?」
僕は顎を撫でていた吉良くんの手首を掴んで顔を上げた。
「いい!いいよ!」
つまり、無理ってならなければいい。ただそれだけのことだ。簡単だ。
「じゃあ、そういうことで。全部飲んだ?」
吉良くんは持っていたペットボトルの蓋を閉めると立ち上がる。僕は慌ててココアを一気に飲み干した。吉良くんは僕の手から空いた缶を取ると、自販機の横にあったゴミ箱に放り込んだ。
「戻るべ」
促されて、僕は吉良くんの後について立ち上がった。
「あ」
なにか思い出したのか、吉良くんは突然立ち止まる。危うく背中にぶつかりそうになりながら、僕は半歩だけ後ずさった。吉良くんはスマホを片手に僕を振り返ってくる。
「てか、連絡先教えろよ」
「ん」
「SNSのID、教えろって」
「持ってない」
「へっ?」
僕の答えに吉良くんは眉を上げた。
「持ってねえの?スマホ」
「うん、持ってない」
スマホの存在は知っているし、それを人が連絡手段に使っていることも知っている。だけど僕たち三毛猫は誰もそれを持っていない。
「マジか。どう考えても迷子カードよりもスマホ持たせた方がいいだろ」
迷子カードじゃなくておウチカードだと訂正しようと思ったら、吉良くんがあたりに視線を巡らして何か探しているそぶりを見せた。
廊下の少し先にある掲示板の下に、アンケートの置かれた小さなテーブルがあった。その上にペンタテがあって、数本のボールペンが入っている。
吉良くんはそれを手にとると、自分の手に押し当ててペン先の感触を確かめた。その後で、僕の右手に手を伸ばして引き寄せると、手の甲をペン先でくすぐってくる。
「それ、俺の番号とIDな。スマホ買ってもらえよ。買ってもらったらそこに連絡して」
吉良くんがくすぐった後を確かめると、そこには数字とアルファベットが書かれていた。察するに、スマホを使って吉良くんと連絡を取る場合に必要なものなのだろう。
僕は一気に舞い上がった。吉良くんに繋がるものが書かれた自分の手の甲が、やたらと光り輝いて見える。胸がむず痒く泡立って、今は無いはずのしっぽがぴんと立ち上がった気がした。
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