12.デートみたいだ

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12.デートみたいだ

秋山を説得してやると意気込んだけど、意外とすんなり僕の要望は受け入れられた。  少し前までは牧瀬家で何か新しいことを取り入れる時はめんどくさいスタンプラリーが必要で大変だったと舌打ちした秋山だったが、最近は電子でなんでも済むんだそうだ。  それに、世間潮流を鑑みて、スマートフォンを持っていないのはあまりにも時代錯誤で不便であるという話はもともと上がってきていたようで、一週間も経たないうちに、三毛猫たちにはそれぞれ個人にスマートフォンが配布されることになったのだ。 「そうそう、それでお友達追加ってところを押すと、トークルームが作れるようになるよ」 講義の空き時間、中庭の空きスペースのベンチに座り、莉央が僕の手元を覗き込みながらそう言った。体が近くて、莉央の向こうに座っている河本は少し機嫌が悪そうだ。河本はいいやつだけど、莉央と僕が物理的にくっつき過ぎるのがあんまり好きじゃないみたいだった。 「試しに、私と河本の3人でグループ作ったから、何か送ってみて」 「何か…」 僕がその何かをどれにしようか悩んでいると、莉央が画面に綺麗な桜色の爪の生えた指を伸ばし、手際よく画面を操作した。  さっき買い方を教えてもらったスタンプのボタンを押すと、莉央と河本の手元でブルっとスマホが震えた音がする。 「お、ちゃんときたぞ」 河本が見せてくれたスマホの画面には、僕が送ったのと同じマグロのスタンプが表示されていた。 「じゃあ、今度は吉良に送ってみなよ」 莉央が吉良くんの名前を口にして、僕の胸が小さく弾んだ。あの時教えてもらった吉良くんのIDは手を洗う前に僕は何度も唱えて暗記した。  そして、莉央に教えてもらいながら、すでにこのスマホに登録済みだ。 「なんて送ろう?」 僕の指はやっぱり迷って、画面の上を行き来した。莉央が言うには何でもいいらしい。さんざん考えて、結局莉央たちに送ったのと同じマグロのスタンプを送った。  名前を書き忘れたと焦ったが、「たぶんそれでわかる」と莉央も河本も笑っている。  吉良くんからはすぐに返事が返ってきた。 『スマホ買ったの?』 と書かれている。2人が言った通り、僕からだってわかったみたいだった。 『買った!』 とすぐに返事を返すと、吉良くんからスタンプが返ってきた。サングラスをかけたちょっと不細工な猫が親指を立てているイラストだ。僕の方が可愛い猫ちゃんだけど、吉良くんは猫が好きみたいだとわかってよかった。 「もう操作わかりそう?」 「うん!ありがとう、莉央!」 僕はその後も立て続けに、吉良くんにマグロや猫のスタンプを送った。 だけど、返事が来たのは一回だけで、その後は待っているうちに、次の講義の時間になってしまった。  講義の間もそわそわ鞄の中が気になった。そういえば秋山が「スマホ依存には気をつけろ、今度特別講義でもやるか」なんて言っていた。たぶんこれのことかもしれない。  僕は講義が終わった途端鞄に手を突っ込んでスマホの電源を入れた。 そこにメッセージの受信を知らせる表示が出ていて、慌ててそれをタップする。  メッセージの差出人は吉良くんだ。 『この後会える?』 と、そう書かれていた。 🐾 僕は吉良くんと正門の前で待ち合わせた。 僕より先に吉良くんが待っていて、近寄るとすぐにスマホから顔を上げて僕をみた。その顔が笑顔を作ったものだから、僕は一瞬で胸のあたりを鷲掴みにされたようだ。 「お前、この前楽しかった?ボルダリング」 駅に向かって並んで歩きながら、吉良くんはそんな風に尋ねてきた。 僕がうんと答えると吉良くんは駅前の商業施設の中にあるスポーツ用品店に連れてきてくれた。  ちょうど、靴が欲しかったと言いながらも吉良くんは自分のではなく僕の靴を探してくれた。 猫の姿なら靴なんて必要ないけど、人間の場合は壁を登るだけで専用のシューズが必要になるんだ。この前はジムでレンタルしたけど、続けるなら手頃なやつを買ってみたらどうかと、吉良くんに勧められた。   「ネットでも買えるけど、こういうのはちゃんと履いてみた方がいいからな、これとかどう?」 吉良くんがディスプレイされていた一つを手に取り僕に見せた。黒ベースで白インクが散りばめられたクールなデザインだ。 「かっこいい!」 「よし、履いてみろ」 近くの椅子に促され、僕はそこに腰を下ろした。選んでくれたシューズに足を入れると、サイズ感はちょうどいい。だけど靴紐を結ぶタイプで、僕はなかなかそれが苦手だった。なんとか結んでみたけど、吉良くんはそれをみて笑っている。 「どんだけ箱入りなんだよお前」 言いながら、僕の正面に跪いて、吉良くんは靴紐に手を伸ばした。大きいけど綺麗な手が、しゅるしゅると僕の靴紐を結んでいく。  吉良くんのつむじがすぐ近くにあって、僕は手元とつむじを交互に見ていた。そうしたら吉良くんが顔を上げて「どう?」と僕に尋ねてくる。その目はすぐ近くで僕のことを見上げている。 「か…っこいい…」 呆然として言うと、また吉良くんに笑われた。 「俺じゃなくて靴を観ろよ」 「ごめん…」 吉良くんはまた僕の足元に目を落として靴紐を解いた。 「これはダメだな、紐のないタイプにしよう」 吉良くんが選んでくれたのは、黒にブルーのラインが入った靴紐を結ばなくても捌けるタイプのものだった。  最初はそんなに高いやつを買わない方がいいと言われたから、多分お手頃価格ってやつなんだと思うけど、僕にはよくわからない。  だけど牧瀬家からある程度自由に使えるお金はわたされていて、それを使ってもまだだいぶ余っている。  店を出て、僕は吉良くんが選んでくれたシューズの入った袋をぶら下げ上機嫌で歩いていた。 「今度レオン、連れてくる」 レオンもこの前のボルダリングが楽しかったと言っていたし、もともと人間の服やら靴やらを揃えるのが好きなようだ。だからきっと連れてきたら喜ぶはずだ。 「レオンってこの前一緒に来た従兄弟?」 「うん、そう」 僕が答えると、吉良くんは少しの間黙っていて、何かを考えているようなそぶりがあった。  ちょうど信号で足が止まったところで 「お前ってさ、わりと小さい妹とかいる?」 と尋ねられた。  なぜそんなことを聞かれたのかわからなかった。 ちなみに妹はいる。猫なので人間よりも兄妹が多い。  だけど多分吉良くんは、人間の姿の妹のことを言っているのだろう。人間になれるのは三毛猫の中でも雄だけだ。だからこの場合はノーと答えるのが正しい。  僕が首を横に振ると、吉良くんは「そうか」とだけ言って後はそのことについて何も言わなかった。 「吉良くんは?妹、いる?」 信号が変わり、横断歩道を渡り切ったあたりで、僕は吉良くんに尋ねた。 「妹はいないけど、弟がいる」 吉良くんに弟。これは興味深い。 「似てる?」 「……いや、似てない。つか、まだこんな小さい」 こんな、と言うところで吉良くんは腰の下よりももっと低い位置に手をかざして見せた。幼い弟だと言いたいらしい。  少し歩いたところで、吉良くんは僕をコーヒーショップに連れてきてくれた。  カウンターの前でメニューを見上げて焦っている僕に、吉良くんはこの前みたいに「冷たいの?」「甘いの?」と確かめるように尋ねてきて、代わりに飲み物を買ってくれた。  席について買ったドリンクに口をつけたら結局また冷たいココアだった。でも美味しいから問題ない。  吉良くんのカップにはブラックのコーヒーが注がれている。僕の目の前に座ってコーヒーに口をつける吉良くんはまるで絵に描いたみたいだった。周りの女の子たちがチラチラとこちらを気にしている様子なのは多分吉良くんがかっこいいからだ。  僕は得意になって、無意識にフンと鼻を鳴らした。 「何笑ってんだよ」 「ワラッテナイ」 「うそつけ」 吉良くんはカップを置くと手を伸ばして、この前みたいに僕の頬を軽く摘んだ。痛くはないけどどちらかといえば顎を撫でてほしいなと僕は思った。 「うそ、カップルなのかなー」 「え、デートってこと?」 「仲良し、眼福」 少し離れたところから、微かにそんな女の子の会話が耳に入った。  僕たちのことを言っているような気がした。僕も彼女たちの意見に同意する。2人で一緒に出掛けてカフェでコーヒー(とココア)を飲むなんて、まるで… 「吉良くん、これ、デートみたいだ」 僕が言うと、吉良くんはコーヒーに口をつけながら眉を上げた。カップを置いて 「俺はそのつもりでいたけど」 というと口元だけで笑った。  その一言で、ただでさえさっきから落ち着きのなかった僕の胸元は一気にざわついた。 「デート、はじめて」 デートが何か知っているのは、事前講義で教わったからだ。好意を認め合った2人が一緒に出かけること。僕と吉良くんはさっきからデートをしていたらしい。すごい! 「まじ?」 初めてだと言った僕に、吉良くんは信じられないとでも言うような様子だった。そんなに驚くと言うことは、きっと自分は初めてではないのだろう。鳩尾のあたりが少しだけチリチリとした。 「うん、まじ、はじめて」 僕は吉良くんの言葉に頷いた。 「お前って、今までそう言う付き合いしかしてこなかったの?」 「そういう…?」 聞き返すと、吉良くんは周りの様子を伺うように視線を動かして、その後で指を動かして手招きするような動きをした。  僕は少しテーブルに身を乗り出して、吉良くんの方に耳を向ける。吉良くんも体を傾け僕の耳に口元を寄せた。 「だから、セックスとかそう言うことしかしない関係ばっかりだったのかってこと」 「セッ……!」 「しっ!」 驚いて思わず背筋を正して大きな声をあげそうになった僕に、吉良くんはすかさず口元で人差し指を立てて見せた。その動きで僕は人間界では卑猥な言葉を喉の奥に押し戻した。 「したことないよ…吉良くんとしか」 体を低くして吉良くんの耳元に顔を近づけて僕はそう言った。 「えっ、まじ?!」 今度は吉良くんが驚いたのか、肩揺らして大きな声を出していた。思わず出てしまったようで、その直後に周りの様子を気にして、また声を抑えるように少しだけ背中を丸めている。 「冗談だよな?」 「ホント」 「まじで、経験ないの?」 「うん、ないよ、吉良くんとしか、セックスしたことない」 「いや、あれは…セックスじゃないけどな?」 「…………えっ?!」 「え?」 「あれ、チガウの?」 「ちげーだろ、お前何歳だよ、正気か?」 吉良くんは珍しい生き物でも観察するみたいに僕の顔を覗き込んでいる。 「なに、おまえんち宗教厳しいとか?」 「んん?」 もうよくわからなくて、僕は首を傾げるしかなかった。 「え、つか、それでネコじゃないってどういうことだ?」 「んん?」 またよくわからなくて首を傾げた。 「猫じゃないよ」 とりあえず、念入りに否定しておく。 吉良くんはしばらく眉根を寄せて僕の顔を見ていた。そのまま2、3回コーヒーに口をつけた後、短く息を吐いて体を起こし背もたれに背中を投げ出した。 「いいや、なんか、追々どうにかできそうな気がしてきたわ」 「おいおい?」 「うん、そう。おいおい…つーか、たぶんわりとすぐ」 そう言って、テーブルに頬杖をついてニヤリと笑った吉良くんは、今度は一瞬だけ掬うように僕の顎を撫でてきた。  コーヒーとココアを飲み終えたのはそれらがすっかり冷めてしまってからだった。  それまでの間、吉良くんは僕に何が好きかとか行ったことある場所はどこかとか他愛もない質問をして、それに僕が答えると、たまに変なことを言ってしまったのか笑われた。  僕が吉良くんに同じように質問を返すと、いくつかはちゃんと答えてくれたけど、いくつかは曖昧に流された。  吉良くんは家族の話をするのがあまり好きじゃないみたいだった。 嫌いなのかと聞いてみたら、嫌いではないらしい。  
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