16.友達はデートしない

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16.友達はデートしない

吉良くんの寝室のベッドはとても大きい。  牧瀬家の僕の部屋にも人間の姿で寝るためのベットがあるけど、吉良くんのベッドはその倍くらいの大きさがある。そして僕のベッドには枕はひとつだけど、吉良くんのベッドには四つも枕が並べてあった。  僕はそのどれに頭を置いていいのかわからず、あれこれ試してみたけど、結局真ん中の二つの枕の間に挟まって埋もれてみた。不思議なことに、それが一番安心してしっくりきたのだ。  吉良くんは僕の髪を乾かして、濡れていない服を貸してくれた後、僕をこの寝室に寝かせてくれた。僕は吉良くんと一緒に寝たかったけど、吉良くんはリビングで寝たみたいだ。  朝目が覚めても、僕は大きなベッドの中で1人きりだった。  寝室の窓も大きくて、向こうの壁一面に、長いカーテンがかかっている。その隙間から溢れる光が、もう夜が明けていることを示していた。  まだうとうととベッドでまどろんでいると、寝室のドアが開き吉良くんが入ってきた。  枕の間の僕の顔を覗き込んで、起きていることを確かめると、長いカーテンをゆっくりと開いてタッセルで止めている。  思ったよりも日が高くて、朝というより昼近いのかもしれない。 「みんな先に帰った。お前はちょっと具合が悪いから休んでくってことになってるから」 吉良くんはそう言うと、ベッドの脇に腰を下ろした。少し体を傾けて、横向きに寝ていた僕の前髪を掻き分けると、手に持っていたものを頬に押し当ててきた。それはタオルに包まれていて冷たかった。僕の頬が腫れているらしく、それを冷やしてくれているみたいだ。 「吉良くん、痛い?」 保冷剤を押し当てる吉良くんの手には、僕の噛んだ後が残っている。手を伸ばして撫でるように軽く触れると、吉良くんは困ったような笑顔を浮かべた。 「まあ、噛まれた時は痛かったけど。今は平気。見た目ほどいたくねえよ」 見た目ほどと言うことは多少は痛いのだなと僕は思った。 「ごめんね?」 「いいよ、俺もごめん」 言いながら、吉良くんは僕の隣にごろんと体を横たえた。手は僕の頬に冷たいタオルを当てながら、向かい合うような形になっている。 「お前がさ、騙すとか裏切るとか、そういうことするタイプじゃないってのは、見てればわかるのにな。つい、頭に血が登っちゃってさ」 吉良くんの言葉に、僕は小さく頷いた。 「吉良くん、大好き」 僕が言うと、吉良くんはまた困ったような笑顔になって、しばらく何も言わなかった。  タオルを離して頬の具合を確かめるように覗き込むと、その流れで僕の額に一瞬だけ軽く口付けた。 「なあ、牧瀬。辞めよう、俺たち」 吉良くんの言葉に、僕は頬に伸びていた彼の腕をギュッと掴んだ。 「なんで?」 辞めようとは、付き合うのを、恋人をやめようと言う意味だ。それは僕にもわかった。 「ほんとに、お前は悪く無くて。俺の問題なんだ」 「吉良くんの?」 「うん」 吉良くんは頷いた後、少しの間次の言葉を探しているようだった。僕は黙ってそれを待った。 「ごめん、うまく言えないんだけど。俺、あんまりちゃんとするの得意じゃ無くて。ちゃんとするって言うのは、この場合、付き合うとかそう言うことだけど。そう言うの、得意じゃ無くて…」 「うん……」 「どうしてもびびっちゃうんだよね。相手のこと信じられなかったりとかさ、大事にしたり、好きになったりして裏切られたら怖いなって。そのくせ、自分の方は失った時の傷和らげるために、他の誰かと繋がり保ってたりさ。俺、ひどいだろ?」 「うん……ひどい……」 やっぱはっきり言うなと、吉良くんは笑った。 僕の頬からタオルを外して、ベッド脇に置いている。タオルを当ててくれていた場所に手を置いたら、冷たい皮膚の感触があった。 「吉良くん、信じて、大好き」 「うん、わかってる」 頬に触れた僕の手に、吉良くんがその手を重ねた。冷たいタオルを握っていたせいか、吉良くんの手も熱を失っていた。 「だからダメ。お前、可愛いし、アホだけど、可愛いし……マジでアホだけど…いい奴だから傷つけたくないんだよ」 「アホ……言い過ぎじゃない?」 僕が眉を寄せると、吉良くんが吹き出すように笑った。その後でまた、額に一瞬口付けた。 「なあ、牧瀬。悪いのは全部俺。そんな風に言ってくれるお前のことすら信じられないんだ」 「吉良くん、イヤだ、やめたくない」 僕は縋り付くように、吉良くんの胸元に額を押し当て、衣服の袖を握りしめた。 「ごめん、昨日はっきり思ったんだよ、俺、お前にあんなことする自分すげえ嫌い。お前が嫌なんじゃなくて、自分が嫌なの」 「イヤだ…」 僕は子供みたいに、ぐりぐりと吉良くんの胸元に顔を押し当てた。吉良くんは僕の後頭部を、ぽんぽんと軽く2度叩いた。 「わかれ、牧瀬。自分が嫌いなのって結構きついんだぞ」 僕は自分のことが好きだ。それに吉良くんのことが大好きだ。だから自分が嫌いだっていう吉良くんの気持ちがあまりよくわからない。  だけど、結構きついって…すごく辛いと言う意味だ。吉良くんは、僕といるのが辛いらしい。 「だから、俺らは今から友達な?」 「友達…」 僕は吉良くんの胸から顔を上げた。見上げた吉良くんの表情は穏やかに笑っている。 「そう、友達。サークルで会って、たまにみんなで飲んで、そんな感じ」 「デートは?」 「しねぇな。友達はデートしない」 「ええ、いやだ」 僕は眉を寄せて抗議した。 「デートしたらムラムラすんだろ。だからダメ」 「しないよ」 これは嘘だ。するかもしれないが、ここはしないと言うしかない。 「いや、俺がする、たぶん」 「いいじゃん!」 吉良くんは僕の額をペチンと手のひらで叩いた。痛くなかったけど、いい音がした。 「だーめ。俺はちゃんとは付き合えないって言ってんだぞ。体の関係だけとか、お前はそういうのは辞めとけ、向いてない」 「うぅ……、できるよ」 食い下がってみたけど、吉良くんは首を振って体を起こした。僕から距離を取るように、ベッドの縁に座り直している。 「無理無理。お前、俺のこと好きすぎるもん。そんなやつ相手にするなんて、俺の罪悪感限界突破するわ」 「げんかいとっぱ……?」 「あー、つまりさ。総括すると、俺は軽い付き合いがいいの。俺がまあまあ好きかなって思う相手で、俺のことをまあまあ好きかなって思ってるような人?そんな感じの人と、適当にやってるのが一番楽でいいんだよ」 僕の頭に、教本に描かれたマジシャンのカードを肉球でペシリと叩く三毛猫姿のレオンが浮かんだ。なるほど、これのことか。  結局僕は、それ以上吉良くんへ返す言葉を見つけることができなかった。  そうして、僕と吉良くんのお試し期間は1週間も経たないうちに終わってしまったのだ。
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