17.おかえり、猫ちゃん

1/1
353人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ

17.おかえり、猫ちゃん

外泊許可はとったものの、次の日も遅くに帰るのはなんとなく気が引けて、僕は明るいうちに吉良くんの家から牧瀬家へと戻ってきた。  門扉を通り、玄関までで辿り着いてから、一度ぴたりと足を止めて、玄関脇の窓に映った自分の顔を確認にした。  うっすらと映った自分の頬は、腫れは少しはマシになっているがやはりまだ傷が残っている。 これは秋山に見られないようにしなければ。  そう思い、玄関の扉を音を立てないようにそっと開いて、中の様子を伺った。誰もいないようなので、足音を立てないように玄関の中に入り込んだ。 「おかえり、猫ちゃん」 「んに"ゃーぁ"!!」 驚きすぎて、出したことない鳴き声が出た。 玄関内の扉のすぐ脇に、春日が立っていたからだ。覗いた時はちょうど死角になっていて見えなかったようだ。  今日も白い服を着ている春日はその細くて開いているのかわからない目で、人間の姿の僕の顔を覗き込んだ。その視線は早々に、頬のあたりを捉えている。  僕の上げた声で、他の三毛猫達が何事かと階段をとことこ降りてきたが、僕の相手が春日だとわかると、ヒュンと尻尾を振って回れ右。みんな部屋へと逃げるように戻って行った。 「おやぁ、どうしたのかなこれは」 春日はわざとらしくそう言いながら、僕の顎を掴んでぐいと首を横向かせる。頬の傷が春日の方を向いていた。 「転んだ」 僕は咄嗟に嘘をついた。 事故だったとはいえ吉良くんにやられたなんて言ったら大問題だ。それに、その原因とも言える、僕が吉良くんに噛みついてしまったことも、もちろん言うわけには行かない。 『もっと悪さをしたら、君たちは二度と人間にはなれなくなる』 あの時の春日の言葉が頭に浮かんだ。 「転んだ?顔から?」 「そ、そう!顔から!」 「うーん、それにしては…」 春日は僕の顎を掴んだまま、ぐっとその顔を寄せてきた。細い目元も近くで見ると、ちゃんと眼球があるとわかる。しかも近距離で見つめられ、その虹彩がピンとを合わせるみたいに微かに動き、僕の体は硬直した。 「殴られたみたいな、跡だねえ?」 そう言って、春日は10秒ほど、近距離で僕の顔を覗き続けた。 ようやくその顔が離れ顎が解放されてから、僕は背中にぐっしょりと汗をかいていることに気がついた。  『目が笑っていないやつには気をつけろ』 講義での秋山の言葉が浮かぶ。 今、僕の目の前にいるこの人は、目しか笑っていないんだけど、その場合はどう判断したらいいのだろうか。 「正直に言いなさい猫ちゃん。記憶を整理するだけじゃなくて、猫ちゃんに危害を与える人を君らから遠ざけるのも僕の仕事なんだよ?」 「と、遠ざ……ける……?」 恐る恐る、僕は聞き返した。 「制裁を、与えるってこと」 春日はそう言いながら、親指を自らの首に押し当てて右から左へと動かしてみせた。架空の首を切る仕草だ。白い服を着た死神がここにいる。 「ほ、ほんとに!本当に転んだ!」 僕は焦って声を上擦らせながら後ずさった。 春日はそんな僕を、変わらず細い目で見つめている。 「も、もう部屋戻るね、日報も書かないと!」 しゅるりと春日の脇を抜け、僕は躓きそうになりながら自室のある二階に登る階段に走った。 「日報といえば…」 一段目に足をかけたところで、春日の声が僕を呼び止める。 僕は無視するわけにも行かずやむなく振り返った。 「良く名前が出てくるね?君の日報に…」 「……へっ?」 「吉良くん…だっけ?」 僕はゾッとして背中の毛(今ないけど)が粟だった。ヒュッと息を呑み、気がついたら春日の前から逃れるように階段を駆け上がっていた。 自室に飛び込みドアを閉めると、ベッドに飛び込み頭の上から布団を被る。  別に何をするとも言われていないのに、春日の口から吉良くんの名前が出ただけで、僕は怖くて立っていられなくなりそうだった。  春日が僕らにとってなくてはならない存在で、嫌われ者の損な役回りなことも理解している。 だけど、目しか笑っていないあの男が、僕はやっぱり怖かった。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!