2.猫だとバレてはいけません!

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2.猫だとバレてはいけません!

秋山(あきやま)が教卓に手を置いた。ちょっと動きが粗雑な彼はそれだけで大きな音を立てる。   いつも黒っぽい服を好んで着るが、僕らがまとわりつくせいでだいたい毛だらけの秋山は、いつもコロコロを小脇に抱えていた。 「いいかお前ら、しつこいようだがもう一度ルールの確認!みんなで復唱!さん、はいっ!」 「その「そのい「そのいち」ち」いち」 「えーいっ!アホンダラっ!バラバラじゃい!ちゃんと揃えんか!」 「チッ」 「コラ!誰だ今舌打ちしたのっ!」 声を荒げる秋山の言葉に答えるものはいなかった。  ここは世田谷区の住宅街。その一角の、一際大きな猫屋敷。「牧瀬(まきせ)家」である。  西洋風な煉瓦造りの門扉の中は、手入れされたこれまた西洋風のお庭があって、花々に囲まれた三角屋根が僕らの家だ。  脇に建てられた平屋の別棟は、教卓といくつかの机が並べられた空間になっていて、こうして僕ら三毛猫たちが教育係から指導を受けているのである。  牧瀬家と便宜上家族のような名前だが、その実態は三毛猫を人間界に送り出すための組織なのだ。実は僕ら雄の三毛猫にだけに備わった特殊能力がある。お察しの通り、それは人間になれることだ。  ぷんすか怒りながらコロコロを衣服に撫で付けているこの秋山という男は牧瀬家の教育係だ。  ぴっちりワックスか何かでその黒髪を撫で付けて、いつも眉間に皺を寄せているから老けて見えるが、人間としてはまだそこそこ若い方らしい。   彼は不慣れな僕らに人間界での立ち回りや作法などを教える人だ。  秋山のように猫の言葉を理解する人間は、かつて僕らのように教育を受けて人間界で暮らすようになった三毛猫の血を引く子供。彼らは猫にはなれないが、僕ら猫の言葉を完璧に理解する。 「いいかい猫ちゃんたち。ルールを守らないと大変な思いをするのは君たちだよ。もしルールを破ったら僕が全部記憶を消すよ。もっと悪さをしたら、君たちは二度と人間にはなれなくなる」 にこやかな顔で怖いことをいうこの男は春日(かすが)だ。目が細くて開いているのかいないのかよくわからない。いつも笑っているように見えるけど、本当は笑っていないのかもしれない。歳は秋山と同じくらいらしい。  春日は白い服をよく着ているけど、僕らは怖くてあまり春日に近寄らない。だから春日の服はいつも綺麗だ。  彼も秋山と同じく人間になった三毛猫の子供。ただし、彼の役目は僕らの教育係じゃない。 「そうだぞお前ら、せっかく女の子と仲良くなっても春日に記憶を消されちまったら何の意味もないからな?」 秋山はそう言ってフンと鼻を鳴らしている。  そう、春日の役目はお掃除係。部屋の掃除のことじゃなくて、やらかしちゃった猫ちゃんのために、記憶のお掃除をする係だ。  牧瀬家には猫の言葉がわかるだけでなく、ごくたまに記憶を消せる能力を持って生まれる者がいる。春日はその数少ない能力者の中で関東地区の担当なのだ。  ちなみに牧瀬家支部は各地の三毛猫たちのために、北海道から沖縄まであらゆる場所に点在している。 「女の子の記憶消されちゃうなんて最悪」 「人間になれなかったらもうチキン食べられないかも」 「サシミだって怪しいぞ?美味いやつはお店でしか出ないって」 「俺はチューリュさえあれば……」 「ええい!うるさいぞ!私語は慎め!静粛にっ!」 また秋山が教卓に手を置き大きな音が鳴る。猫たちはバビンと尻尾を立てて静かになった。  僕含めて六匹いる人間候補に混ざり、僕も後ろで尻尾をピンと立てていた。 「とにかくルールの復唱だ!それが終わったらご飯タイム!はいっ、せーのっ!」 ①人間の前で猫にならない、猫だとバレてはいけません! ②猫ちゃん大好きな人間のパートナーを見つけること! ③人間の文化に溶け込むために最善を尽くすこと! 「よし、他にも色々ルールはあるが、この3つは最低でも肝にめ」 「うにゃー!ゴハン!ゴハンー!」 「秋山、今日のご飯何?チキン味?マグロ味?」 「カリカリとウェットの比率はちゃんと5対5で頼むぜ!」 「こら!纏わりつくなっ!毛がつくだろがっ!」 秋山は声を荒げてコロコロを振り翳しているが、彼が絶対僕らを傷つけないことはわかっている。だから、僕らは口うるさい秋山をちょっとだけナメていた。 「おい、おまえ、ちょっと待ちなさい」 次々にご飯ご飯と別棟を飛び出して行った三毛猫たちに続こうと、僕が扉に差し掛かった時、秋山に呼び止められて振り向いた。 「今度、飲み会に行くらしいな?」 日々の行動は日報にして報告している。僕らが人間として暮らせるかは、その日報や日々の行い、そしてパートナーを見つけたかどうかなど総合的に判断されるのだ。 秋山の言葉に僕は頷いた。今週末、吉良くんに会うために飲み会に行く。 「いいか、酒は気をつけろ。飲みたいなら多少は飲んでもいいが、酔っ払って猫になっちまって、全部台無しになったやつを何匹も見てる」 「わかった。酒ね?気をつける!」 真剣な顔の秋山に、僕も前足を揃えてビシッと座って頷いた。 「あとな、お前……あれだ、今は多様性だなんだっつう時代だからな、相手が女の子じゃなくてもいいが、その場合はきちんと経済力は見極めろよ?保護猫数匹預かれるくらいの甲斐性がないやつは、牧瀬家からパートナーとして認められないぞ」 秋山は口うるさいが、僕らのことを心配して言っている。それは僕も他の三毛猫たちもわかっている。 「けーざいりょくね!わかった!」 実はあまりよくわからない。だけどお腹が空いたから、わかっことにしておいた。  秋山はまだなにか言いたげだったが、僕のお腹がぐうとなってそれを合図に話が終わり、僕は秋山に背を向けて、ご飯をもらいにさっさと別館の外へと飛び出した。
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