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3.ココです!ホッケ!
「莉央!なんなのコレ!美味しい!すごい!」
僕は思わず興奮して声を上げた。
週末の夜、ここは居酒屋という場所らしい。長い机が三列ほど並べられた空間は、サークルの貸切の席なんだって。どのテーブルにも人が肩を寄せ合って座っていて、とても賑やかだ。
僕の周りには女の子がいっぱい座っている。みんなにこにこと僕の顔を眺めていて、そして今僕は隣の莉央が勧めてくれた「マグロのサシミ」に感動している。
「ふふ、そんなに気に入ったの?」
「うん!すごい、美味しい!」
僕が言うと、周りの女の子たちは「可愛い」とか何とか言いながら、キャッキャと楽しそうにしている。
「ねえ、牧瀬くん!私のもあげるよ?」
向いの席に座った女の子が言った。彼女の前のお皿には、マグロが残っている。
「食べたい!ちょうだい!あーん」
そう言って、口を開けて見せると女の子は「きゃー❤︎」と賑やかな声を上げながら、お箸でマグロを僕の口に運んでくれた。
「美味しい、ありがとう」
そう言うと、顔を真っ赤にして口元を手で抑えている。この部屋の空調は僕にはちょうどいいけど、人間はちょっと暑がりなのかもしれない。
それにしても、人間の食べ物はどれもとんでもなく美味しい。オサシミ、カラアゲ、ヤキトリ、あとはさっき莉央が注文してくれた焼きホッケも楽しみで仕方ない。
「お、やっと来たな、吉良!こっちこっち!」
女の子たちに紛れて僕の斜向かいあたりに座っていた河本が部屋の入り口に向かって手を上げた。
騒がしいから多分そっちまで声が届いていない。入ってきた人物は河本が手を上げてやっとこちらに気がついたようだ。
僕の胸は高鳴って、慌ててマグロを飲み込んだ。
ーー吉良くんだ!吉良くんがきた!
吉良くんは周りの人間と比較して相対的に背が高い。目元はしゅっと切れ長で、その間を通る鼻筋がなんだかしなやかでとってもバランスがいいんだ。繊細な顔立ちだけど、全体的な雰囲気は骨格がしっかりしている。あとは真っ黒な髪も黒猫ちゃんみたい。三毛猫も悪くないって思うけど、艶やかでシンプルな毛色はちょっとばかし憧れる。
「なんだここ、ハーレム出来上がってんじゃん」
吉良くんは心地のいい低い声だ。とっても落ち着く。その低い声で周りの女の子たちと、その後で僕のことを見てそう言った。
ハーレムの意味は知っている。雄ライオンがメスを侍らすあれだ。ライオンに例えられて、悪い気のする猫はいない。
「なんか、毛色の違うのがいるな?誰?」
女の子たちがぎゅうぎゅうに詰めて、僕の目の前の席を開けた。吉良くんは遠慮する素振りすら見せずに、そこに腰を下ろす。
そうすると自然とどこかから、たぷたぷに泡の張ったビールが運ばれてきて、そのジョッキの取手を握った吉良くんは、僕よりももっと、黒いライオンみたいだった。
「あれ、吉良、知り合いじゃないのか?編入生の牧瀬くん」
河本がまたメガネを直しながらそう言った。
吉良くんは、周りとグラスを合わせて音を鳴らすとそれをぐっと飲み込んだ。その後で、正面から僕の顔を覗き込んで首を捻った。
「知らねえな?外人?日本ぽい名前だからハーフか?下の名前は?」
矢継ぎ早に尋ねておきながら、吉良くんはそこにあった焼き鳥を摘んで齧り付いた。食べてから、自分が何を食べたのか確かめるみたいに手元を見ている。
「ツナ!」
僕がいうと、吉良くんは焼き鳥から顔を上げた。
「これはツナじゃなくてモモだな」
吉良くんは食べかけの焼き鳥を僕に見せてくる。
「違う、ツナ」
「ん?」
首を捻った吉良くんの前に、莉央が呼びかけるようにひらひらと手をかざした。
「あのね、彼の名前。牧瀬ツナくん」
莉央がいうと、吉良くんは顔の前で泡が弾けたみたいに眉を上げた。その後で、顔を伏せて肩を震わせ笑っている。
どういうわけか僕の名前を教えると、人間たちは笑ったり、複雑な顔をするんだ。最高にデリシャスな名前だって教えられてきたのに、なんだか腑に落ちない。
「あのさ、牧瀬くん吉良のこと知ってるみたいなんだけど、吉良はほんとに知らない?」
「……うーん」
莉央の言葉に吉良くんはまだちょっと口元に笑いを残しながらもう一度僕の顔を見て首を捻っている。
「吉良くん!僕、知ってるよ!」
僕はそう言ったけど吉良くんの表情はやっぱりわからないという風だ。
「吉良くん!会いたかった!」
テーブルに手をついて身を乗り出した僕に、吉良くんは驚いたのか避けるように体を引いた。「何だよ」と言われたので僕は彼の鼻を追いかけるようにさらに身を乗り出した。
河本が手元のグラスが倒れないように退けてくれている。
「吉良くん、大好き、会いたかった!」
居酒屋の中は談笑する他のサークルメンバーの声で騒がしかった。
しかし、僕の言葉が聞こえたらしいこのテーブルのメンバーは驚いた表情で動きをとめて、口をぽかんと開けている。
吉良くんも同じ表情だった。その後で「え?何?」と眉根を寄せた。
「ホッケお待たせしました」
店員が向こうから声をかけた。美味しそうなホッケを抱えている。
「ココデス!ホッケ!」
手を上げて呼びかけると目の前のテーブルに並べてくれた。実にいい香りでなんだかジワジワと音が鳴っている。
「莉央、食べさせて?」
「え?あ、う、うん」
僕が言うと、ぽかんとしていた莉央が我に帰ったようにお箸を握った。
「おい、お前」
「あ、吉良。牧瀬くんちょっと変わってて、見ての通り距離感バグってるから気にしない方が」
河本が吉良くんに何か説明してる。僕が変わってるだなんてちょっと失礼だ。でもそんなことよりホッケがうますぎる。
「吉良くんも食べる?スゴくオイシイ!」
尋ねると、吉良くんはなんとも言えない表情で首を小さく横に振ってから、もう一口ビールを流し込んだ。
それから少し時間が経って、人気者の吉良くんは、あちこちの席から声をかけられ、その度にグラスを持って場所を変えて席に座ってみんなと話して笑ってる。
僕はホッケを箸でツンツン突きながら、そんな吉良くんをこっそり見ていた。はやく戻ってこないかな、なんて思っていたら、やっと吉良くんが僕のところにやってきた。莉央がすかさず席を開けて、僕の隣に吉良くんが座った。
吉良くんは顔が赤かった。「暑いの?」って聞いたら、斜向かいに移動していた莉央が「それ酔ってるんだよ」と笑った。
「これくらい酔ったうちに入らねえよ」と嘯きながら、吉良くんは詰め寄るように僕の顔を覗き込んだ。
「うーん、やっぱり覚えてねえな。この顔は忘れないと思うんだけどな」
吉良くんはまだ首を傾げている。いつのまにかずいずい壁際に追い込まれていた。
吉良くんの肩越しに、ポテトが見えている。僕はそれを食べたいけど、吉良くんがいると手が届かない。
「吉良くん、ポテト食べたい、どいて?」
「ん?これ?はいよ」
吉良くんは退いてくれないまま、自分の手でポテトを数本掴むと、僕の口元に近づけた。
僕はポテトに食いつくと、間違えて吉良くんの指まで口に入れてしまった。やっちゃったと思って吉良くんの顔を見上げたけど、怒ってはいないようだった。
「うまい?」
「オサシミの方がすき」
「そうかよ」
そう言って、吉良くんは楽しそうに笑った。何が楽しいのかよくわからないけど、お酒を飲むとなんでも楽しくなっちゃう人がいるのは習った。吉良くんはそうなのかもしれない。
「牧瀬くん、気をつけろよ。吉良は顔が良けりゃ誰とでもやるタイプだぞ」
少し離れた席から男子学生の揶揄する声が聞こえてくる。
「確かに、この顔ならできそうだわ」
吉良くんがその声に冗談めかして切り返すと、男子は笑って、女子はキャーとか、やだーなんて声を上げながら、でも顔は嬉しそうに笑っている。
莉央だけは何か知っているのか、ちょっとハラハラした顔をしている。その隣で河本が酔っ払って船を漕いでいた。
「何やるの?僕もできる?」
尋ねると、また吉良くんは泡が弾けたみたいな顔をして、その後で誰にも見えない角度で目を細めて笑って見せた。
遠くの席で誰かが何か面白いことを言ったらしい。笑いが起きてみんなそっちに視線を向けた。でも吉良くんはまだ僕の顔を覗き込んでいて、僕はその吉良くんがかっこよくて目が離せなかった。
「まあ、お前次第かな」
僕にしか聞こえないくらいの声で、吉良くんがそう言った。
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