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5.トリトン
きちんと薬を飲むようになり、トリトンの下痢は翌日には収まった。
ドッグフードも少しずつ、食べるようになった。
相変わらず玄関を気にはしているが、それでも前ほどべったりと座り込んではいない。
ゆっくりと前に進み始めたトリトンを見ながら、俺は思い出す。
トリトン。その名前の由来を。
名付け親はニイナだ。プラネタリウムが大好きなニイナはよく星の話をしてくれて、トリトンの名前も星からつけられた。
海王星の衛星、トリトン。
なんでその名前をつけたのか訊ねた俺に、ニイナは目をきらきらさせながら言った。
「トリトンはねえ、太陽系中の逆行軌道を持った衛星の中で、最も大きな衛星なの」
「ぎゃっこうきどう、ってなに?」
「うーんと、まあ、たとえば月って地球と同じ方向に公転してるじゃない? でもトリトンは海王星の周りを海王星とは逆向きに回っているの」
知らなかった。しかしそれと犬の名前をトリトンにするのとどういう関係があるのだろう。疑問丸出しの顔で見返すと、ニイナは恥ずかしそうに笑った。
「そういうのちょっとさ、かっちゃんぽいじゃない? かっちゃんもさ、こう自分で決めたことは人がどう言おうがどう思おうが自分の意思で進んでいくじゃない。流れとか関係なくさ。そういう強さ、みたいなの? そういうの持つ子になりますように〜って思ってね」
トリトンの頭を撫でながら、俺はニイナの言葉を思い出す。
俺はニイナが言うほど強い人間ではない。衛星トリトンのような確固たる意志を持って逆行できるタイプでもない。未だに仕事ではおたおたすることも多いし、大事なことを見落とすうっかり人間だ。
でもトリトンは……チワワのトリトンは確かに強く育ったと思う。
大嫌いな薬だってちゃんと飲めたし、ニイナとの別れの寂しさも着実に乗り越えようとしているように見える。
相変わらず俺には懐いているとは言い難い、不遜な顔をしてみせることも多いが。
だが、その彼を見ているとなんだか俺まで前を向けるような気がしてくる。
そういう意味では……トリトンは俺にとって薬みたいなものかもしれない。
とっつきにくくて、どう扱っていいかわからなくて。
でも……飲み込むことで俺を変えてくれる。そんな、存在。
玄関を開けると、軽い足音が近づいてくる。部屋の奥からトリトンが走って来る。
スーツ姿でトリトンを抱き上げると毛まみれになる。ちょっと面倒だな、と思ったが、軽やかに走って来るその顔をみていたらどうでも良くなった。
「トリトン、散歩行こうか」
着替えもせずそう言うと、トリトンはふわふわのはたきみたいな尻尾を大きく振って、行こうぜ、と笑った。
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