1.ふたりぼっち

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1.ふたりぼっち

 人としてやっていいことと駄目なことはある。  ニイナのこれは絶対にアウトだと思う。  俺は俺の前に所在なげに座る白と茶色の塊を見つめる。  現在、自分がどんな状況に陥っているのか、彼はわかっているのだろうか。完全にはわかっていないのかもしれない。けれど異変を感じてはいるらしいチワワのトリトンは、こちらにお尻を向け、玄関を見つめたまま動こうとしない。  ニイナを、待っているのだ。  だが、ニイナは戻ってこない。 『ごめん、トリーのことは和也にお願いしたい』 『彼が、犬、駄目なの。ごめん。本当にごめん』 『トリーのこと、お願い』  あり得ないと思う。  半年前にあった同窓会で再会した元彼と意気投合し、勢いでその日のうちにホテルに行って関係を持って、その後もだらだらとその関係を続けて。  やっぱり元彼との方が和也よりしっくりくる、と言われ。  挙げ句の果てにニイナが俺を押し切るようにして迎え入れたトリトンさえ捨てて出ていく。  こんなこと許されていいのか?  そもそもだ。俺だって犬はそれほど得意じゃない。でもニイナがどうしてもと言うからトリトンを飼うことを了解したのだ。  にもかかわらずこんな。  苛立ちながら見下ろすと、視線に気づいたのかトリトンがこちらを振り返る。  なんだ、お前かよ、とその顔が言って見えて、イラっとする。  置いていかれてしょぼくれていても良さそうなのに、トリトンの顔はいつもとそれほど変わりなく見える。  まあ……玄関から離れようとしないところを見ると、平静というわけではないのだろうけれども。 「飯、にするか」  ぶっきらぼうに言うと、トリトンはちらっと玄関を見てから俺の方へ近づいてきた。  飯、というワードに反応する辺り、頭は悪くない。ニイナは甘ったるい声で「ご飯♪」なんて言ってたんだから。  ざらざらとドッグフードをトリトン用の器に流しいれてやると、トリトンはむぐむぐと喉を鳴らしながら器の中に頭を突っ込んで食べ始める。  食欲もあるようだ。  ほっとしたものの、これからのことを考えると胸は騒いだ。  ニイナは出ていった。残されたのは俺とこいつだけ。俺たちは仲が悪いというわけではない。けれどニイナを挟んでライバル同士のような関係にあった。その俺たちだけがこの家には残されている。  はたして俺たちはこれから平穏に暮らしていけるのだろうか。俺もそうだがトリトンはどう思っているのだろう。  ぐるぐる考えていた俺はそこでふと異変に気づいた。トリトンが軽い足音を立てて俺の前から離れていくのが見えた。  俺の前には半分以上中身の残った状態の器がひとつ。 「お前、ちゃんと食べないとだめだろ」  言いつつ、俺はトリトンを追いかける。小さなその体を抱き上げ、器の前に戻したが、トリトンは露骨に顔を背けると再びその場を離れた。  彼が向かうのは玄関。  開くのを今か今かと待ちわびた顔でトリトンは上がり框に腰を下ろす。  そのまままるで置物のように動かない彼の背中を俺は睨む。 「勝手なとこ、ニイナに似てるな、お前」  俺の嫌味にもトリトンは振り返らない。  ただドアを見ている。その姿が憎らしい。  知るか、と俺もトリトンに向かって背中を向けた。  けれど数日後、背中を向けてばかりもいられない事態が起きた。
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