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鴨川 杏子
「キョム子」
「……は?」
数学の応用問題が解けたみたいな顔の海老沼と目があった。なになにと由梨が身を乗り出して、ニヤニヤしながら私と海老沼を交互に見てくる。笑い声が溢れるキラキラしたこの教室で、私の頭上にだけ暗雲が立ち込め始めた。
「いつも鴨川だけ、笑ってないから」
虚無だなって、と春の木漏れ日の如き笑顔。意味を理解した由梨が「確かに!」と真っ先に華やかな笑い声を上げて、辻井と緑川が「あー、きょうこだからね?」「上手い上手い」と海老沼の着眼点に賛辞を送った。
「辻井の話聞いてた?めっちゃ似てたのに、えなみんのモノマネ」
「いや聞いてても、そもそも鴨川って俺のギャグであんま笑わんやん。傷つくわー」
「あはは……」
これ以上浮かないように急ピッチで笑顔をこさえながら、同時進行でこうなった経緯を整理する。由梨と二人で話してて、由梨が隣にいた海老沼達の会話に乗っかり始めて、盛り上がってたから、私は会話の外にいるような気がして存在感をそっと消して。つまり、私は皆から見たら会話の中に入ってたのだから、皆が面白いと思ってたところで笑わなければいけなかった、ってことなのかな。
取り返せない過ちに対する後悔とそれを隠蔽しようとする反応が、巨大な熱量を生み出して脇の下で気持ち悪い発汗作用を引き起こす。
「それより、ほら、夏休み海行かんって話……」
「おーそうだった、わりわり」
海老沼達三人の半歩後ろから顔だけ覗かせていた五十嵐が話題を変え、興味の対象が私から別のところへ移った。もし、作り笑いがバレていて、わざと逸らしてくれたのだとしたら。安堵と羞恥心が同時に押し寄せてくる。
「多分八月頭とかになると思う」
「おっけー。玲奈も来るか聞いてみる。……お、丁度帰ってきた。玲奈ーあのさあ」
教室中に可憐で無邪気な由梨の声が響く。バスケ部の呼び出しから戻ってきた玲奈は、私達の席に近づきながら海水浴の件を食い気味で承諾した。
「てなわけでうちら全員行くわ」
「七人ね。最高最高」
あ、やっぱ私も入ってたのね。一度も聞かれなかったけども。海かぁ。日焼け痛いし泳げないし、そんなに好きじゃないんだよなぁ。もう断れる雰囲気じゃないから、まあ別に、いいんだけど。
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