第33話

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第33話

 純季が、ちょっと動いてくる、と要領を得ないメッセージを送ってきたのは、事が起こった翌日の昼休み前だった。  授業中に鞄のなかでスマートフォンが小さく震えたのが、その日は何故か妙に耳に障った。無性にそれが気になった私は、あと数分で授業終了のチャイムが鳴るというのに、教師が黒板の方へ身体を向けたのを見計らって素早くスマートフォンを取りだした。そこにあったのが、さっきのメッセージだった。  何の話をしているのだろう。私は最初全くその言葉の意図するところがわからなかった。けれど、昼休みにぼんやりとそのことを考えて意識がどこかに飛んでいるのを心配した杏が、私を引き戻そうと何の気なしに昨日の舘岡先輩の話題を持ち出したとき、ようやく純季のメッセージの真意を理解した。  あぁ、そっか、と無意識に口に出していたらしく、杏に本気で心配されてしまったけれど、適当にごまかして切り抜けた。  私は杏に、ちょっと用事があるからと適当なことを言って早めに昼食を切り上げた。それから教室から消えていた純季を探して外へ出た。とはいえ、純季が今どこにいるのか見当もつかない。全くあてがないというわけでもないけれど、根拠はない。私はメッセージアプリを使って直接居所を聞き出すのも恰好悪い気がして、万が一の可能性に賭けて純季がいると予想した場所へ向かった。  私が純季のいる場所として見当をつけたのは、屋上へ向かう階段のたもとだった。昨日から何かと舘岡先輩のことについて探っていたから、もしかしたら、という程度の心許ない理由だった。  そんな薄弱な根拠をあてにして、階段を上がってその場所まで来てみると、思いがけず純季はそこにいて、どこか思い悩むような表情で屋上の方へ目をやっていた。 「もしかしてって思ったけど、本当にここにいるとは」  呆れたようにそう声を掛けた私のことなど気にしていない様子で、純季は一度私の方へ顔を向けた後、もう一度階段の上へ視線を向け、相変わらず何か考え込むような表情を見せていた。 「もしかして、屋上に上がれないかとか考えてる?」  階段の手前に置かれた、立ち入り禁止と書かれたカラーコーンを指の先で触れている姿を見れば、そう思わざるを得ない。 「うん、なんか立ち入り禁止になってるから、どうするかな」  どこか他人事のような口調なのは相変わらずだったけれど、純季の指の先は張り付くようにカラーコーンの上に置かれていた。 「どうにも出来ないでしょ、あんなことが起きたんだから」  そう言いつつ、きっとこいつは諦めないんだろうなと思った。だから、無駄だからやめときなよとは言わず、しばらく純季のことを見ていた。幸い、ここは教室のある場所から少し離れているせいか、あまり人の往来はない。  その時、階段の下の方からカチャカチャと金属がぶつかり合うような不思議な音が聞こえてきた。一定のリズムで重なり合うように響く金属音が段々と大きくなるにつれ、それに被さる様に荒い息遣いが聞こえた。  私がその方向へ目を向けると、階下から金属バットを詰めたビールケースを抱えた生徒が、難儀そうに、そしてどこか不満そうに階段を上がってきた。浅黒く日焼けした、見るからに野球部員といった風体の坊主頭の男子生徒は、階段を上がり終えたところに立っていた私と純季の姿を目にして、怪訝そうに眉を顰めた。それでも、私たちが先輩であると認識したらしく低くハスキーな声で 「こんにちは!」  とあいさつをしてきた。 「こんにちは」  つられて、私もその生徒に挨拶を返した。純季は軽く会釈を返したけれど、野球部員が屋上へ向かうために自分の前を通り過ぎようとしたのを見て、なぁ、とその生徒を呼び止めた。 「はい」  変声期に無理やり声を出し過ぎたような濁声を発し、野球部員は少し驚いたように純季の方を向いた。 「野球部って、部活動用の道具を屋上にしまってるのか?」 「え、あ、道具ですか?」  思ってもみないことを言われたのか、彼は戸惑ったように純季と手に持った金属バット入りの箱との間で視線を行き来させつつ、見るからに重たそうなその箱を足元に下ろした。 「道具全部を置いてるわけじゃないんですけど、古いのが屋上の倉庫に置いてあるんで、練習の時に足りない分は取りに行ってます」  道具が足りなければ、練習のたびに取りに行ったり、また戻したりしてるのか、大変だな。私は野球部員の足元に置かれた箱を眺めつつそう思った。 「昨日の朝練の時も?」  純季は間を置かずそう尋ねた。 「昨日、あ、昨日の朝ですか。自分は担当じゃなかったんですけど、他の奴が取りに来てました。これ、昨日のあの件があって片づけられなかった分なんです」  野球部員は聞いていないことまで答えてくれた。そして、もうその場から離れたかったのか、箱に手を掛け、持ち上げた。 「屋上の扉の鍵って、職員室で借りてくるんだよな。基本的に一年生が道具の出し入れも、鍵を借りに行くのもやってるってことでいいか?」  純季の重ねての問いかけに、階段を昇りかけていた野球部員は少し顔を顰めていた。ただ、相手が先輩である手前あからさまに嫌そうな態度も取れなかったのかもしれない。面倒くさそうな表情を見せつつも、純季の質問に答えてくれた。 「はい、屋上の鍵は職員室に借りに行きます。あと道具の準備も一年生の仕事です」  早く道具をしまいに行きたいのだろう。野球部員は見事なほど簡潔に純季の質問に答えた。けれどその時、何か思い出したように言葉を続けた。 「昨日、あれが起きたすぐ後に先生たちが屋上に行ったら、屋上の扉の鍵が開いてたらしくて、朝の担当だった奴がものすごく怒られたみたいです。本人はちゃんと施錠したはずだって言ってましたけど」  言い終えて、彼はすぐにでも屋上に行きたいのか、上の方へ視線を向けて歩き出そうとした。 「浜村先輩、朝練にはずっといたのか?最初から最後まで。舘岡先輩が屋上から落ちたときにはどこに」  純季はそんな野球部員の様子など意に介していないのか、矢継ぎ早に質問を投げつけた。一年生部員はついに耐えかねたようにバットの入った箱を足元におろし、うんざりしたように言った。 「ずっと練習にいました。浜村先輩はレギュラーなんで、練習に来ないとか、途中で帰るとかありえないです。あと、そのなんとか先輩が落ちた時って、俺らは校門から自分たちの教室に戻ろうとしてた時間だと思うんで、浜村先輩は何にも関係ないと思います」  言い終えるや、一年生部員は再びバットの詰まった箱を難儀そうに胸元までぐっと引き寄せ、これで話は終わりと言わんばかりに、足音を立てて階段を昇っていった。  面倒な奴に絡まれた不憫な野球部員の背中を私が黙って見送っていると、傍らで考え事をするように押し黙っていた純季が、何を思ったのか不意に階段を上り始め、野球部員の後ろをついて行った。  そのことに気が付いていない、というより気が付く余裕もない一年生野球部員が、屋上へ続く扉の手前で箱を足元に下ろし、鍵を開けて扉を開けたのを見計らって、純季は野球部員の隣を風が吹き抜けるように無言のまま通り過ぎ、屋上へと出た。
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