第34話

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第34話

「え?」  純季の行動に言葉を失う野球部員に、純季は、大丈夫だから、とよくわからない言葉を残してそのまま屋上の端の方へ歩みを進めていった。 「ごめん、すぐ連れ戻すから」  純季に続いて屋上へ上がった私は、呆然と純季の方を見る野球部員に言い訳するように手を合わせた。 「あ、はい」  呆れたようにそれだけ言うと、野球部員は面倒くさそうに息を吐いて、バットの入った箱をもう一度難儀そうに抱え上げると、入口のすぐ隣にある倉庫まで運んだ。  その様子を横目に見ながら、私は純季の後を追った。純季は屋上の壁の側まで来て、立ち止まった。 「ちょっと、勝手に屋上に入ったら怒られるよ。今は立ち入り禁止なんでしょ」  あの野球部員の子から先生に伝わったらまずいんじゃない。そう言った私に、純季はどこか他人事のようなとぼけた視線を送った。 「そう、今は立ち入り禁止。屋上にはしばらく生徒を上げないようにって、確か職員会議で決まったはずだ。でも言ったそばから野球部の一年生部員を一人で屋上に向かわせてる、しかも金属バットみたいな重たくて危ない道具を持たせて。仮にあの生徒が俺たちのことを顧問の先生や先輩に報告したところで、一年生部員に屋上まで道具をしまいに行かせたことがばれるのはいやだろうから、先生か先輩のどっちかで話は止まるだろ。もし野球部以外の人間にバレた時は、まぁ仕方ないな」  その時は野球部を道連れかなと、純季は言った。私は呆れてしまって、それ以上純季を咎める気にならなかった。 「ところで、屋上まで上がってきて、やっぱり舘岡先輩の事件のことが調べ足りないの?」  純季は私の問いに直接答えることはせず、その代りに屋上の壁に手をかけ、話し始めた。 「ここ、ちょうど舘岡先輩が落ちた場所だ」  この学校の屋上は、フェンスではなくモルタルの壁に吹付タイルで仕上げが施されており、高さは私の胸のより少し低いくらい。純季は壁に近づいて、身を乗り出すようにして下の方へ目をやっていた。私も、純季に倣って壁から下の方を覗き込んだ。  壁から先は、足場などなくまるで崖がそそり立つようにまっすぐ地面まで続いていた。真下には舘岡先輩が落ちた花壇があり、その周りはカラーコーンとトラロープで規制線のようなものが設けられていた。このすぐ下は三年生の教室で、さらにもう一つ下に自分達の教室があるのだろう。目の奥にこびりついた、落ちていく舘岡先輩の黒い影が、呼吸をするように頭の中で膨張と収縮を繰り返していた。 「汚れついてるから、払っといたほうがいいぞ」  不意に、純季がそんなことを言った。驚いて彼の方へ目をやった私に、純季は、ここ、と自分の制服の胸の辺りを指さし、くるくると何度も円を描いた。私が慌てて制服の胸元に目をやると、白い粉か埃のような汚れが、シャツの表面にうっすらと付いていた。 「うわ、なにこれ」  私はポケットからハンカチを取り出し、こびりついてしまわないように気をつけながら、汚れを落とした。 「ねぇ、もしかして汚れるかもってわかってた?」  恨めし気に尋ねる私には何も答えず、純季は自分のシャツの胸元とお腹の辺りを軽く叩きながら言った。 「この壁、それなりに高さがあるな。あんだけ殴って、きっと動けなくなるくらい舘岡先輩はぼろぼろになってたろうから、それを抱え上げて、ここに乗っけて。そうまでして落としたかったのか」  壁の上に手を置きながら、どこか吐き捨てるようにそう言った純季の声は、いつになく冷たかった。 「すんません、もう帰りますけど」  入り口の近くで、野球部員のうんざりしたような声がした。 「あ、ごめんなさい」  今そっちに行くから、私はそう言って純季の腕を掴み、彼を引っ張るようにしてして屋上の入り口へ向かった。純季は大人しく私に従っていたけれど、入り口の手前で不意に立ち止まり、倉庫の方へ目をやった。 「開いてる?そこ」  純季は倉庫を指さしながら野球部員に言った。野球部員は、あからさまにうんざりしたような顔をしながら 「そこは鍵を掛けてません、というか、無いです。なんでなのかはわかりませんけど」  と言った。野球部員の言葉に、そうか、とだけ答えた純季はそのまま方向転換して、倉庫の方へ向かった。 「えぇ?もぅ・・・」  野球部員は、もうどうにもできないといった表情で、屋上の玄関で嘆きの声を上げていた。ごめんごめんと野球部員に手を合わせながら、私は純季の後を追った。  純季は倉庫の扉を開けると二度、三度その中を見回した後、何も言わず入っていった。私も慌ててその後について倉庫へ足を踏み入れた。薄暗い屋上の倉庫はカビ臭さと石灰の匂いが充満していて、長居はしたくない空間だった。  入り口のあたりで中に入ることを逡巡している私を尻目に、純季は奥の方まで入っていき、何かを探すように倉庫全体を見回していた。 「何か探してるの?迷惑かけてるみたいだよ」  私はそう言ったけれど、純季は聞いているのかいないのか、何も答えずにひたすら狭い倉庫の中をうろうろしていた。けれど不意に何かを見つけたのか、視線を倉庫の入り口から向かって左奥へと向け、道具のひしめく中を一歩ずつ奥へ進んでいった。  何を見つけたのだろうかと、私も純季の向かう方へ視線をやった。すると、純季は倉庫左側の隅の壁際で立ち止まり、足元にある道具たちの方へ視線を落とした。何に使うのかわからない、色付きの棒やら、小さな箱やらが整然と置かれている中に、純季の膝下あたりまでの高さの木箱がぽつんと置かれていた。他の道具たちが壁に対して並行に置かれているのに、その箱だけはどこか雑然と、壁に対して斜めに置かれていた。  純季はしばらくそれに目をやってから、不意にその箱の上に乗った。  え?と私が間の抜けた声を上げているうちに純季は何かを理解したような表情で箱から降り、こちらへ歩いてきた。私の横を通り過ぎるのと同時に、もういいよ、と一言だけ言った。  そのまま何事もなかったかのように、純季はするりと倉庫から出ていった。置いていかれそうになった私は慌ててその後を追い、倉庫を出た。  屋上の入り口で待っていた野球部員は、純季と、それに続いて出てきた私の姿を見つけ安堵したような表情を見せた。純季は野球部員の隣を通り過ぎるときも同じように、もういいよと一言だけ言い、校舎の中へ戻った。私は純季の分まで野球部員に謝り、その後を追った。
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