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第36話
メッセージアプリに健からのメッセージが届いているのに気づいたのは、ホームルームも終わり、秀治が自宅へ帰ろうとしている時だった。二年生の誰それが会いたがっていて、放課後に記念講堂の裏で待っているらしいという簡単なものだった。一応連絡先は登録していたものの、健から連絡が来るのは初めてだった。
メッセージでも上から目線が抜けないんだな。そんなことを思いながら、秀治は自分を待っているという二年生の名前に目をやった。
「加賀美純季・・・」
聞いたことのない名前だ。しばらく思いを巡らしてみたが、記憶の片隅にもない。健の態度も気に食わなかったし、会ったこともない相手のために放課後わざわざ時間を作るのも面倒だったから、無視しようと思った。
秀治がスマートフォンを鞄に仕舞おうとすると、不意にそれが小さく振動し、同じメッセージアプリに着信があったことを告げた。
秀治が画面を起動すると、アプリのアイコンにメッセージを受信していることを示す表示があった。アプリを起動すると、メッセージの相手は沙織だとわかった。図書の整理に時間がかかりそうで、今日は一緒には帰れないというものだった。
沙織は図書委員会の長を任されていたらしいが、三年生になってから後輩にバトンタッチしているはずだ。なのに、まだ図書委員としてやることがあるらしく、このところ忙しい。
二年生で新しく図書委員長になった後輩との時間を少しでも多く持ちたいからということくらい、秀治が気づいていないとでも思っているのだろうか。
線が細く、大人しく、沙織と似たようなマニアックな文学が好きな後輩には、背伸びして本好きになろうとしたニセモノは敵わなかったようだ。そうやって他人事のように状況を見つめる一方で、その後輩にどうやってけじめをつけさせようかということも、同時に秀治は考えなければならなかった。彼女に浮気されたまま気づかずに、もしくは気づいていても黙って見過ごすというのは、らしくない、そう周りから思われるに違いないと秀治は考えていた。
正直なところ、もう沙織との関係は長く続けられるものではないことくらい、なんとなく秀治もわかっていた。今年の四月に付き合い始めてから二年経ったことに気が付いたけれど、よく二年間もったものだと我ながら感心した。
楽しかったのは最初の数か月、段々とお互いの合わない部分が目につき始め、それをごまかしながら、そして時には妥協して、相手に合わせながらなんとか努力していたのが一年生のころ。
休日ですら図書館や美術館に足を運びたがる沙織と、遊ぶと言われても、とりあえず街をふらつくことくらいしか思いつかない秀治の、どうしようもない釣り合わなさを感じ始めて、二人ともその戸惑いに蓋をすることばかり繰り返していた。
沙織の紹介する本のあまりの難解さと退屈さに辟易しながら、それでも食らいつくようにそれらを読み続けていた秀治だったけれど、半年持たずにそんなストイックな読書生活を放棄した。読んだふりをして、難しいだの、こんなのを読んでいるなんてすごいだの、相手の機嫌を損ねないような言い回しで適当に誤魔化す方が、いつしか上手くなっていた。
お金の使い方だって、沙織のためといって、秀治は自分の顕示欲求を満たすようにアルバイト代をデートに注ぎ込んだ。もちろん、学校に許可なく夜の居酒屋で働いて稼いだ金だから、それを自分のためだからと惜しげもなく使われて、沙織はかえって居たたまれなかったかもしれない。秀治の家が生活保護を受けながら(受給の可否にも関わってくるから、アルバイトの話は沙織以外の誰にも話していない)ギリギリで生活をしていることを知っているから、余計に複雑な思いだったろう。
もちろん、秀治がそんなことに気付くはずもなく、沙織も言い出せず、二人は奇妙な我慢比べの中にいた。
そうやって、痛々しい我慢を続けながらも、少しずつお互いに対して諦めはじめ、それでも別れるタイミングを逸したまま、どういう関係性なのかわからない状態でずるずると時間を浪費したのが二年生。
もう三年生を迎えたのだし、そろそろ関係を清算してもいいのかもしれないと、秀治も、多分沙織も思っていた。もう両方とも、未練なんてなく離れられそうな状態にはある。
ただ、沙織が他の相手と仲良くさえしなければ、自然消滅で済んだのだろう。浮気まがいのことをされているのを秀治が見過ごしていると周りに思われるのは具合が悪かった。
自分自身のためなのか、周りの秀治に対する評価を気にするからなのか、そのあたりがよくわからなくなっているが、とにかく何でもいいから、相手の後輩には落とし前をつけさせる必要がある。
そんなことを考えながら、秀治は沙織からのメッセージには返事をしなかった。返事なんてしなくても、あっちはなんとも思っていないだろうし。
そこでふと、用事も消えたし、俺に会いたいとか言ってきたもう一人の妙な後輩に会ってみようかという気になった。なんのために後輩が自分に会いたがっているのか、健は理由を記してはいなかったけれど、予想はついていた。
事が起こってから一日しかたっておらず、状況が状況なだけに、周りの人間が遠巻きに声を潜めていることしかしない中で、そいつは直接当人に会いたいと言ってきている。中々度胸のある奴だと秀治は思った。
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