第41話

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第41話

「昨日の朝、七時くらいに新と舘岡先輩は学校に来て、野球部の生徒が屋上に道具を取りに行ったのを見計らって、こっそり屋上に忍び込んだんだ。学校は朝練をする部活動生もいるから、朝七時より前には警備員が正面玄関を開けてくれてる。だから校舎の中に忍び込むのも簡単だったはずだ」  純季の言葉が少し熱を持っているような気がした。 「屋上に忍び込んで、新と舘岡先輩は野球部員が道具を屋上の倉庫から取り出して、屋上から出ていくのを待った。部員が出て行った後、倉庫に入って余った金属バットを一本、それと台になりそうな箱を持って外に出た。台に使ったのは、倉庫に入った時に動かした形跡のあった箱だと思う」  そこで一度、純季は言葉を切り、少し長く息を吐いた。 「それから、二人は屋上の壁際、あの場所まで行った。多分先輩は、制服の上着を脱いでたと思う。どういう理由なのかはわからないけど、見舞に行ったときに見た限り、上着の方にはバットの跡はついて無かった。もしかすると、より殴られた跡が身体に付きやすって考えたのかもしれないけど、わからない。それから、舘岡先輩は新に指示、いや、お願いして、自分のことを殴らせたんだ。身体の痣は上腕や太ももの外側、腹の正面、全部筋肉に力を入れやすい場所だけど、それでも痛かったはずだ」  噛みしめるようにそう言った純季は、そこで黙った。 「自作自演て、そういう意味だったの?」  純季の蒼い顔を、私はただじっと見て、一言だけそう言った。 「新に身体を殴らせて、ぼろぼろになった状態で舘岡先輩はあの台を使って壁の上まで昇った。それから、壁の上に外側へ背を向けて座って、落ちた。先輩が仰向けに落ちていた理由はそれだ。多少払って落とされてはいたけど、制服の胸元やお尻の部分に白い汚れがあったのは、痛みに耐えながら壁の上に昇ったからだと思う、台を使ってもそれなりの高さはあったから、制服の胸の辺りを壁に擦り付けたんだと思う」  純季の言葉は、ただ力なく滑り落ちた。 「そっか、うん、舘岡先輩と新くんがやったことはわかった。でも、純季がそう思った決定的な理由がまだよくわからない。それにあのSNSのメッセージはなんだったの?あの四人は無関係なの?」  また、問いかける言葉が止まらなくなりそうになった。それをなんとか抑えて、私は純季の答えを待った。純季は一度何か考えるように視線を落とした。 「俺はメッセージを見て、先輩と新が作ったものだっていうのは、なんとなく予想していた。あのSNSのメッセージ、細かいところだけど、井野瀬先輩と尾崎先輩の名前の間に打たれたのが、普通の句点なんだ。他の名前の区切りはカンマなのに」  純季は遠くを見るような目で私の方を見て、そう言った。 「文の区切りを句点じゃなくてカンマにするのは、舘岡先輩のクセ。手書きだと句点を使うのに、テキスト文書を打ち込むときにはカンマを使うんだよ。本人は無意識にそうしてしまうって言ってた」  純季は自分のスマートフォンをカバンから取り出すと、いつの間にか撮っていた例のメッセージのスクリーンショットを私に見せた。純季の言ったとおり、井野瀬先輩と尾崎先輩の名前は見慣れた句点で区切られていたけれど、それ以外の名前の間にはカンマが打たれていた。 「もともと、ここには尾崎先輩の名前は入ってなかった。後から付け足したんだ」 「付け足したって、誰が?どうしてそんなこと」  私はスクリーンショットの画面を食い入るように見つめながら、問うた。 「多分、後から付け足したのは新だと思う。舘岡先輩と尾崎先輩は、昔は仲良かったんだよ」  一年生のころの俺と新みたいに、と、純季は付け足した。 「でも今は、どういう理由なのかはわからないし、知りたくもないけど、尾崎先輩は舘岡先輩をいじめる側になった。なのに、舘岡先輩は尾崎先輩のことを許している。だから、多分最初にあのメッセージを書いたのは舘岡先輩だけど、尾崎先輩のことは敢えて中に入れなかったんだ。自分を苛めてきた四人のうちの一人なのに。でも舘岡先輩は許しても、新は許せなかった。それで後から尾崎先輩の名前を書き足したんだと思う」  純季はスマートフォンを自分の方へ戻し、もう一度その画面へ目を向けた。 「舘岡先輩、今はおばあさんと二人暮らしをしてるんだけど、つい一ヶ月前におばあさんが入院することになったらしい。結構重い病気で、年齢的にもう覚悟を決めておいたほうが良いって」  純季は一度言葉を切り、少しの間黙った。私は彼の白く細い手に自分の掌を重ねそうになり、慌てて手を引っ込めた。そんな私の様子にも彼は気づいていないらしく、二度、三度と手を握っては開いてを繰り返した。 「舘岡先輩、もうこのままだと独りぼっちになる。もう学校も辞めようと思っていたみたいだ。その前に自分を苛めていた人間に復讐するつもりでいたらしい。もちろん、尾崎先輩を除いた三人に。ただ、実際に濡れ衣を着せて警察に行ってほしいとまでは考えていなかったんだと思う。少しの間変な噂がたってくれればって程度に考えていたみたいだ」  ささやかな復讐が出来ればいいと、それくらいの考えしかなかったのだろう。舘岡先輩と澁澤新には。 「それじゃ、SNSのメッセージを投稿したのも舘岡先輩とあら、澁澤君?舘岡先輩が落ちたのとほとんど同じ時間に投稿されてたって話だけど」  純季の話を遮るようになってしまったけれど、私は気になっていたことを聞いてしまった。 「あれは、新と先輩が示し合わせて投稿したんだ。アカウントは舘岡先輩のものだよ」  百日紅は舘岡先輩のおばあさんが好きな花の名前だと、純季はスクリーンショットのアカウント名のアルファベットをなぞりながら説明した。«sarusuberi»の文字が控えめに並んでいた。 「新は先輩を殴ったあとに、踏み台を倉庫にしまって、屋上から降りて先輩の教室まで行った。本を返すって名目で先輩の机を確認して、先輩のスマートフォンからメッセージを送って、それを机に仕舞ったんだ。屋上を出てから五分くらいしたら飛び降りるとか、ある程度の時間を示し合わせて。ただ舘岡先輩は腕時計なんて持って無かったから、正確に五分間なんてわからなかったかもしれない。たまたま投稿した時間帯と被ったんだろう。だからその騒ぎに乗じて、新も誰にも気づかれずに先輩の教室から出て行くことが出来たんだ」  淡々と答えた純季、もう言葉を吐き出すばかりで、感情らしい感情は感じられなかった。 「スマホを机の中に戻しておけば、先輩の持ち物として家か病院に届けられる。自宅にはおばあさんも先輩もいないから、あわよくば病院に届いた先輩のスマホを使って、見舞いに行った新がアカウントを削除して、メッセージも削除申請するつもりだったのかもしれない」 「そうなんだ。でも、ささやかな復讐は果たせたんだよね。舘岡先輩も、澁澤君も」  私はそう声を掛けた。掛けてから、何を言っているんだろうと自分の言葉を少し悔いた。私も動揺していたのかもしれない。なんでもいいから、純季を慰められるような言葉を掛けないといけない、そう思って、却って余計なことを言ってしまったような気がした。  純季は私の言葉に、一度こちらへ目を向け、力なく微笑んだ。 「そうだな、舘岡先輩も新も、苛めていた連中に嫌な噂が立つ程度の復讐でいいって、それくらいの認識だったんだと思う。でもそれだと納得できない奴がいたんだ」  純季は天を仰ぎ見るように身体を逸らせ、顔を空へと向けた。 「自作自演だとすれば、舘岡先輩の行為は自殺、もしくは自殺未遂になる。こうなったら舘岡先輩は罪には問われない。けど、それを手伝った新は自殺幇助の罪に問われる。舘岡先輩はそのこともあって、新に協力をお願いすることは躊躇ったかもしれない。でも新は、多分覚悟していた」  俺は納得できなかったけどな。私の方へ真っすぐ顔を向け、純季は言った。 「舘岡先輩が許した尾崎先輩を新が許せなかったように、新が罪を被って、あの四人が受ける制裁が噂の発生と拡散程度で済むなんて、俺は納得できなかった」 「納得できなかったって、ごめん、言ってる意味が…」  そこまで言いかけて、私はあることに思い至った。純季は、新の罪を隠し、四人に、少なくとも四人のうち誰か一人に罪を着せようと思っていたのかもしれない。この件に妙に執着して、自分で色々と調べまわっていたのは、そのためだったのかも。  私が何も言えずにいるのを見て、純季も私が彼の狙いに気が付いたのだと悟ったようだった。 「さすがに、やってもいない罪を着せたり、警察に突き出したり出来るなんて、そんなことは思ってなかった。ただ何かをせずにはいられなかったってだけだよ。無意味だし、危険なことかもしれないとはわかってたけど、やらずにはいられなかった」  そう言った純季の表情は相変わらず生気のない白さが際立っていたけれど、さっきまでの虚ろな様子な影を潜め、どこか憑物が落ちたような、開き直ったものに見えた。 「今回のことは全部自作自演で、やり方はさっき俺が話したとおりで間違いないと思う。残念ながら、新や舘岡先輩に直接聞いて、答え合わせが出来たわけじゃないけどな。でもこのやり方なら、アリバイさえなければあの四人でもできたことだ。それこそ、四人のうち一人だけでも」  私の方へ向けていた視線をもう一度正面へ向けなおし、純季は再び語り始めた。 「さっきのSNSのメッセージの話は俺の考えすぎで、四人が、もしくは四人のうち誰かがやったに違いない。メッセージはそれを目撃した誰かが投稿したものだ。そうであって欲しい。そう思ったから、自分なりに本当のことを知ろうと思って色々と動いてみたんだ。で、浜村先輩と井野瀬先輩にはアリバイがあった。それで大野先輩と尾崎先輩に絞ったんだ」  純季はそこで言葉を切り、何か考えるように少し黙ったあと、口を開いた。 「今日の放課後、尾崎先輩に会った。先輩が舘岡先輩を殴って、脅して屋上の壁を昇らせて、落としたんだろうって言ってやった。突き落としたのか、自分から落ちるように迫ったのかは知らないけど、あんたがやったんだって言ってやった」  何言ってんだって、頭大丈夫かって言われたよ。そう言いながら、純季は草臥れた笑みをほんの一瞬浮かべた。 「尾崎先輩にだけ会ったの?」  疑問に思ったことを、私は無意識に口にしていた。そんな私の方へ顔を向けた純季は、何かを軽蔑するような微笑みを見せた。 「俺が特に許せなかったのが、尾崎先輩だったから、かな。舘岡先輩と同じ側にいたのに、自分だけ向こう側に行った尾崎先輩が」  そう言って、純季はまた視線を地面の方へ落とし、目の焦点も定まらないままに言葉を継いだ。 「舘岡先輩、時々だけど、尾崎先輩の話をするときがあったんだ。本当に、たまに。でもいつだって、楽しかった時の思い出だけしか話さなかった。新や俺から見れば、舘岡先輩を苛める人間の一人だし、大野先輩たちと何も変わらない、嫌悪の対象でしかなかったのに。舘岡先輩は尾崎先輩のことを大切に思っていたんだ」  だから余計に、悔しかったのかもしれないなと、純季は絞り出すように付け加えた。 「そう、そうなんだ。でもこんなこと言っていいのかわからないけど、舘岡先輩や澁澤君と仲良くしてたのって、一年生の頃のことでしょ?今になって、そこまでする理由がよくわからない」  意地の悪いことを言ってるなと、自分でもわかっていた。なのに、私はそう尋ねてしまった。そしてなんとなく、純季の答えもわかっていた。 「二人が苦しい時に、俺は二人の側にはいなかった」  予期した通りの言葉が返ってきた。苛める側に回った人間と、どちらにも留まらず、ただ離れていっただけの人間を同列に置いていいのか。そう思ったけれど、純季にとっては自分も尾崎先輩も同類なのかもしれない。 「そっか」  私は、その一言だけを言い、無意識に彼の背に手を当てた。純季は背中に感じた私の手の感触に、驚いたように顔を上げた。けれど、すぐにまた俯いた。
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