一話 雨の中の出会い

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「海楽しかったな」  私は、会社のディスクトップパソコンの前に座って呟く。私こと藤堂咲(とうどうさき)は、貿易会社の営業事務として働く普通のOL。今日も安定の残業で、お腹が空いて集中力が切れてしまった。  本当は、営業さんに頼まれた資料について考えていたのだが、気が付いたら二週間前に行った海を思い出していた。  時計を見ると19時を過ぎている。そろそろ今日も、コンビニに行って来よう。私は、席を立ち机の中に入れている長財布を取り出す。  二年前に自分へのご褒美に買ったお気に入りの財布。使い始めて二年なので、程よく自分の手に革が馴染んでいる。 「コンビニ行ってきまーす」  同じように残業するのだろう同僚たちに、声を掛けてからオフィスを出た。  私は、貿易を生業とする会社に勤めていて今年で8年目。新卒から働いているので、三十歳になる。新卒の頃は、自分がこの仕事をこんなに続けているだなんて思いもしなかった。   ブラックとまでは言わないが、残業が多い仕事だ。きちんと残業代は出るので、同じ世代の女性よりもちょっとは年収がいいと信じたい。でも、出て行く分も多いから手元に残るのは同じなのかも。  外に出ると、帰宅中のスーツを着たサラリーマンたちが駅方面に歩いていた。私は、逆方面のコンビニへと足を向ける。  空を見ると星も月も見えない。どんよりした雲が、真っ暗な空の下で動いていた。上空では風が強く吹いているのか雲の動きが早い。今にも雨が降りだしそうな空だった。  夜は雨って言っていただろうか……。朝から晴れていて天気が良かったから、天気予報をチェックしていなかった。  雨が降る前に今日は帰ろう。私は、小走りになってコンビニへと急ぐ。もうすぐコンビニだと足を緩めると、視界の隅にギターが入ってくる。  ん? と気に止めて見ると、路地の入口付近に誰かがしゃがみこんでいた。その人は、ギターをギュっと握りしめて一点を見つめている。  見た感じ、大学生くらいの男の子だ。こんなところでどうしたのかなーと思いながら私は通り過ぎた。  コンビニで、シーチキンおにぎりと昆布のおにぎり、それとペットボトルのお茶を買う。私は、食べ物で冒険はしない主義。定番が一番好き。そして、コンビニを出て会社へと急いで戻る。 「戻りましたー」  戻ったことを告げると、隣の同僚が「おかえりー」とパソコンを見ながら返事をくれる。これが、私の日常。 「ねえ、鈴木さん。外、雨降ってきそうです。夜、雨って言ってました?」  隣の席の三年先輩の男性社員、鈴木さんに声をかける。鈴木さんは、私が担当している営業さんだ。 「えっ? まじで? 嫌だなー。今日は早く帰るかな」  鈴木さんが、パソコンのディスプレイから私へ視線を移して返事を返してくれた。 「ですよね。私も今日は、早めに帰ります」  お互い頷いて、パソコンへと視線を戻す。私は、買って来たおにぎりをほおばりながら、さっき路地裏にいた男の子を思い出す。  別に酔っぱらっている風でもなかったし、どうしたのかな? 見た感じ、普通の男の子だったけど……。  そう思ったのは一瞬で、おにぎりを食べ終わった私はお腹を満たし仕事モードに切り替わる。怒涛の勢いで、資料を作成していった。
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