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「うん。じゃー行こう。歩ける?」
いつから座り込んでいたのかわからないけれど、かなり長いことこの場所にいたのではと勘繰る。
「はい」
彼は、濡れてしまったギターを悲しそうに見つめてゆっくりと立ち上がった。立ち上がってびっくりしたのだが、私よりもかなり背が高い。今度は、彼の方が私を見下ろしている。
「背、高いんだね。座っている時はわからなかった」
私は、正直な感想を溢す。
「あっ、そうですか? お姉さんは、小柄で可愛いですね」
彼が、にこっと初めて笑った。きっと社交辞令だ。それはわかっている。だけど、笑顔の破壊力が凄い。フレッシュ溢れる笑顔を、久しぶりに見た気がする。
だっていつも、疲れたサラリーマンたちに囲まれているし……。お姉さんか……。確かにそうだけど、なんていうか新鮮。
私は、鞄の中に入れていたストールを出す。夏のエアコン対策にいつも入れているのだ。モカブラウンで結構気に入っている。
「これ、良かったらギターにかけてあげたらいいよ」
私は、彼に向かってストールを差し出す。
「あのっ、でも濡れちゃいますよ?」
彼が、申し訳なさそうに恐縮しきっている。
「いいよ。ギター凄く大切そうだから」
彼が、頭をペコリと下げてストールを受け取った。大人な色味のストールを、ギターにかけている。夏用の大判のストールではあるけれど、流石にギター全体を覆うのは無理ではみ出していた。
「ありがとうございます。これで濡らさなくて済みます」
彼は、ホッとしたような顔でお礼をいった。きっとずっと気にしていたのだろう、ずっと緊縛していたような雰囲気が少し緩んでいる。
「よし、じゃー行こうか。こっちだよ」
私は、駅の方を指さして教える。歩き出すと、彼が私とちょっと距離を開けてついて来た。
「傘、一緒に入ろう」
私は、彼に近づいて傘の中に入れてあげる。だけど、彼の方が背が高いからちょっと腕が辛い。
「いえ、もう俺かなり濡れてるんで大丈夫です」
「でも、電車乗るし。夏だからってこれ以上濡れたら風邪引いちゃうよ」
「すみません」
彼が、肩を落としてしょげている。なんか、素直でわかりやすい子だな。最近、大人の汚い面ばかり見ていたからかやけに可愛く感じる。
彼が、ギターを持ち直して私が差していた傘に手を添えた。
「傘、俺が持ちますね」
「えっ、でもギター持ってるし」
持てないことはないだろうけど、腕が辛そうに見える。
「いえ、これくらいは大丈夫です。さっきからお世話になってて、これくらいさせて下さい」
頑として譲らなそうな顔をしていたので、私は大人しく手を離した。
「ありがとう」
そして、びしょぬれの青年と私は駅の方角に向かって歩き出した。
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