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薬屋楠香堂の不思議なおくすり
気がつくと竹林の中にいた。
青々と茂る竹の葉の擦れる音が、どこか遠くに聞こえる無人の獣道を、千咲はふらふらと歩いていた。
服は寝間着のままで、足は裸足だ。
どうしてここにいるのか。
どこへ向かっているのか。
思考を巡らせようとしても、靄がかかったような頭は上手く働いてくれない。よくわからないけどここにいる。けれど、その事を恐ろしいとは思わなかった。
素足のまま獣道を進む。まるで夢でも見ているかのように足取りは覚束なかったが、向かう先に迷いはなかった。
やがて、竹林を抜けると巨大な楠があった。千咲が20人手を繋いでも一周回ることができないだろう。地上からは木のてっぺんがどの辺りにあるのかすらわからない。それほどに、大きい。
その楠の根元に店があった。
木をくりぬくような形で窓があり、その上には木でできた看板が掲げられている。みみずののたくったような、奇妙な字だったが、不思議と千咲には何と書いてあるかわかった。
吸い寄せられるように近寄ると、ガラリと窓が開いた。
「今日のおくすり出しておきますね」
黒い布面を着けた、爪の長い人物が、白い薬袋を差し出してくる。男のようにも女のようにも思える背格好と、老人のようにも若者のようにも思える、不思議な嗄れ声をしていた。
「くすり……?」
受け取った袋にはやはりみみずののたくったような奇妙な文字で、『薬屋楠香堂』という店の名前と薬の効能が書いてある。
『抗水難薬・水の災いに効きます』
これまた奇妙な効能だった。水難に効く薬とはどのようなものだろう。
千咲は何の疑いも持たず、薬袋から取り出した錠剤を口の中に放り込んだ。
――目を覚ますと、見慣れた自室の天井が目に入った。体を起こして時計を見ると、針は7時を指している。
どうやら夢を見ていたらしい。
「へんな夢だったなあ」
千咲はボリボリと頭を掻いた。寝癖のついた黒髪が数本抜けてシーツに落ちる。
「千咲〜いつまで寝てるの? 学校遅刻するわよ」
部屋の外からかけられた言葉に元気よく返事を返して、千咲はベッドから飛び出した。
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