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放課後、いるかに連れられてやってきたのは、千咲が毎朝挨拶をかかさない、林の前にあるお地蔵さんだった。
「これは本当はお地蔵さんじゃないんだって。昔、この町にいた薬師の魂を慰めるためのものなんだ」
「薬師?」
「簡単に言うと、薬を売る人って言ったらいいのかな」
いるかは腕を組む。千咲にもわかるように言葉を選んでくれているのだろう。
「その人は町に病が流行った時に現れた。人から人へ移る病を怖がる医者の多いなか、自分は八千矛神の使いであるから病なんて移らないと言って、人々を救って回った。――あ、八千矛神っていうのは薬の神様の別称だよ。この神様には色んな名前があるんだ。――ともかく、彼の薬で町の人の多くが助かったのだけど、その人自身は同じ病にかかって死んでしまった。……八千矛神の使いっていうのは、町の人を安心させるための方便だったわけ。神の使いを騙るなんて不敬だという人もいたけれど、町のお坊さんが彼の行いを善き行いとして、その魂の冥福を祈るための地蔵菩薩を建てた。薬師は多くの人から感謝されていたので、その地蔵のもとには沢山の人が訪れるようになった。やがて、あまりに神格化されたその薬師は、時を経るにつれて八千矛神の化身であったのだと認識されていった」
「つまり?」
「ただの人間が感謝されるうちに神様になったって話」
「へえ」
「千咲くんが毎朝拝んでたこれは、かつてこの町の人を救った人であり、薬の神様だってことさ」
「これとか言うなよ。……ってことは」
「千咲くんの夢に出てきているのは、きっとこの人だよ」
「神様があ?」
千咲は信じられない、という目で見慣れたお地蔵さんを見た。神様が信じられないというわけではなく、そのような存在が自分などを助けてくれることは、なんだかとてもおそれ多い事のように思えたのだ。
「理由は色々考えられるけど……いや、やっぱやめとく。野暮天だし、神様の気持ちなんて凡庸な人間に理解できるとは思わないし」
「やぼてん?」
「余計なお世話ってこと」
いるかの言葉に「ふうん」と生返事を返した千咲は、お地蔵さんに向き直って深く頭を下げた。いるかがこう言うのだから、あの通り魔から救ってくれたのは、まぎれもなくここに居るらしい神様なのだろう。
「千咲くん」
いるかが後ろから声をかけた。
「今晩の薬は飲んじゃ駄目だよ」
そういう彼の声はいつになく真剣だった。
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