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――その晩、千咲はまた夢をみた。
いつもの竹林ではない。
古い木造の長屋が立ち並ぶ町で、病に伏した母の代わりに傘を直す仕事をしていた。母といっても千咲の母ではない。知らない、見たこともない老女だ。でも、彼女は、今だけは千咲の母であった。この夢の中では、千咲は小さな村に住む、同じ名前の若い娘だった。体も言葉も自由に動かせない。千咲はこの女に乗り移っているような心地だった。
直した傘を納めた帰り、千咲は道端に座り込んだ若い男を助けた。足を挫いて難儀していたという男は、流れ者の薬師を名乗った。
男はお礼にと、母の病に効く薬を用意しようと言った。しかしながら、母の病気は人に移る難しいもので、男に会わせることすら千咲にとっては避けたいことであった。
男は「自分は八千矛神の使いであるから、病に負けたりしないのだ。そういう加護を賜っている」と言って、母の寝ている部屋に半ば強引に入って行った。
見たことのない薬が処方され、母の容態はみるみるうちに回復した。千咲はとても嬉しくて、男に心の底から感謝した。いつまでもここに居てほしい、そう願った千咲の言葉通り、男は千咲と共に暮らすようになった。
流行り病を治した男の噂は瞬く間に村に広まった。聞き付けた村の人が男を尋ね、男は求められるままに村を走り回らねばならなくなった。
ふつふつと、千咲の胸には不安が湧いてくる。
――このお人は、本当は神の使いでもなんでもないのではないだろうか。こんなに病と接していては、いつか倒れてしまうのでは。
けれど、それを男に尋ねる勇気はなかった。村の人にすっかり頼りにされている彼の立場を脅かすようなことは、言えるはずもなかったのだ。
そしてしばらくして、彼は病に倒れた。
病を治す薬を処方できるのは男だけ。千咲にも、母にも、村の誰にも、男を救う術はなかった。
神の使いを騙ったとして病床に伏せる男の傍には、もはや千咲しかいなかった。あんなに世話になったというのに、誰も彼もが病が移るのが恐ろしがった。
「お前も家に戻りなさい。腹の子に障るといけない」
男は口癖のようにそう言ったが、千咲は頑として頷かなかった。優しいかの男を一人きりで死なせる事だけは、絶対に避けたかった。
「神の使いだなんて、名乗らなければ良かったのに」
「いいや、本当に神の使いだったのさ。けれど、私欲のために加護を使ったから、天からお叱りを受けたのだ」
「まあ、減らず口」
私欲のため、と男は言った。
神の意に沿わない、彼自身の望みとは、もしかして。
「後悔はしていない」
男は譫言のように繰り返した。
短い間だったが、共に暮らせて幸せだったと。自分はいつまでもここで見守っているからと。
子どもが生まれるのを待たずに、男は苦しみながら逝ってしまった。
千咲は生まれた娘を抱えて、男のために建てられた地蔵菩薩のもとに足繁く通った。
「ご覧、ミサキ。これがお前のおとっつぁんだよ。おとっつぁんは、いつだって私達を見ていてくれるからね」
奇しくも、腕のなかの赤子は、祖母と同じ名前をしていた。
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