子供の頃の話をしよう

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『お父さん、縁日連れてってよ』 漫画の中の子供の台詞に、私は一瞬ドキッとした。 そういえば最近、息子の健一と会話らしい会話をしていない。それどころか最後に顔を合わせたのがいつだったか、それさえも漠然として、はっきりとは思い出せないのだ。 全く、漫画の編集者なんて因果な商売だ。 漫画家のに合わせて出勤は昼過ぎ。その代わり夜は、いつ上がるのかも分からない原稿待ち。 切羽詰まった時は、写植貼りまでやらなきゃならない。 家に帰るのは早い時でも午前様。酷い時は朝帰り―いや、帰れない事さえある。 通常、子供が起き出してくる朝入れ替わりに寝て、子供が学校から帰って来て寝る前の時間は、私は仕事で家にいない。 これじゃ、たまの休日家にいても、子供がを見るような目つきで私を見ても仕方ない。 大体が、息子ともう何を話せばいいのかも、よく分からないのだ。 「あの…どこか、まずい所でも…?」 漫画家のY嬢に顔を覗き込まれて、私は慌てて口元に作り笑いを浮かべ乍らお世辞を言った。 「いや、いい出来ですよ。本当に。特にこの、ラストのとこなんか―」 適当なことを言う。 正直言うと、私は漫画全般をあまり面白いと思ったことはない。 職業上、一通りの分野は目を通したのだが、どうも漫画の世界には馴染めない。 それに、なにしろ漫画家というのは我儘でプライドの高い人が多い。 勿論そうでない人もいるのだが、そういった場合でも取り敢えず褒めておくのが得策だ。褒められて悪い気のする人間は、まずいないのだから。 何はともあれ原稿を無事受け取ると、私は神保町にある会社へと急いだ。 写植は既にネームの段階で用意してあるから、それを貼って校正して―こんなに待たされると分かっていたら、写植を持参して待ち時間の間に貼っていればよかった。私とした事が、ついうっかりしてしまった。 結局今日も帰りは朝方になりそうだ。 私は疲れた頭を抱えて電車に乗り込んだ。 と、その時目の中で、クルッと世界が反転した―ような気がした。 ”なんだろう…この感じは……” ただ単に、眩暈と言ってしまえばそれまでだ。だが…。 ”なんなんだろう…この感じは……” そう思い乍ら私はその場にズルズルと蹲り、気を失ってしまった。
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