ヌータとボータ ~きみがボクになれるおくすり~

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この1錠の円いくすりを飲めば、きみはボクになれるよ、とヌータが言ったので、ボータはそのくすりを飲んだ。 透明な空色の小瓶を、さっと振って、ヌータは、1錠の円いくすりを、ボータのてのひらに落とした。 「何の味もしない。うまくもまずくもない」 「苦くないだけマシだろう」 そんな言葉を交わしているうち、急に日が翳って、雨が降ってきた。 「まだなぁ、雨なんて降って来てもらっちゃ困るんだが」 「そうかい」 「そうだよ。だって、オレは、まだ、おまえになんて、なってもいない」 ヌータは、アハハと笑った。 「そんなにうまくいくかい。すぐには、ね」 「即効性は、ないってわけか」 「まあ、そんなとこ」 「オレは、気が短い」 まあ、ガマンしなよ、とヌータは、ボータの頬の薄い皮膚を指先で撫でた。 それだけのことで、ボータは何だか、ヌータからキスでもされたような気分になって、少し照れた。 だから、照れ隠しのように、ボータは、雨がホントに降って来たな、とわざわざ言い、 トウモロコシの収穫なんてものを、さっさと片付けなくてはならない、とハッパを掛けた。 そう、一面のトウモロコシ畑に、さっきから、ヌータもボータも突っ立っている。 「あくびをしてるヒマなんてのも、ないんだぜ」 「わかってるさ」 言い合ってるうち、いつの間にやら、二人ともあくびをしていた。 あくびの口を狙って、大粒の雨が、次々降り注いで来そうだ。 収穫、シューカク、トウモロコシさま、と声を掛け合い、せっせとクルマの荷台に積んでゆく。 「きょうはこれぐらいで、だいじょうぶだろう」 「ま、そんなとこかな」 もう雨は止んでいた。 強い日差しがぶり返し、ボータのひたい辺り虹色にを光らせるのを、ああ、キレイだな、とヌータは見ている。 ボクは、こいつのことが好きなンだ。照れずに思えるのが良かった。 収穫したトウモロコシを数本だけ自分達のものにして、残りの全てを市場に卸すと、フトコロがあったかくなる。 当分、飢え死にはしないなぁ、とヌータが満足気に呟けば、そうだよなあとヌータも嬉しげな相づちを打つ。 家に帰ると、2人でトウモロコシご飯をたっぷり作って、ガツガツ食べた。 満腹になって、横になると、 「それにしても、オレは、相変わらず、オレのまんまだなぁ」とボータが言った。 「オレがおまえになれるくすりってものを、オレはおまえからもらって飲んだけれども、どうってこともないのかなぁ」 「だから、すぐには効かないものだって言ったろう」 「それにしても、もう半日近くはたってるぜ」 「3日たっても1週間たっても、効かないことだってある」 「そんなもんかい」 これ以上言い合いをお互いしたくなかったので、2人は黙った。 それから、眠くなったので、寝床に枕を並べて、仲良く眠った。 しかし、それから、3日が過ぎても、1週間が過ぎても、くすりは効かなかった。 「おれはおまえと絶交することになるのだろうか」 ボータが投げやりに言った。 もう少し、様子を見てみようよ、とはヌータも、もう言えない雰囲気だ。 ごめんな、と軽く片頬にキスをすると、こんなことでごまかされないぞとボータは、頬を反らして、ソッポを向いた。 ところが、それからまた3日が経つと、あれあれと奇蹟が起こった。 その日の朝、「あ、あ、あ」と顔面に、顔の引き攣れのようなものが走って、ボータは思わず、声を上げた。 「顔全体に顔限定の地震が起こったみたいだゼッ」 3日前、反らして、ソッポを向いたその頬辺りから、震動は起こり、見る見る全身を走り、顔と言わず、胴体も足も手もという勢いで、ボータはヌータになっていく。 「うっひゃー、効いた、効いた。ちょっと待たされたけど」 「待ったカイ、あっただろう」 言い合ううちにも、瓜二つの顔が並んだ。 「スッゲーもんだな」 感心、感嘆するばかりのボータに、どんなもんだいとヌータは格好を付け、 「これから、ボクらには、なんだか楽しいことが待っていそうだな」 と見得を切るごとくにも言った。 「楽しい、こと?」 「ああ、とっても、なんだか、楽しいこと」 ふーんとボータは頷いて、やっぱりヌータの言うことは当たるのだろう、と気持を弾ませた。 それから、二人の身辺は俄かに忙しくなった。 《あなたの好きな人に、あなたもなれます。 あらあら不思議、このくすりを飲めば、ふたごのきょうだいみたいに、ホントにそっくり、瓜二つ!》 そんな広告なんぞを、ネット上になど流したわけではない。 ヌータとボータは、瓜二つになったとは言え、別に目立ちたいわけでもなかったから、二人揃っての外出などは避けていたくらいなのである。 ところが、またトウモロコシの収穫に出掛けようとしていたところ、町内会のご案内とかのちらしを配りに来てくれた顔見知りの近所のおばあさんと出くわしてしまった。 「あら、ヌータさんって、ふたごさんだったの?!」 訊かれて「そうではなくって」と真相をすぐに明かしてしまったヌータは迂闊だったのだろうか。 しかし、あまりのそっくりぶりに驚いて腰を抜かしそうなおばあさんの様子が、ヌータはうれしくて仕方なかった。 くすりは、先祖伝来のものだった。 そのヒミツのくすりを、ヌータは、何年も前に亡くなった父親から譲り受けていた。 ――おまえに、心底愛する者があらわれた時、このくすりを使え。 愛する者が、おまえと瓜二つの姿かたちを持ち得た時の歓びを感得すれば、 おまえは一生でも、永長と、この世の仕合わせというものを味わうことが出来るだろう。 そう息子に言い聞かせていた父親は、 ――このくすりを飲ませて、自分と瓜二つになってほしいと願うような愛する者が、とうとう、自分には現れなかったのだ――と残念がりながら、瀕死の寝床で、形見代わりのくすりをヌータに渡した。 どういう事情があったか知らないが、ヌータを生んで何年もしないうち、生みの母親は家を出て行方知らず、父親はシングル・ファーザーとなって、一人息子のヌータを育ててくれた。 自分にそっくりなボータの寝顔を見る時、ヌータは、まさしくこの世の歓びを感じた。 感じ過ぎて思わずボータの頬にキッスまでしてしまうとボータが目を覚ます。 起こしてしまって、ごめんよとヌータは照れたりもしながら、それがまた嬉しくも愉快なのだった。 この先何が起こるか判らないが、自分が生きている限り、ボータはこの世からいなくなることはない。いなくなることがあるとすれば、それはこの自分自身が、この世からおさらばする時だろうと、そんなこともヌータは思った。 この瓜二つぶりというものは、まさしく無敵だ。 それほどに、自分達は一心同体となっている、成り得ているのだ――その現実に、ヌータは心から満足した。 だが、それから程なく、厄介なできごとに、ヌータとボータは見舞われた。 「あら、ヌータさんって、ふたごさんだったの?!」と瓜二つのヌータとボータを見て、腰まで抜かしてしまいそうなほど驚いた近所のおばあさんに、その時とっておきのくすりのことを話してしまったおかげである。 もちろん、くすりのことはくれぐれも黙っていてくださいとヌータはお願いしたが、おばあさんは我慢できずに誰彼構わず吹聴したのだった。 かくて……。 そのヒミツのおくすりを譲ってください――ヌータとボータのもとに、そうお願いするにんげんたちが殺到した。 お願いされても困るのであった。 なぜって、このくすりのストックなどない。いや、1錠だけあるにはあるのだが、それは瓜二つになったにんげんが、元に戻るためのものなのである。これは大事に取っておかなくてはならないだろう。 「チッ、しくじったかな。あんなおばあさんに、ヒミツを語ってしまったのは」 「今更悔やんだって、仕方ないさ」 言い合うあいだにも、ヒミツのおくすりを譲ってほしいと願うにんげんたちが、ひっきりなし次々やって来る。困惑するしかないヌータであったが、こんなにも、自分以外のにんげんと一心同体となりたいと願うにんげんたちがいるのかと驚きもした。 「朝、目が覚ましますとね、同じベッドで、彼が眠っています。とってもイイ寝顔です。好きだな、と思える人がいる自分のことがまた好きになれる、そんな私なのですが、ふと不安な気持になることもあります。何かの事故や病気で、突然、この愛するヒトを喪ってしまったとしたら、と考えると生きた心地もしなくなる。でも、このくすりを飲んで、一心同体、瓜二つの顔かたちと成れたなら、生きるもいっしょ死ぬもいっしょの運命を、愛する二人はたどることが、きっときっと出来る、そんな夢のような確信を我がものとすることが出来る、というものなのでしょう」 くすりを乞うにんげんたちは、口々にそう言って、お願いしてきた。 心底愛するヒトがいるにんげんが思うことは、みーんなおんなじなのかな、とヌータは感心し、感動もした。 自分もホントにそうだ。 「きみも、そう思っているよね」 瓜二つになったボータに何度も問うヌータに、 「まあ、そのようだね」とボータもこたえた。 しかし、ある朝、異変が訪れた。 ボータの顔に、また、あの引き攣れが起こったのである。 「あっれー」と奇声を発する間もなく、ボータの顔全体に、顔限定の地震が起こり、みるみるボータは、元のボータに戻った。 元に戻るためのくすりを飲むまでもなく、ボータは元のボータに還っていたのだ。 こういうことかよ、とボータは、元に戻った自分の顔をゆっくりとやさしい手付きで撫で、「お久しぶりだね、オレ様よ」とおどけて自分に向かって語り掛けたりしている。 そういうことだね、と頷き返しながら、ヌータもどこか、ホッとするような気持になっていた。 ボータが元のボータに戻ると、「なーんだ」と奇蹟のくすりを期待していたにんげんたちは、あっという間に去って行った。 ヌータとボータには、静かな暮らしが、再び訪れた。 ヌータとボータは、また、朝から、トウモロコシ畑へと出かけて行く。 たくさんのトウモロコシを収穫し、市場に卸し、フトコロをあったかくし、それから家に帰って、トウモロコシご飯をこしらえ、二人で食べる。 「イイ感じだね」 「そのようだな」 二人は仲良く言葉を交わし、とっぷり日が暮れれば、やっぱり仲良く同じ寝床で眠りにつく。 今日も1日、二人いっしょに働き、健やかな眠りを味わっている、満足だ満足だと夢の中で、ヌータが呟けば、そうだそうだとボータも同じ夢の中で呟く。 これでいいんだ、これでいいんだ。ヌータとボータは、夢の中で、しっかりと手を握り合って、また深い眠りに落ちた。 しかし―― 残り1錠のくすりの存在を、ヌータとボータは何時しか忘れていた。 忘れられているうち、残り1錠のくすりは、密やかにも、ヒミツの化学変化を遂げ、〝瓜二つになったにんげんを元に戻す〟という本来の効用を進化させていた。そう、オイラのそんざいを忘れンなよと言いたげに。その気合と勢いで、成分を進化させるだけ進化させて、〝元に戻す〟でなく、〝きみがボクになれるくすり〟そのものとなっていたのだった。 そんなくすりのことを忘れていたヌータとボータは、だから、その円い1錠のくすりが、の何かの拍子、隠し場所(それは例えば、キッチンのちいさな御茶箱の中)から、ぽとんと落っこちたのに気付きもしなかった。 キッチンの床から、勝手口の土間へところころと転がって行った円い1錠のくすりは、利口なネズミの口に咥えられ、任せたよと頼まれるまでもなく、空から降りてきたカラスのくちばしに運ばれて、トウモロコシ畑に着いた。 ぽとんとまた畑に落とされた円い1錠のくすりは、見る間に健やかな種子となって、陽の光を浴び、地の養分を吸い取り、トウモロコシの根っこに、新たな命を芽吹かせた。 ……………… 何年の月日が過ぎたのか。 トウモロコシ畑の周辺には、人が次々と住みついた。その場所は、賑やかな集落となった。 瓜二つの村と、その場所は呼ばれた。 全く顔も姿もそっくり、瓜二つのにんげん達が、いつもわいわいと楽しそうに暮らしている。せっせとトウモロコシを収穫し、市場に卸し、フトコロを豊かにする。 トウモロコシご飯を拵え、今日もいい1日だったと日暮れを迎える。 時として、あっれーと顔に引き攣れが起こって、みるみると瓜二つでなくなるカップルもいたが、彼らは気にしなかった。 瓜二つであったけれどっも、やがてそうでなくなり元に還ったにんげん達には、仰ぎ見る先輩格が存在してくれていたからである。 ヌータとボータ……、2人はその集落の長となっていた。 ヌータとボータは、瓜二つでなく、ヌータとボータのままである。 「でも、イイ感じだね」 「そのようだな」 「これで、イイんだよね」 「そうだな」 やさしく言葉を交わし合ううちにも、周辺には、瓜二つのにんげん達がふえていく。 「イイ感じだね」 「そのようだね」 「これで、イイんだよな」 「そうだね」 彼らもやさしく言葉を掛け合い、日が暮れれば、手を握り合い、暖かな寝床で眠りについた。
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