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寵愛した薬師に,濃紺の艶を帯びた丸薬を無理やり口に含まされた。血が煮え滾り,絶叫せずにはおれない激痛の塊が体内のあちこちで炸裂しながら,皮膚がさけ肉も潰れ臓器や骨は瞬時のうちに溶解或いは風解した。
青白い鬼火と化した俺は辻風に巻きこまれ,気づけば,甲冑を身に纏い槍を突きあう武将たちに揉まれていた。
「東雲親王さま――」
それは,暁方に残虐非道の限りを尽くし愉悦に耽る俺に付せられた通称だ。
振り返ると,かの薬師が立っている。
「ほれ参りますぞ!――」
そう声を張りあげて槍を振りあげる。
自然に腕が動き,相手の喉を貫いていた。
再び鬼火となって抗うこともできぬまま辻風に飛ばされ,東天の仄々と彩るころに卍の旗章の揺れる軍隊の最前線で銃を構えていた。
手榴弾を投げようとする英兵の胸を撃ち抜いた。頭部も腕も足もばらばらに爆散する英兵の唇が緩んだ――俺を裏切った薬師が微笑んでいる。口端から垂れた血が顎下のほくろを隠した……
辻風に乗って延々と疾走し,微塵も身動きできぬ疲弊に襲われ,両眼を見ひらいた。
「シノン――あんた,本当に不死身じゃないのかい?」
髭もじゃの大男に包帯を巻かれていた。
「単独で政府軍の精鋭部隊と激突し軽傷で生還するなんてさ――おかげで首都は陥落したぜ。さすが革命軍のリーダーだ。毎度,脱帽するよ」
「またドクターってば,おだててくれんじゃない?――ドクターの拵えてくれる薬膳料理がスタミナ源さ。それで遥か平安の世から生き延びられているってわけよ」
「平安だって?」
「大昔の時代名さ――東洋の日本っていう国の――」
「よく知ってるよ。貴族が政権も文化も担った優雅な時代だろ。しかし日本は令和の時代に入ってるはずだがね――もっともあんたなら,そんな大昔からだって生き続けてられるだろうさ」
ドクターと笑いあう。白衣の肥満体の揺れる背後で,鏡内の金髪青年が青い瞳を細めている。
「そうだ,東洋と言えば――あんたの眠ってるうちに政府軍の医療チーフが交渉を申し出たぜ――ほくろの色っぽい例の医師さ」
ドクターは顎の右下を指先で触れた。
麗蘭――今上帝第一皇子の重用を笠に着て典薬寮にて絶大な権勢を誇った高麗人の薬師だ。皇子の悪行にも随行し,犠牲者から不慮の抵抗を受け皇子が負傷したときや,証拠の隠滅に技能と知識を発揮した。皇子と情を通じながら,弟親王たちの画策により皇子が捕縛されると,忽ち手の平を返し,敵方に与したばかりか,最後は処刑の毒殺まで自ら買ってでた。
俺は麗蘭への報復を誓って毒をのんだ!――そして志どおりに宿敵との再会を果たし,既に二度も手にかけたのだ。それなのに俺は現世でも麗蘭と出会い,また命を奪おうとしている。宿願は遂げられた――もう十分だ,殺さなくていい――憎む気持ちも失せた――
「麗蘭という医師を知ってるかい?」
「え,なんだって!――」
「平安時代に日本へ渡来した朝鮮人さ。人物に関する記録は殆ど残っていない。忌まわしい事件に荷担したそうだから,意図的に抹消されてしまったのさ。けど,うちの曾祖母さんに言わせりゃね,古今東西随一の名医なんだと――実は,曾祖母さんは朝鮮人とロシア人とのハーフなんだよ」
そう黒髪を搔く。
「曾祖母さんも医者で,噓かホントか分からないが,麗蘭の弟子の末裔に医術を学んだらしい。だから麗蘭を贔屓目に見てしまうのさ――たとえ,庶民の虐殺を楽しむようなイカれた皇子さまに恋してしまったとしても」
「だが,結局は俺を――い,いや,皇子を裏切ったじゃないか――」
「……よく知ってるね……まるで前世に平安人だったみたいだ……」
「ははっ――日本の歴史が好きなのさ――」
「どうした,ちょっと様子が変だぜ。具合でも悪くなった?」
「なに,大丈夫さ。何処も悪くない――それより話の続きをしよう。麗蘭は皇子を毒殺したそうじゃないか」
「……確かに麗蘭は皇子に毒を盛ったが,それはほかの人間に恋人の命を奪われたくなかったからさ。それにね,曾祖母さんはこうも言うぜ――麗蘭は皇子を殺すためじゃなく,生かすために薬をのませたんだと」
「生かすために……薬をのませた?……」
「麗蘭は毒薬じゃなく,むしろ不老不死の妙薬をのませたのさ」
「不老不死の妙薬だって!」
「古来,人間は不老不死を追い求めてきたが,誰も願いを叶えたことはなかった。でも麗蘭は不老不死の薬を完成させたんだ。それは神の宿る薬だった!」――薬の効能つまり神力をひきだすためには,想像を絶する苦行が要された。そのあまりの惨たらしさに,施術の方法が後世に伝わることを懸念した弟子たちは,麗蘭の手記を処分し,見聞の口伝もかたく禁じたという。
「麗蘭は皇子に薬をのませたあと虎の棲む谷に身投げした。生きたまま餌食となって,ようやく八日目に事切れたそうだ――僕は思うよ。それも薬の神力をひきだすための苦行だったんだって」
俺もそう思う――薬の神力を得るために,麗蘭は獣の餌となり,蘇ってはまた殺される運命を繰り返しているのだ。
俺は最期に生きたいと泣きついた。その一言がなければ,麗蘭は迷いなく俺を地獄へ送れたかもしれない。そもそも生命を尊重する正常な心ばえがあれば,罪業に溺れることもなかったろう。
呪わしい輪廻転生を齎した発端は俺の生に対する貪欲と嗜虐なのだ。本来受けるべき地獄の苦しみを俺が逃れているために,麗蘭の苦しみが増大しているのなら,もう逃げてはいられない。
「ドクター,むこうと繫いでくれないか?」
「政府軍の医療チーフと――あの医師と会うつもりかよ! よせ,口車に乗るな! 罠だよ! あんたを誘いだし,隙を見て殺す魂胆なのさ!」
「……人殺しがいやになった。もう誰も殺したくない」
麗蘭の苦行をとめることで薬の神力は失効するに違いない。不老不死は終わり,当然の報いとして自らの罰が降りかかる――
停戦を報じる大砲のあがった空に渡り鳥の飛来を認めた。俺はもはや自由には飛べないだろう。だが清爽と恋慕とが胸に漲っていた。
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