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カイル・ドリュー
海沿いのヤシの木でしか感じた事がなかった異国情緒がどれだけ虚飾な風景であったかを痛感する。床に敷かれた赤いペルシャ絨毯に、足を下ろすとまるで身に覚えのない布製の靴。首に掛けて下ろしただけの白いローブは、くつろぐのに適した服装だ。
「随分リアルな夢だな」
この世界が実際に実在しているかのような空気感は、目を白黒するだけの価値や、肌をつねって痛覚の有無を確かめる典型的な懐疑心を誘う。声の軽重はいわずもがな。指でなぞった鼻の高さと手の甲にある黒子の位置からしても、自分の身体だと思い知らされる。名も知らぬ孤島に放り出されて思考実験の類いに巻き込まれた気分だ。
「コン、コン」
木の扉に伺いを立てる指の恭しさに俺は間もなく答える。
「はい、誰ですか?」
「起きたみたいだね。入ってもいいかい?」
俺が抱える不安の一部を肩代わりしてもらうには丁度いい馴れ馴れしい言葉遣いだ。
「どうぞ」
目線の高さは俺とさほど変わりない。肌はやや浅黒く、目鼻立ちの差異からして外国人と呼ぶのに相応しい面差しをしていて、西洋の甲冑に身を包むその姿は、戦士という肩書きがよく似合う。
「カイル、身体は大丈夫か?」
市役所で漢字をあてがっても許可が下りるか、些か及びもつかなければ、その名を冠するだけの事情を咀嚼できていない。
「貴方は……誰ですか?」
まるで会話が成り立ってないが、俺は問う事でしか会話の糸口を見つけられなかった。
「嗚呼、頭を強く打ったみたいだからね。記憶の混濁も仕方ない」
まるで病人の錯乱を遣り込めるかのような嘆息が鼻持ちならなかった。記憶の欠落など存在せず、ここに至る光景を詳らかに出来るからだ。不明瞭なのは唯一、目の前の状況だけだ。俺は、ベッドに座るように促す男の仕草を撥ね付けて詰問する。
「アンタは誰なんだ。先ずそこから始めよう」
導火線さながらに伸びるこめかみの青筋は、対応如何によって太くなりもするし、事も無げに首尾良く終われば直ぐになだらかになるだろう。
「僕の名前は、マイヤー・ドルフ。君と同じ月照の一員さ」
「よし、マイヤー。俺の名前をもう一度、言ってみてくれ」
「カイル・ドリュー」
「違う。俺の名前は田中誠一だ」
「そういうことね」
男は困惑の根源について訳知り顔を浮かべる。
「なんだ。何か知ってるなら話してくれ!」
ここで切願しなければいつするのか。蜘蛛の糸を掴むかのように俺は語気を強めて言った。
「君のような反応に立ち会ったのが、僕にとって今回で二回目という事だけだよ」
「二回目?」
「カイトウ・ハイネ。僕らのボスも、自分の名前を否定して狼狽えてた。ほんのちょっと前の話さ」
雑然としていた頭の中がそぞろに整理されていく感覚は、何事にも代え難い涼味を伴って血の巡りが活発になる。
「会わせてくれ! 今すぐ!」
今にも肩を掴んで説得してしまいそうな気持ちをどうにか抑えながら、マイヤーに案内を頼んだ。当惑ぎみのマイヤーを半ば無理矢理、部屋の外へ出して背中を押す。
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