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本編
「躾は終わったから譲ってやるよ」
昼下がりの学食。
友人に告げる彼の顔は、出会った頃のように冷ややかなものだった。
私はそっとその場を後にする。
表情のない整った顔に、温度のない声。
講義でよく一緒になる彼を、最初はそっと盗み見るだけだった。必ず窓際に座る彼の、日本人離れした彫りの深い顔に描かれる陰が芸術的で、妄想のカメラで連写する……密かな楽しみだった。
数少ない友人とだけ言葉を交わし、それ以外の人間とは目も合わさない。不用意に近付いた者には、静かに牙を剥いて威嚇する。触れられれば、あからさまに手を振り払う。
人見知りなのか人間不信なのか分からないが、ザックリと他人を切り捨てる様は傍目に見ても胸を抉られるほどで、そのようなシーンを幾度となく見せられては、声を掛ける勇気など持てるわけがない。
滅多に耳に入らない声をじっくり聞いてみたいだとか、色素の薄い大きな瞳を近くで見てみたいという欲求はあった。あの美しい琥珀に、自分の姿が映る様子を想像し、胸をときめかせたりもした。
それでも私は妄想だけで満足していた。鋭い爪で引っ掻かかれた上に視線まで警戒されては、日々の楽しみが失われてしまう。
それにもうひとつ、彼に近付くことを踏みとどまらせる理由があった。
彼に付き纏う不穏な噂である。淡白に見えて女関係には節操がなく、誘われたら断らないが執着はない。つまり、セックス目的だけの付き合いなら受け入れるが、縋り付く相手は徹底してこっぴどくフる。……相当なクズであるが、あながち間違ってはいないらしい。事実、付き合ってもいない女の子の部屋に入る姿を目撃したことがあるし、彼との一夜を自慢げに語る声も耳に届いていた。
まあ、そういう訳で、生身の彼は私の中で危険人物認定され、決して鑑賞対象以上に昇格させないよう己を戒めていたのである。
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