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第5幕
夜の墓所は湿っていた。言葉では言い表せない独特の雰囲気がある。多分、生者と死者を分かつ香りだろう。蝉の鳴き声がそこここにする。最後の一週間を命の限り鳴くのだろう。電灯も少なく、ほの暗い。
「お墓に行こうなんて、あらわさん、気は確かなのかい」
「あら、玉城さま、足がすくんでおりますわ。案外肝が小さいのかしら」
中々墓地に入ろうとしない玉城さまを、わたくしは挑発してみます。
わたくしには、いえ、あたしには、玉城さまがこの墓地に入れないことを知っている。
今こそ仮面を脱ぎ去る時だ。
「あたしに山際あらわ嬢を演じさせることは、もう止めた方がいいわ。『牡丹灯籠』見たでしょ。あんたは新三郎そっくりよ」
玉城さまの顔がこわばる。
「あんたが山際嬢を震災で亡くし、それを受け入れられない気持ちは分かる。でもあんたは大店の息子。いつまでも夢に浸ってないで、学問を修めて家業に集中するべきよ。たくさんの従業員を路頭に迷わせないことがあんたの使命よ」
あたしは一息に言い切った。
玉城さまはあたしの突然の豹変についていけないようだ。顔がこわばり、唇は横一線に塞がれ、声も出せない様子だ。
「売れない女優志望のあたしを救ってくれたのには感謝してる。給料の少ない女優のあたしは、あんたがいなければ苦界に身を落としていたかもしれない。あんたがわたしの中に山際嬢の面影を見つけた。そしてその方を演じなさいと言われた時にはあたしの女優魂に火が付いたわ。完璧にあんたの許嫁を演じてやろうと思った」
あたしは一息つく。
「そ、そうだな。俺は君の中にあらわさんを見つけた」
「あたしに100円も演技料をくれたのには感謝している。高等女学校の制服を仕立ててくれた時には、こいつは特殊な性癖なんじゃないかと思ったけれど、あたしの肉体には決して手を出そうとしなかった。覚悟はしてたのよ。でも、あんたはやらなかった。そこも嬉しかったわ」
叫んでいて、感情が昂ぶり涙が浮かんでくる。
あたしは『港屋草紙店』で購入したお札を、玉城さまの目に貼り付けた。
「あんたは新三郎になってはだめ。このお札を取った時には、現実に帰る。あたしとは活動写真の中と外で会いましょう」
背伸びをして、口づけをした。
初めての接吻は歯がぶつかる、下手な愛情表現だった。
「さようなら」
あたしは目にお札を貼りつけられた、ぼうっと立ち尽くしている玉城さまをいま一度見て、後は振り返らずに墓地の細道を走った。
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