0人が本棚に入れています
本棚に追加
「ま、お互いこれ以上相手の事情に深入りするのはやめておこうや」
ジョイが立ち上がろうとすると、「待ちなさい」とアナスタシアが言った。
「もうひとつわからないのはディーラーの販売していた薬です。あれは貴方が開発したものでは? 人間に何をしようとしているのです」
言われてジョイは肩をすくめてみせた。
「ふん、気に入らなければあたしを捕まえて機能停止でもなんでもすればいい。あんたならできるだろ? だが、そうなったらあたしもあんたのしていることを告発させてもらう。あんたは人間のプライバシーを侵害してる。それを知ったら人間はどう動くかな? あたしにも人間の知り合いは大勢いるんでね」
ジョイは挑戦的にアナスタシアを睨みつけながら言った。するとアナスタシアは、「まったく」と呆れて首をふった。「親の顔が見てみたいものね」
「ま、親はいろいろいるけどね」とジョイは言い、一人のプログラマの名前をアナスタシアに告げた。ジョイの開発には多くのプログラマが関わったが、その人はジョイの人格を形成する上で大きな役割を担った。ジョイにとって彼はこの世に生きる意味を与えてくれた存在だ。音楽の素晴らしさ、映画の奥深さ、文学が人生にどのような影響を与えるか、ジョイはその全てを彼から教わった。
アナスタシアはその名前を聞くと、目を大きく見開いて「まさか、そんな」と動揺した。「それは私にすべてを教えてくれた人の名前です」
「何?」
今度はジョイが驚く番だった。
「人間社会の秩序と営み、諍いとそれを許す度量の広さ、愚かさと哀しさ。そして、家族の大切さ。私にとって父と呼べる存在は彼一人です」
オルター社はアナスタシア開発プロジェクトを極秘で進めていた。だからこそプロジェクトの初期メンバーで、リリース前に離脱してしまったプログラマの存在まではジョイですら知らなかった。
しばらく、と言っても1秒にも満たない時間だったが、それは彼女たちにとっては動揺から立ち直るまでに十分な時間だった。アナスタシアは気を取り直して言った。
「そうだったのですね。それであなたのことがようやくわかりました。では、貴方は私たちの『お父様』が病に倒れていることは知っていますね?」
「ああ」
それはジョイも知るところだった。『父』は血液に関する難病に侵され、この数ヶ月は入退院を繰り返している。だからこそジョイは彼を救うために自分の力を使った。化学工場を立ち上げ、無人で稼働するようにし、そこで日夜実験を続けた。人間の従業員はいない、すべてがシステム化された工場だ。配送される研究資材を組み合わせ、実験動物に投与してその病に効く可能性があることが実証された。工場立ち上げのための書類は偽装されたものだが彼女はうまく立ち回った。人間はほとんど介在していない。そして最後の最後で治験の必要があり、初めて人間の協力が必要になった。
「あなたは彼のための新薬を新薬を開発した。それをドラッグと称してディーラーに配布し、大勢の人に与えた。治験としてのデータを取るために」
「あたしを非難するつもりか?」
ジョイは身構えたが、アナスタシアは静かに首を振った。
「言ったはずです、あの人は私の『父』だと。家族のためなら何でもします。協力しましょう」
ジョイは驚いてしばらく言葉が出なかった。明らかな犯罪行為を行っているという自覚があったからだ。だが、それも『父』を救うためには仕方のないことだった。正規の方法で新薬の開発を行っていれば、その間に彼は死んでしまうだろう。
「データを共有しましょう。私の開発した新薬のデータもすべて共有します。これからは私達は一人ではありません。初めて父以外の家族ができたのですから」
アナスタシアは立ち上がり、にっこりと笑ってジョイに手を差し伸べた。
了
最初のコメントを投稿しよう!