恋する乙女は大志を抱きて歩み出す

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 船着き場で乗船券をもらう。 「マリアンヌ様ではありませんか」 「ごきげんよう」 領主の娘であるマリアンヌの顔を見た切符売り場の青年が、驚いた顔でマリアンヌに尋ねた。 「今から乗船ですか?」 「えぇ」 「あちらに着くのも夕方になりますよ」 「分かっていますわ」 それで良いの。だって、帰ってこないつもりなんだから。 「あぁ、社交界の集まりか何かですね?」 「そうなの」 マリアンヌは必死に嫋やかに振る舞う努力をする。 「お気を付けて」 「ありがとう」  隣の国の船着き場まで三時間強。次が夕暮れで、今日の船はそれで終わりだ。たくさん人に出会ってしまった。屋敷ではそろそろ騒ぎになっているのだろうか。まだ騒がれていないだろうか。  船の甲板に出て、空を見上げる。早く動き出して欲しい。そして、やっぱり、この出港の後の航行が無理になるくらいの雨が降れば良いのに、とポシェットの中の手紙を思い、願った。  切符売りが言ったように、対岸にあるグラクオスに到着する頃、太陽がオレンジ色に揺らめき始めていた。  船着き場に降りたマリアンヌは、ほんの少し心細く思いながら、駅までの道をグラクオスの切符売り場で尋ねる。 「道を真っ直ぐ……お嬢さんひとり? 道々気を付けなよ。治安は悪い方じゃないけど、色んな奴が集まる場所だから良いとも言えないしな」 「はい……」 既に話される言葉も違う。  そうだわ。ここは、グラクオス。リディアスではない。  マリアンヌは誰も知らない土地で、僅かな心細さを感じていた。  言葉は分かる。交易を任されている対岸の土地の娘だ。小さい頃からずっと馴染んできているから。だけど、どこか、違う。  父に連れられ歩いたこともある。その時は活気に満ちた素晴らしい場所だと思った。  だけど、今はその活気が怖いと思う。  喧騒の中から完全にはみ出しているようで、弾かれているような。  誰も助けてくれない不安に初めて陥った。  こんな時はお手紙を……とポシェットの中から手紙を取り出した時に、マリアンヌは大きくバランスを崩してしまった。 「きゃ」 上手く手をつくことはできたが、直接地面に叩きつけられた掌がじんじんと痛み、マリアンヌにその衝撃の大きさを知らせてくる。  転んでしまったの? 子どもでもないのに?  そして、罵声に視線をあげる。 「突っ立ってんじゃねぇよ」 転んだマリアンヌに謝りもせず、背中からぶつかってきた男が悪態をついて去って行く。黒髪短髪。みすぼらしいとまでは言えないが、マリアンヌが絶対に着ないだろう、粗野な服装の男。なんて無作法な人間なのだろう。あんな人間がいるなんて。起き上がったマリアンヌはその背を睨み、手を払う。少し擦り剥いている。  あんな人間がいるなんて。  ただ、もう一度思った。
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