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宰相府へ
次の日の午後。宰相閣下が貸してくれたハンカチを返しに、僕は宰相府へ来ていた。
「さ、宰相閣下に借りた物を返しに‥‥‥」
気が滅入りそうになりながらも、やっとの事でそれだけ伝えると、入り口にいた兵士は、ノックをしてから中にいる宰相閣下へ向けて大声で言った。
「失礼いたします。宰相閣下に来客です。借り物を返しに来たそうです」
「どうぞ、お入りください」
僕が両開きのドアから、部屋の中を覗き込むと、宰相閣下は書類を手に持ったまま、真顔でこちらを見て固まっていた。
「あの‥‥‥。お仕事中、すみません。ハンカチを返しに来ました」
「そうか‥‥‥。今度、会った時で良かったのに‥‥‥」
「あの‥‥‥。お邪魔してしまってすみません。またお会いする約束はしてなかったので‥‥‥」
「今週、開催される王家主催のパーティーに誘おうと思っていたんだ‥‥‥。すまない。不安にさせてしまったな」
宰相閣下がそう言うと、周りで働いていた部下の人達は空気を読んだのか、黙って部屋を出て行った。
入り口に立っていた護衛の兵士がドアを閉めると、宰相閣下は僕の栗色の髪の毛に手を触れていた。
「今日もハネてるね‥‥‥。かわいい」
「あのっ‥‥‥。お仕事の邪魔をして、すみません。もう、帰りますから‥‥‥」
「せっかく来たんだ‥‥‥。アレクシスの意見を聞かせて欲しい」
「意見?」
それから数時間、王城に新しく併設される魔術訓練所や他国から輸入する魔石について、それから研究所でどういった研究をしているのかなど‥‥‥。仕事の話は多岐にわたり、気がつくと日が沈みかけていた。
「アレクシス、今日はありがとう。助かったよ」
「僕もです。いろいろ勉強になりました」
「では、またパーティーの時に‥‥‥」
宰相閣下は、そう言うと流れる様な動作で僕の手を掴み、手の甲にキスをした。
「変な虫がついたりしませんように‥‥‥」
「‥‥‥」
僕は喫茶店のとき同様に舞い上がってしまい、自分を取り戻すのに再び時間がかかってしまっていたのだった。
*****
数日後。王家主催のパーティーに招待された僕達は正装をしてパーティー会場へ来ていた。今日は宰相閣下が研究室まで迎えに来てくれたので、着替えも髪の毛のセットも宰相閣下のお付きの人に手伝ってもらっていた。
会場へ移動する馬車の中で、宰相閣下が僕の頭を撫でていた。今日は髪の毛をセットしてもらったから大丈夫なハズなんだけど‥‥‥。などと余計な事を考えていた。
「あの‥‥‥。髪の毛、まだハネてますか?」
すると宰相閣下は、虚を突かれたような顔をしていたが‥‥‥。目を細めると再び僕の髪の毛を撫でていた。
「いや‥‥‥。アレクシスは今日も可愛いなぁって、思ってね」
思いもよらない殺し文句に、僕は何も言えないまま、モゴモゴと口ごもってしまったのだった。
*****
会場へ着くと、僕をエスコートしながら国王陛下への挨拶を済ませ、身内と挨拶をしていた。しばらくすると、宰相閣下は秘書の人に呼ばれていた‥‥‥。どうやら、仕事の用事があるらしい。
「アレクシス、すまない。仕事の話をしてくるから、少しの間ここで待っていてくれないか?」
「‥‥‥分かりました。いってらっしゃい」
僕はスイーツの置かれているテーブルまで行くと白いお皿とフォークを手に取って、ケーキをお皿の上に載せた。
「ほら、あの宰相閣下の‥‥‥」
「政治か‥‥‥」
ヒソヒソと噂されているのを感じていたが、僕は気にすることなくケーキを食べていた。これぐらいで気が滅入ってたら、宰相閣下のパートナーなんて務まらないだろう。
「また会ったな‥‥‥」
「あなたは‥‥‥。スミス様」
この間と違って、正装をしているスミス様は公爵令息と言われて、しっくりくる『何か』があった。侯爵令息としての僕に、その『何か』があるのかは、分からないが‥‥‥。
「いいのかよ。みんな、言いたい放題だぜ?」
「‥‥‥何がですか?」
「お前が、媚薬を盛ったとか、惚れ薬を使っただとか‥‥‥」
「媚薬?! まさか。そんなことある訳無いでしょう‥‥‥。親同士が決めた婚約ですよ?!」
「親同士が決めたら、仕方がないのか?」
「それが、侯爵令息としての責務です」
「叔父上が可哀想だな‥‥‥」
「でも‥‥‥」
「でも、何だ?」
「僕は‥‥‥。その‥‥‥。宰相閣下に好意を抱いています」
「なら、もっとハッキリしろよ。お前みたいな奴が、叔父上の隣に立てるのか? 言われっぱなしで‥‥‥。そんなんじゃ、社交界でも足引っ張るだけだろう?」
「そんなことありません。言いたい人には言わせておけばいいんです‥‥‥。僕には、宰相閣下がついてますから‥‥‥。彼を信じて、ついて行きます」
「好きなだけで、何とかなる世界じゃないんだぞ‥‥‥」
「分かっています」
「スミス!!」
宰相閣下が、人の波をかき分けてこちらへ来るのが見えた。
「俺は認めないからな‥‥‥」
宰相閣下が、こちらへ辿り着く前にスミス公爵令息は去って行った。宰相閣下は僕の手を掴むと、こちらを心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫? 何か言われた?」
僕は頭を振ると宰相閣下を見つめた‥‥‥。声が出ない。宰相閣下の青い瞳を見ていると安心したのか、僕の目には涙が溜まっていった‥‥‥。
「大丈夫です‥‥‥。あの方は、宰相閣下の事が好きで、気にかけているのでしょう」
「それで、僕の大切なアレクシスが泣いてしまっては意味が無いよ‥‥‥。帰ろうか。仕事も終わったし」
「‥‥‥はい」
僕が宰相閣下の手を取ると、宰相閣下はエスコートをしてくれた‥‥‥。その日は、そのままパーティー会場を後にしたのだった。
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