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懺悔
用意してもらった客室は、かなり広かった。大きめのソファーに横になると、宰相閣下はソファーの下にある床に座っていた。僕はソファーに座るように言おうとしたが、その前に宰相閣下が僕の唇の前に人差し指を立てて真剣な表情をしていた。
「実はアレクに、1つ謝らなければならない事があるんだ」
やっぱり婚約破棄したいとか、そんな話だろうか‥‥‥。勝手に想像した僕は、悲しくなりながら話を聞いていた。
「私達は、初対面ではないんだ」
「‥‥‥え?」
「君が12歳の時に、ミャーマ湖で1度会っている」
12歳といえば、学園に通う2年前だ。確かに、学園に通う前は夏に避暑地であるミャーマ湖へ行っていたが、小さい時ならともかく、12歳の時の記憶がないのはおかしい。
「‥‥‥ごめんなさい。覚えてないです」
「それも‥‥‥。そうなんだ。私達は君に1度催眠術をかけている」
「‥‥‥私達?」
「サリエル侯爵‥‥‥。君の父上と一緒に」
確かに父は心理療法の資格をもっており、医者としても有名だ。でも2人で僕に催眠術を掛ける必要なんて、一体どこにあったのだろうか?
「ごめん。訳がわからないよな‥‥‥。最初から説明させてくれ」
僕が頷くと宰相閣下は、僕の頭を撫でてくれていた。
「その時の私は宰相になりたてで、公爵家も継いだばかりとあって色々と‥‥‥。仕事もプライベートも上手く行かなくて自暴自棄になっていたんだ。私がいなくなれば、全てが上手く回る‥‥‥。いつの間にか、そんな考えに囚われていた」
「‥‥‥」
「いつだったか、ミャーマ湖なら楽に天国へいけると‥‥‥。そんな噂を聞いて、ある日私は足が向くまま湖へ向かい‥‥‥。自分でも気づかないうちに入水していたんだ」
「‥‥‥辛かったんですね」
宰相閣下は、僕の頭を再び撫でてから話し始めた。
「このまま死ねば、楽になるのかもしれない‥‥‥。そう、思ったよ。そんな時、僕の服の裾を掴む手があったんだ」
「それが‥‥‥。僕?」
宰相閣下は頷くと、気まずそうに言った。
「『どうしても死にたければ止めないけれど、少しでも生きたい気持ちがあれば、僕が側にいて一生面倒見ます』って、君はそう言ったんだ。僕は子供の戯れ言だと思って笑ったんだけど、君は本気だったんだ」
「??」
「『君の気持ちを否定する権利がないように、僕の気持ちを否定する権利も君にはないはずだ。僕は本気だ。本気で君を愛してる。だから、たとえ何かの拍子に記憶を失っても僕は君を絶対に諦めないし、この大陸の一番端にいたって絶対に君を見つけて見せる‥‥‥。だから‥‥‥。だから、僕と結婚しよう』‥‥‥。湖に半分浸かりながら、私の服を掴み、必死に君は私にそう言ったんだ」
いくら子供だったとはいえ、自分が言ったであろうメチャクチャな話の内容に恥ずかしくなった。
「え? でも、それなら何故、催眠術を?」
「君は『結婚しよう』と言いながら、発情していたんだ。言い訳になってしまうのだが、自暴自棄になっていた私は、気づくのが遅れたのと、仕事の疲れで意識が混濁していたのとで、気づいたら君の項を噛んでいたんだ‥‥‥。気づいた時には、君は痛みで失神してしまっていた後で‥‥‥。さすがに責任を感じて、そのまま近くにいた家令と一緒にサリエル侯爵に土下座しに行ったんだよ」
「え‥‥‥。ええええ?」
「私が責任を取ると言う形で、サリエル侯爵は納得してくださった。噛みつかれて気を失っても私の服の裾を掴んで離さない君に、この世に再び繋ぎ止められている気がしてね‥‥‥。君が成人するまでの6年、頑張ろうと決めたんだ」
「じゃあ、僕の発情期が来なかったのって‥‥‥」
「おそらく、『番』である私が側にいなかったからだと思う」
僕は『番』という言葉に恥ずかしくなり、顔を背けソファーに顔を埋めた。
「ごめん‥‥‥。怒るよね。催眠術をかけたのは、君が噛まれたことにショックを受けたのではないかということと、成人するまでに他に好きな人が出来たら、それを優先させてあげたかった気持ちもあったんだ」
「そんな‥‥‥」
「サリエル侯爵も、それで納得してくださった。ただ、催眠術をかけたあとに君は何故か魔術に没頭するようになってしまってね。副作用か何かではないかと気にはなっていたのだけれど‥‥‥。そういう症状ではないと侯爵に言われてね。天才魔術師に釣り合う人物であるために、ここ数年の私は、かなり必死だったんだよ‥‥‥。こんな人間でガッカリした?」
「そんな訳‥‥‥」
「そんな訳?」
僕は、思い出していた。あの夏の日の記憶を‥‥‥。湖に入ってきた人間が美しすぎて、一瞬、妖精かと思ったこと。一目惚れした人が、入水しようとしていて何とか止めようとしたこと‥‥‥。言葉を尽くしても受け入れてもらえなかった悲しさもあったが、彼が今、生きているということに、それ以上の喜びを感じていた。
「ぼくがっ‥‥‥。ジル様以外の誰を求めると言うんです?!」
「ごめん。私が悪かった」
僕が宰相閣下に抱きつくと、彼は僕を抱きしめ返してくれた。
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