Ⅰ #suicide

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2 「自殺……に間違いはなさそうですな。鑑識の報告によると」  目の前の刑事が調書らしき書類をパラパラとめくりながら、こちらをじっと見据える。爬虫類のような細い目からは二つの思考が読み取れる。恋人を亡くした人間に対する同情。そして、第一発見者を疑う猜疑心。  「まだ助かるかも」という一縷の望みと「もう助からないだろう」という諦めから、僕は救急車と警察の両方を呼んだ。最初に到着した救急隊員は彼女を天井から下ろし、脈拍などを確認する素振りをした。そして、無念そうに横に首を振る。  そのすぐ後に警察も到着し、僕はその場で色々と事情を聞かれた。幾つか質問をされた後、「今日はお辛いと思うので、また後日、お話を伺います」と刑事が言い、彼女のPCとスマホなどを持って去っていった。  そして、今日に至る。昨日のことは殆ど覚えていない。何もする気が起きず、この状況に現実味が湧かず、呆然としていたのかもしれない。気が付いたら、今日になって電話で警察に呼び出され、僕は警察署に向かった。 「では、司馬記(しばしる)スさん。貴方は本当に彼女の自殺の原因に心当たりはないんですな」  中年の男性刑事が僕の名前を呼び、問いかける。この質問は昨日も含めて五回目だ。  僕は半ばうんざりしたように「ありません」と答える。彼女が亡くなったことさえ受け入れられないのに、自殺の心当たりなんて知る由もない。  そんな僕の気持ちを察したのか、刑事は申し訳なさそうな表情で僕に語り掛ける。 「あぁ、申し訳ありません。ただでさえお辛い時に、こんなに質問攻めにしてしまって……。ただね。こちらも仕事なのでね。色々と手続きがあるんですわ。一応、こちらで調べたことをご報告しますので、貴方はただ頷くだけで結構です。何か間違いがあれば言ってくださいな」 「はぁ……」  気のない返事をする僕に構わず、刑事は書類を読み上げる。 「えぇと……。今回亡くなったのは『輪廻回(りんねまわ)ル』さん。28歳とはお若いですね。貴方より二つ年上だとか」 「はい。一年前にマッチングアプリで出会いました」 「最近、そういうのが流行ってますもんねぇ。まぁ、それはともかく。彼女のご職業は動画配信者だとか……」 「えぇ、彼女はVtuberです」  僕が訂正すると、刑事はポリポリと頭を掻いた。 「いや、申し訳ない。その分野にはとことん知識が無いもので……。それはどういうものなんです?」  刑事の質問に僕は淡々と答える。 「Vtuberは動画配信者がモーションキャプチャー技術によって作られた3Dのキャラクター、つまりアバターの姿に声をあてて配信を行うんです」 「なるほどねぇ」と刑事は頷く。 「となると、芸能人とかYoutuberみたいに人の目に晒されるご職業であったと。そうか……どうりで……」  含みのある言い方が僕は気になった。 「どういうことです?」  僕が身を乗り出すと、刑事は慌てた様子を見せる。 「いやぁ、その……。どこまでお話したらいいのか。ほら最近、流行ってますでしょう。芸能人とか、アイドルとか、歌手とかの自殺が」  刑事の台詞に僕は思い出した。  昨今、アイドルや俳優、動画配信者の自殺が続いているという内容が連日に渡ってニュースで取り上げられている。そのニュースによれば、その誰もがSNS等による誹謗中傷によって精神的に病んでしまったが故の自殺だと報じられていた。  刑事が訳知り顔で滔々と語る。 「最近はほら。誹謗中傷が毎日のように続いて、ふとした瞬間に思い立って自殺……みたいな件が多くてね。今回の件も同じでしょう。配信者となると、厄介なファンとかアンチとかの攻撃に悩まされることも多いみたいですからな。私は詳しくはありませんがニュースでやってましたよ」 (彼女のことを何にも知らないくせに! 知ったような台詞を吐きやがって!)  そう怒鳴りつけたい気持ちを必死になって抑える。代わりに、自分でも驚くほどに冷たい声で言い放った。 「僕は彼女の配信活動にはノータッチだったので詳しいことは知りませんが。でも、特に配信で悩みを抱えている様子はありませんでした。トラブルが起きている様子もなさそうでしたし。それとも民度が悪いファンやアンチが付くような配信を彼女がしていたとでも?」 「あぁ、いや、そんなつもりは……。失礼しました。あ、あと……」  刑事は口ごもりながら謝り、誤魔化すように話題を変える。 「司馬さん。貴方、『#パナセア』って言葉に聞き覚えはありませんか?」 「パナセア?」  聞き返す僕に刑事は相手を問い詰めるような視線を向けた。 「いえね。彼女のスマホのメモにそのような言葉が残っていたんですよ。彼女の死亡推定時刻の直前に打ち込まれた言葉だと分かったんでね。彼女の自殺の原因に関係あるかと思ったんですが……。  そういえば、司馬さんは製薬会社の開発部門にお勤めのようで。どうでしょう? そのような薬の名前とかに心当たりはありませんか?」 「何故、そう思うんです?」  僕の言葉に刑事は追及の言葉を続けた。 「パナセアって言葉を調べてみたところ、その意味は『万能薬』。全ての病気や怪我に効果があると称される薬のこととか。我々としては、貴方の職業と彼女の自殺の原因に何か関係があるんじゃないかと思うんですがねぇ……」  取り敢えず、僕は家に帰された。あの刑事は端から僕に疑いの目を持っているようだった。殺したとまでは思わないものの、DVの可能性くらいは考えているのだろう。  ふざけるなと、心の底から憤りを感じた。むしろ、最近は新たな薬品の開発の仕事で夜遅くまで帰れず、何も彼女の話を聞いてやれなかったのだ。それが今になって後悔の楔となって、僕の心臓に深々と突き刺さった。痛い。彼女の死に様がありありと脳裏に浮かび、その光景がフラッシュバックする度に心が鋭利なのこぎりで切り刻まれているかのように痛くなる。  悲痛な思いでマンションの僕の部屋の前まで辿り着く。そこで、僕は部屋のドアの前に誰か立っていることに気が付いた。女性だ。長い黒髪、喪服のように黒無地のワンピースを着ている。そして、アメジストのような光沢を纏う瞳。 「回ル……?」  彼女が生き返ったのかと思い、僕は彼女の名を呼ぶ。すると、女性はこちらを振り返る。そして、僕に気が付くとゆっくりとこちらに歩み寄った。 「司馬記スさんですね。初めまして」  彼女の声を聞いて、僕は気付いた。彼女は回ルではない。声が違う。彼女の風鈴のような声に対して、こちらの女性の声はやや堅く低い声だった。彼女は深く僕に対して一礼した。 「突然の訪問で申し訳ございません。私は輪廻巡(りんねめぐ)ル。回ルの妹です。姉の自殺について、お話したいことがあって参りました」      
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