友達は魔法使い

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   それから琥珀とは度々屋上で出くわした。だいたい私の方が早く屋上にいて、彼女が後から来るのだ。会う度に彼女は遊ぶことを強要して来て、断りつつも最終的にあれこれどうでもいいことを話すのが最近の日課である。ごくたまに彼女の方が早く来ることもあったけど、そういうときはそっと屋上の様子を確認して、気づかれないように帰るのだ。  彼女の生態は謎な部分が多い。どうやら学校へ通っていないというのは本当のようで、前に屋上であったときは酷く眠そうな顔をしていた。かと思えば、昼間にマンションの前にある庭部分でフラスコのようなものを持って実験のようなことをしていたり、ルーペのようなもので周囲を観察するように眺めていたのだ。夜中に出歩くことも多いみたいで、隣の家から深夜に出入りする音や話し声が何度か聞こえて来たこともある。  彼女は一体何をしているのだろう。まさか本当に魔法使いだとは思わないけれど、普通の仕事ではないのは間違いない。  彼女の父親、もとい師匠とやらも相当忙しいみたいで毎日帰って来るわけではなく、引っ越してから数回しか帰って来ていないようだ。謎は深まるばかり。もしかすると、やばい一家なのかもしれない。  しかしその謎もすぐに晴れることとなった。  ある日のこと、いつものように屋上へ足を運ぶと先に琥珀がいた。珍しいなあ、と思いつつ気づかれないようにそっと扉を閉めようとしたとき――屋上の様子がいつもと違うことに気がついた。  彼女は屋上の真ん中でいつになく真剣な表情を浮かべて、右手で光る球みたいなものを宙に抛(ほう)っていた。それに左手には網のようなものを持っている。一人で遊んでいるのだろうか。  しかし本当の異変は屋上の真上にもあった。それは信じられないほど沢山の魚の群れが円を描くように空を泳いでいたのだ。数百、もしかしたら数千匹はいるかもしれない。空に描く魚の円は途切れることなく続いていて、筒のようにも見える。その筒の真ん中には一人の女の子。  今ここで何が起こっているんだ――。  私はその光景にあっけにとられて、気がつくと屋上の扉を開け放していた。魚の群れはまだまだ数を増している。  半透明な魚の群れが重なって、屋上は雲がかかったみたいに薄暗く陰っていた。魚が動く度光がちらちらと揺れ動いていて幻想的な感じもする。  琥珀はもう一度光る球を自分の頭上に向かって掬い上げるように抛る――とぐるぐる円を描くように泳いでいた魚の群れは動きを止め、宙に抛られた球目掛けて一気に押し寄せて来た。上空の魚が一か所にうじゃうじゃと集まって黒い玉みたいなものが形成されていく。玉の大きさは六畳間に収まるくらいの幅と高さだろうか。  どうやら魚を集めているらしい。周囲の魚が集まり切った次の瞬間、琥珀は叫んだ。 「今!」  声に合わせて左手に持った網を魚の集まったところへ投げる。空に放たれた網は空中で大きく、そして綺麗な円形に広がる。投げる前は気付かなかったが、網の端には重りのような塊が幾つもついているようだ。それはまるで空の投網。網は数千匹集まった魚の大群を難なく覆い、すっぽりと包み込んだ。琥珀は完全に網の中に魚が収まったのを確認すると、 「そりゃぁ!」  と勢いよく網を引っ張った。網は琥珀の体と比べると何倍も大きい。それを諸共せず引いている。こんな大きなものどうするのだろうか。固唾を呑んで見ていると、彼女は腰元に手を掛けた。腰元には見慣れない三日月型の小袋がある。  彼女は「うんしょ」と重そうに網を三日月型の小袋の頂点部分にある口に、掴んでいる網を近づけた。すると、たちまち掃除機のような勢いで巨大な網がその袋の中に吸い込まれていく。もちろんどう考えたって、普通の物理法則では太ももくらいの大きさしかない小袋に、数千匹の魚が捕えられている網が入るわけがない――のだが、どういうわけかすんなりと袋の中にそれは吸い込まれていっている。  そもそも吸い込まれること事態おかしなことだけれど、あんなにいた魚の大群は全て彼女の腰元にある三日月型の小袋に収まってしまったのだ。  何が、何だか分からない状況に私はただその場に立ち尽くすしかなかった。  魚の群れがいなくなったことで屋上はさっきと打って変わり、陰りはなく晴れ晴れとしている。太陽が強く差し込んで、酷く暑い。  私は空を見上げながら、状況を確認しつつゆっくりと琥珀に歩み寄る。 「何だったの……?」  彼女は私に気づいてこちらを一瞥したが、そこにいつもの砕けた表情はなく未だ緊張した面持ちを崩さない。私が困惑していると、彼女は一言静かに呟いた。 「来る……」  そう言うと、マンションの階下から滝登りをするように巨大な魚が姿を現したのだ。魚は見たこともない大きさで私の背丈より二倍も三倍も大きく見える。  巨大な魚は私達の頭上をゆっくりと様子を窺うように泳いでいる。彼女はその巨大な魚を誘導するようにポケットから光る球を取り出して遠くの方へ投げた。巨大な魚はそれ目掛けてまたゆっくりと優雅に泳いで行く。  次から次へと目の前で起こる非常識な現象。彼女は、ここで何をしていたのか。あの魚は何だ。私の頭では何一つ分からない。 分かることと言えば、非現実的なことが現実に起こったということだけ。彼女が魔法使いだと言ったのもあながち嘘ではない――のかもしれない。 魚が消え去り、屋上はいつものように面白みのない場所に戻っていた。  それから彼女はいつもの砕けた表情に戻って「驚いた?」何て言葉を掛けて来る。  驚くに決まってる。分からないことだらけで、もう頭がパンクしそうだ。私は質問を思いつく限り投げ掛けた。 「あの魚は何? それにその袋にいっぱい魚入ってたけど、どうなってるの? ああ、あと投げてたあの光る球は? ていうか本当に魔法使いだったの?」  いつもと違って口数の多い私に、彼女はやや困惑した表情を浮かべていたが「説明するからちょっと待って!」と、仕切り直すように襟元を正していた。  それからあれこれ語り始めて、彼女は基本的に聞いたことは何でも答えてくれた。ただ話している間、視線は定まることなく宙を見たり、足元を見たりとしきりに泳いでいて――たぶんよく考えながら話していたんだと思う。 話してくれた内容はまず信じられないものだった。私が生きて来た常識とはあまりにかけ離れていて、ほとんどおとぎ話みたいに聞こえたからである。  聞けば、琥珀達は魔法使いが住まうグリーンヒルという場所から来たそうだ。そんな場所聞いたこともないけど、横文字なので魔法使いの町は海外にあるのかもしれない。  訪れた目的は主に二つとのこと。一つは逃げた犯罪者を捕まえること。もう一つは犯罪者が逃走中に放ったあの空を泳ぐ魚を捕まえるためだという。  彼女は平然と話しているけど、そんな犯罪者がこの町に潜んでいるとは想像がつかない。  さらに驚くべきことに魔法使いは彼女達だけでなく、犯罪者確保に当たるため何人もこの町に潜伏しているそうだ。彼女の役目はこの町に放たれた魚を捕まえることで。犯罪者については、彼女の師匠のような熟練の魔法使いがその任に当たっているらしい。 「さっきので、この辺りに逃げた魚はあらかた捕まえちゃったから、もうほとんどやることはないんだけどねえ」と彼女は余裕の笑みを浮かべていた。 話せないことも多々あるようで言葉を濁している部分も見受けられたが、ここに来た目的はだいだいそんな感じらしい。  あの空を泳ぐ魚に関しては、死者の森という場所に棲息する珍しい生物だとも言っていた。魚は穢魚(あいぎょ)という種類で森の守護者と呼ばれているそうだ。なぜそう呼ばれているかというと、死者の森には穢れた魂が沢山集まって来るので、それらを食べてくれるのが穢魚なのだとか。だから穢魚がいないと森が循環せず淀みができて土地が腐ってしまうらしい。穢れが溢れ返った死者の森はやがて近くの森や大地、生活に必要な水場までをも枯れさせてしまう恐れがあると彼女は語った。  しかも深刻なことはそれだけではない。今私達の町に放たれた穢魚は餌を求めて、この町にある魂を食っているのだ。食われた魂は輪廻の渦から外れてしまい、永久に消滅してしまう恐れがあるのだとか。だから穢魚をいたずらに棲家から連れ出してはいけないし、一刻も早く森へ返さなければならないという。 しかし一方でその珍しさから鑑賞や食用にしたいという不届きな輩が後を絶たないのも現状で、いくら対策を講じてもいたちごっこになっているのが実状とのこと。  魔法使いといえど、人間と左程変わりないようだ。どこに行っても欲深い輩はいる。まあ、人間の世界に犯罪者が逃げて来るのはごく稀なケースで、しかも捕った穢魚を逃がすとは誰も思っていなかったそうだ。そんなことをしたら死罪は免れないから。  つまりあの魚達――穢魚は密漁された後、犯罪者が逃走する際に邪魔だと判断され、時間稼ぎのためなのか、身軽になるためなのか、理由は定かではないが私達が住むこの町に放たれたというわけだ。  あの最後に泳いでいた巨大な魚だと相当食べそうなので、早く捕まえた方がいいのではと思ったけれど、流石に大群と大物を同時捕えることはできないらしく、今日は捕まえる準備が整ってないから泳がせておくと言っていた。  私はそこまで聞いて、ふと彼女の身が心配になった。話が仮に本当だとして。こんな一般人にべらべらと話していいものなのだろうか。今まで私が知らなかったということは魔法使いのことは秘密とされているはず。 「聞いておいてあれだけど、これって私に話しても大丈夫なの?」 「今更隠す必要もないって。それにこっちの世界でも魔法使いのことを知っている人は結構いるしねえ」  と悪びれる様子もなく、彼女はにっとはにかんだ。  映画とかではアメリカの大統領が宇宙人の存在を認知しているけど、それは国家機密にされていて、国民は全く知らないという状況と似たようなものだろうか。  それから彼女はいつもの調子に戻って、もっと教えてあげるよと投げていた光る球のことや腰に携えた小袋のこと、普段何をしていたかについて教えてくれた。  光る球はシコンソウという植物の実だそうだ。その実は野球のボールくらいで蕾のように葉で覆われていて、中が青白く発光していた。少し気味が悪い感じの見た目である。実は強い香りを発していて、魂を閉じ込めることができるらしい。だから穢魚をおびき寄せるのに丁度いいんだとか。臭いを嗅がせてもらったけど、私には何の臭いも感じ取れなかった。  三日月型の小袋はラウという四つ足の牛に似た生物の内臓から作られているそうで、物をコンパクトにため込んで置ける性質があるらしい。取り出し収納に便利なため、彼女がいた世界では日用的に使われているそうだ。小袋の見た目に施された皮もラウの皮でできていて触り心地が滑らかで気持ちのいい質感である。  青い猫型ロボットのポケットに似てる、と言おうとしたけど話の腰を折りそうだったのでやめておいた。  私は続けて彼女の生態について訊いた。 「夜中出歩いてたり、マンションの庭で何かしてたみたいだけど、それは?」 「あれは魚を集める経路を探ってたり、魚がどこにいるのか痕跡を調べてたの。このマンションは丘の上にあるから魚を集めるのに最適だと思ってたけど、間違いなかったみたい」  彼女はそう言って、満足げに胸を張る。  この世にはまだ私の知らないことが沢山あるみたいだ。正直、聞いてさらにもやもやも大きくなった気がする。まあ、だからと言って私の生活が何か変わったりすることはなく、これからも魔法に拘わることはないのかもしれないけれど、ほとんどの人がこの非常識的な世界を知らずに一生終えるのかと思うと何だか勿体ない気分になる。  彼女は最後に話をこう閉める。 「もしかすると、総理大臣が魔法使いの存在を黙っていたことを国民に謝罪するかもよ。総理だけにソーリーってね」  と相変わらずつまらない駄洒落を披露してきたので、それを合図とばかりに 私達は家に帰ることにした。訊きたいことはだいたい聞けた。屋上は太陽が傾いて、日陰部分が長くなっている。彼女もこの日ばかりはもっと遊ぼうよ、とは言わなかった。  家の前に着くと、介護士のお兄さんと車椅子に乗ったおばあちゃんがいた。どうやらデイサービスから帰ってきたようだ。 おばあちゃんは私に気づいて「おかえり」といつものように笑顔で声を掛けてくれる。私はそれに「ただいま」と返す。 そしておばあちゃんは私の後ろにいる存在に気付いたようで、 「おや、お友達かな? こんにちは」  と琥珀に挨拶した。私はそれを即座に否定しようとして、 「いや、友達じゃ――」 「はい友達です!」  と琥珀は私の言葉を遮って強く言い切った。友達と認めた覚えはないんだけど。  おばあちゃんはそれにふふふと笑って言う。 「プリン貰ったけど食べて行くかい?」  そうして、なぜか琥珀を招いて家にプリンを食べることになったのだ。  琥珀はプリンを食べながら、うちのリビングを物珍しそうに見渡している。隣の部屋と間取りがほとんど変わらないんだから、そんなに珍しいものはないだろう。  プリンはちょっといい奴だった。小さい牛乳の瓶みたいな容器に入っていて、口触りが滑らかでいて、カラメルが絶妙にほろ苦くて美味しい。  おばあちゃんは私達の食べる様子をにこにこと微笑んで見ている。  琥珀はプリンをあっという間に平らげると、棚に立てかけられた一枚の写真に目を留めて言った。 「これって雫?」  それは私の中学の頃の写真。そこにはたすきを携えて沿道を走る私の姿が映っている。 本当は飾って欲しくないんだけど、おばあちゃんが飾ってて欲しいと言うものだから仕方なく置いてあるのだ。 「ああ、うん。中学の頃のね」 「へえ、今はやってないの?」 「まあね。もう飽きたからやってない」  私は話を逸らすように「これ持ってくよ」と琥珀の前から食べ終わったプリンの容器とスプーンを流し場へと持っていく。  おばあちゃんも写真を見つめて懐かしむように言った。 「また見たいねえ。雫ちゃんが走っているとこ」 「えー、私も雫が走ってるとこ見たーい。ねえ、今度見せてよー」  私は食器に視線を落とし、その呼び掛けを聞こえないふりをする。余計な話をしてくれたものだ。おばあちゃんには申し訳ないけど、もう走る気はない。 私には才能がないから――どうせ何も結果を残せないのが分かっているし、惨めな姿を晒すならもう走らない方がいいのだ。  琥珀はなぜかその後もしばらくうちに居座って、おばあちゃんとわいわい会話に花を咲かせていた。私はまた変なことを言い出さないか、どぎまぎしながらその会話を見守るばかり。  ほどなく、買い物に行っていたお母さんが帰ってきた。お母さんは琥珀がいることに疑問を抱くことすらせず「琥珀ちゃん夕飯食べて行く?」と言い出す始末。それには流石の琥珀も遠慮したようだけど、お母さんは酷く残念そうにしていた。  その後お母さんも会話に加わり、いつもと違って大騒がしのリビングに酷くうんざりした。話の途中、お母さんは思い出したかのように買い物中に貰ったという花火のパックを私に押し付けてきた。 「商店街で貰ったから、琥珀ちゃんとやったら?」 「こんなの子供じゃないんだからやらないよ」  と私は拒否するけど、案の定琥珀はやりたいと言う。そのまま、それを断る余地なく、私は花火をする約束を取り付けられてしまったのだ。 幸いなことに、琥珀はまだ仕事が残っているそうで花火は後日することになった。まあ、後日だろうと面倒臭いことには変わりないんだけど。今日はとても疲れたので心底ほっとした。
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