友達は魔法使い

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 おばあちゃんが死んで一週間が経った。あれから屋上には一度も行っていないし、琥珀にも会っていない。会ってもどんな顔をしていいかも、何を話せばいいかも分からないのだけど。   今、彼女は何を思っているだろうか。  本来は今日が初七日らしいのだけど、法要は葬儀の日にまとめて執り行われたので特にすることがないようだ。だから、やったことと言えば朝仏壇の前で手を合わせたことくらい。  それが終わって、私はまた部屋に籠る。お父さんとお母さんはそんな私の姿に何か言うことはなく、むしろ葬式が終わってからは心なしか優しい気がする。  その日は夕飯を食べた後、部屋で漫画を読んでいたらうとうとしてきて、そのまま眠ってしまった。目が覚めると、時間は午後十一時四十五分になっていて、ああ、このままだと今からお風呂に入ったりして寝るのは朝方になりそうだなあ、と少し後悔した。とりあえず、寝起きの乾いた喉を潤すためキッチンへ向かう。  お父さんとお母さんは既に寝てしまったようで、家の明かりは全て消えていた。キッチンの冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぎ入れようとした――そのとき。  リビングの方からガタンという固いものが落ちるような音がした。暗がりから音がしたので、驚いて体がびくんと縮こまる。ゆっくりと息を殺して、リビングを見回した。  見たところ、異変はない。  もっとよく確かめようと、私はリビングに足を向ける。  リビングに行くとカーテンが風を受けてはためいている。どうやらベランダへと続く戸が開いているようだ。  異変と言えばそれくらいで、再び辺りを見回したけど音の原因が分からなかった。  それにしてもおばあちゃんがいなくなったのにリビングには、おばあちゃんの物がまだ多く残っている。椅子や筆記用具、いつも食べていたビスケットの袋、滑り止めのついたテーブルマット。これじゃあ、おばあちゃんが生きているみたいだ。  開いていた戸からひんやりとした風が流れてくる。うちは十三階にあるから不審者の侵入はあり得ないけど、夜中に戸が開いているのは少し気持ち悪い。だから戸を閉めようと、ベランダの方に向かったとき――もう一度外から風が流れてきて、カーテンをふわりとはためかせた。  カーテンの隙間から漏れ出る月明かりがリビングを照らす。そのとき私の足が止まった。  なぜならカーテンの隙間から人影が見えたからだ。咄嗟にその気配に身構える。そして注意深くその場所を見ていると、その人影はくるっとこちらを向いたのだ。  ――おばあちゃん。  一目見た瞬間に分かった。白髪頭で頬とか目じりとかに皺がある見覚えのある顔。いつものおばあちゃん。毎日一緒に過ごしていたのだから見間違えるわけがない。笑顔がとっても可愛くて、いつも私に微笑んでくれるあの顔だ。今だって私に向かって微笑んでくれている。だけど、そのおばあちゃんには一つ異変があった。  目の前にいるおばあちゃんは、しっかりと自分の足で立っているのだ。私と過ごしていたときのおばあちゃんは車椅子を使っていたし、歩くときだって補助がいないと歩けなかったのに。  頭の整理がつかずその場で呆然としていると、おばあちゃんが言った。 「雫ちゃん、ごめんね。とっても悲しませちゃったよね」  喋った。この間葬式をしたはずのおばあちゃんが。これは夢なのか――。 「おばあちゃん死んじゃったはずだよね? 何でここにいるの? それに立ってるし……」  おばあちゃんは穏やかな顔で私の言葉を受け止める。 「雫ちゃんにお別れ言いに来たの。ちゃんと言えないまま、逝くことになっちゃったから」  おばあちゃんは幽霊となって、私の前に現れてくれたということだろうか。それとも私の頭がおかしくなって、幻覚を見ているのかもしれない。でも、この際夢でも幻でもいい。私もおばあちゃんに伝えなくてはならないことがあるのだから。 「謝るのは私の方だよ。ごめんなさい。おばあちゃんが倒れたとき気づかなくて。私がすぐに気づいてたら、おばあちゃん助かったかもしれないのに。私のせいで……」  申し訳なさから、ただ俯くことしかできない。謝っても許されるようなことじゃないけど、自己満足かもしれないけど誠心誠意謝った。 「ううん、雫ちゃんのせいじゃない。きっと雫ちゃんが気づいてくれてても、最初からこうなる運命だったの。だから雫ちゃんが気にすることないの」 「でも恨んでるよね、失望してるよね? おばあちゃんは私のこと応援してくれるけど、いつもいつも私は何もできなくて……。ごめんね、馬鹿な孫で――」  おばあちゃんは首を大きく横に振る。そして言った。 「雫ちゃんと過ごせて、おばあちゃんとっても幸せだったわ。ありがとう」  と優しく微笑んでくれた。それはいつも私に向けてくれる優しい笑み。 「私だって……おばあちゃんが私のおばあちゃんでよかったよ」  言った瞬間、胸の奥で張りつめていた何かがすうっと体の中に溶けていく感じがした。そして、それと入れ替わるように心地よい空気が体全体を満たしていく。  おばあちゃんは私を見つめて、嬉しそうに微笑んでいると「あっそうだ」と思い出すようにぱんっと手を叩く。  何かあるのだろうか。次の行動を注意深く見ていると、おばあちゃんは私を見据えて言った。 「雫ちゃんならできる。何でもできる。何度でも言うわ。雫ちゃんはできる。おばあちゃんいつだって信じてるわ」  それは私への励ましの言葉。おばあちゃんはこんな至らない私をまだ信じてくれるのだ。 「うん……ありがとう」  私はにっと笑って返答した。 おばあちゃんは満足したようにふふふっと笑い、 「さて、もう時間かな。久しぶりにおじいちゃんに会うのが楽しみだよ」 「え? もう行っちゃうの……」  おばあちゃんはそれに、うんと一つ頷く。 「そうだ琥珀ちゃんにもお礼を言わないとね。最後に雫ちゃんと会わせてくれたんだから」  琥珀が会わせてくれたとは、どういうことだろうか。だけど、その先を訊こうとする前におばあちゃんは別れの言葉を言うのだった。 「じゃあね、雫ちゃん」 「待って! まだまだおばあちゃんと話したいよ。走るとこだって見せてないし――それに」  言い終わる前に、おばあちゃんは淡く光りながら青白い泡みたいに弾けて消えて行く。  そして、さっきまで話していたおばあちゃんの姿は完全に消え、カーテンの隙間からは月明かりが漏れているだけだった。  その後、しばらくソファに座ってベランダへ続く戸の方を眺めていたけど、何も起こらなかった。私が見たのは何だったのだろうか。  あれこれ考えている内に気がつくと、ソファで眠ってしまい朝になっていた。 起きてから、ぼうっとする頭で昨日のことを思い返して見たが現実味がなくて、やはりあれは夢だったのかと思った。  しばらくして、お母さんが起きて来た。ソファで呆ける私を見つけると「あら、早いわね」と言っていつものように朝食を準備するのだった。  それから昼になって、私一人が家に残された。お父さんは仕事に行き、お母さんはおばあちゃんが死んで何やら手続きがあるらしく出掛けたのだ。おばあちゃんがいなくなってもいつも通り日々は続く。今日もだらだら部屋に籠って過ごそうかと思ったけど、ふと外の世界が気になってきて久しぶりに屋上に行って見たくなった。  昼食を取った後、屋上に行くため玄関の扉を開けると、隣の家から複数の大人の声が聞こえて来る。見ると、扉が少しだけ開いていて入り口付近に人がいるようだ。  聞こえてくるのは男性と女性の声。何やら物々しい雰囲気だ。  私はその雰囲気に一度、扉を閉めて出直そうとするが――少しだけ開いていた隣の家の扉が開かれ、中から黒いスーツ姿の若い男性と女性が出てきたのだ。出てきた女性と一瞬目が合ったけど、女性はすぐに逸らして男性とエレベーターの方へ消えて行った。  人が来ている何て珍しい。隣の家と言えば、普段は琥珀一人のはずなのに。  何かあったのかなあ、と思っていると開けっ放しになった隣の扉から、ぱちんっという鋭い音が聞こえてくる。 「やはりお前には才能がなかったようだな。人間の手助け何かしおって」  それは低い男性の声で冷たく突き放すような口調。そして隣の玄関口から黒いローブのようなものを羽織った長身の男性が出てきて、私何かには目もくれずにスーツ姿の二人組と同じ方向へと消えて行ったのだ。  明らかに様子がおかしい。隣の家の扉は開け放たれたままである。私は、その場で家に戻ろうかそのまま外に出ようか迷っていると琥珀が隣の家から出てきて、うーんと気持ちよさそうに伸びをした。琥珀の右の頬は薄赤く腫れているように見える。  完全に動くタイミングを見失う。琥珀はふうと手を下すと、ふとこちらを見た。 「うわっ! 雫?」  私は「どうも」と軽く会釈する。琥珀と会うのはあの日以来だから、顔を突き合わすのは気まずい感じがする。 「えっと……もしかして、さっきの全部聞こえてた?」 「ううん。全部は聞こえなかったけど。才能がどうとか、人間の手助けがどうとかは……」  琥珀はそれにあちゃあ、とおでこを抑えてそれから力なくはにかむんだ。 「実はさ、仕事首になったの」  首とは私の認識では仕事を辞めさせられることだけど。何かしたのだろうか。 「ミスでもしたの?」 「まあ、そんなとこかな。それより、おばあちゃんにお別れ言えた?」  おばあちゃんのことを知っているということは、やはりあれは夢ではなかったのか。そういえば、おばあちゃんも去り際に琥珀のおかげとか言っていた。詳しく訊くことはできなかったけど、あれは琥珀が魔法を使ってくれたということに違いない。 「うん会えたけど……。琥珀が魔法で会わせてくれたってこと?」  琥珀は、にかっと笑った。 「お別れ言えたみたいでよかったね」  私はそれに頷くことしかできない。本来であればお礼を言わなければならないところだが、前にあんな八つ当たりのようなことをしておいて。自分が情けなくて伏し目がちになる。それに彼女にも謝らないといけないのだ。  私はもじもじしながら、謝ろうかお礼を言おうか逡巡していると彼女が突然告げてくる。 「それと、私も雫とお別れしなきゃならないね」 「お別れってどこか行くの……?」 「さっき首になったって言ったでしょ。だからここにいる意味なくなったってわけ」  そう言った、彼女の顔に悲壮感は窺えない。  何があったかは分からないけれど、状況を察するに彼女は何かしらのミスをした。それは師匠らしき人に才能がないと言われるようなことで。それは人間の手助けになるようなことだったらしい。自身を優秀だと言っていたけど、そんな彼女でも失敗はするようだ。  あれ、待てよ。私とおばあちゃんを会わせてくれたことは手助けに入らないのだろうか。  私は恐る恐る訊いてみた。 「それって、もしかして私のせい?」  彼女はその問いには答えず、ただ視線を逸らすばかり。その態度に私はさらに詰め寄る。 「ねえ、教えてよ……おばあちゃんと会わせてくれたことに関係あるんじゃないの?」  彼女は一泊置いてから天を仰いだ。そして観念したかのように口を開いた。 「ばれないようにやったつもりだったんだけどなあ。本当によう見てる……」  直接言わないものの、その言葉は認めたに等しいものだった。よう見てる、という言葉は彼女の罪を糾弾した魔法使いに対して言った言葉だと思う。 「私達の世界の決まりでね。雫にも分かるように言うと、人間の利益となる魔法や魔術を使用してはならないっていう決まりがあるの」  だから私は魔法使いの資格剥奪されちゃったあ、と彼女は努めて明るく言った。  決まりとはこっちで言う法律みたいなものだろうか。彼女はそれを破ったということか。 「何でそんなことしたの……?」 「だって、雫の悲しい顔見たくなかったんだもん」  彼女はさも当然というように、あっけらかんと言う。  何を言っているんだ。だって彼女とはこの前会ったばかりで、そんなことをされる覚えはないし。ましてや自分の仕事を失ってまでするようなことではない。私の悲しい顔が見たくないというためだけに決まりを破って、首になる何て――。  彼女はあほだ。それも信じられないくらいのあほである。 「私のために自分の人生台無しになってるんだよ……。見返してやるって目標はどうしたの? 凄い魔法使いになるんじゃなかったの? それが全部なくなっちゃったんだよ」 「そうかもね……。でも後悔してないよ。前にあったときより雫の顔が明るいから」  目指すべき目標がなくなったはずなのに、彼女は辛くないのか、悲しくないのか。いや、そんなはずがない絶対に苦しいはずだ。でも彼女は悲しい顔一つせず笑っている。  今何て言葉掛けたらいいだろうか。彼女の淀みのない天真爛漫な表情を見て思考を巡らす。  ああ、そうだ私はまだ彼女にお礼を言っていない。 「琥珀の選択には正直納得いってないけど。私をおばあちゃんと会わせてくれてありがとう。それから、私のためにごめんなさい」  彼女はその言葉に驚いたように目を丸くした。そしていつものように、またにっと笑った。どうしようもなくあほだけど、どうしようなく真っすぐで優しい女の子。  私は深呼吸を一つして、訊いた。 「それでこれからどうするの? 実家に帰るとか?」  その問いに笑っていたはずの彼女の顔が、わずかに曇る。彼女はそのまま腕組みをして考えるように言った。 「うーん、それはないかな。私、子供の頃に家追い出されてるから」  前に彼女が育ったところは厳しかったと言っていた。あれは実家ではないということなのか。 「追い出されてるって、実家があるんじゃないの?」 「私の世界ではよくあることなんだけど、才能ないって判断されると家を出されるの。優秀な魔法使いを一家総出で輩出するみたいな。うちの場合兄貴が優秀って言ったじゃん。だから八歳のときに私はそういう子達が集まる施設に行くことになったんだ。まあ、そんなわけで実家はないの」  彼女は遠くを見るようにして言った。見返してやりたいって言っていた意味が分かったような気がする。いつも明るく振舞ってはいるけど、彼女の境遇を鑑みればその苦労は想像を絶するものだ。 「そんな悲しい顔しないでよ。大丈夫、何とかするから」  彼女はそう言って、笑った。  いつも彼女の行動は私の気持ちを考えてくれない。ときに面倒臭く、煩わしいこともあった。だけど、彼女と会った後は不思議と心が軽くなったような気分になる。  私は彼女に何かしてあげられただろうか。いや、何一つしていない。  思えば、何気ない毎日の中で、私はいつも彼女に元気づけられていたような気がする。  彼女の力になりたい。そう思うと、自然と言葉がこぼれ落ちた。 「琥珀ばっかりずるいよ……」  私は彼女を真っすぐ見つめて続ける。 「私にも琥珀のためになること何かさせてよ! できることなら何でもするから言って!」  言い切った後、その場に沈黙が走る。彼女はぽかんと口を開けて、その場で固まっている。私はあまりの沈黙の長さにおかしなことを言ってしまったかと思い、弁明の言葉を探す。と、彼女が呟いた。 「そんなこと言ってくれる人、初めてだよ……」  そのまま彼女はくくくっと笑い、それから少し考えた風にして言う。 「だったら今日の夜、ベランダで待ってて。雫に見せたいものがあるの」  拍子抜けするような返答である。頼まれれば、住む場所や新しい仕事を一緒に探すとか、その間居候できないか親に相談するだとか考えていたのだけど。彼女の頼み事はただベランダで待ってて欲しいというものだった。それに見せたいものがあると言っていたが、何だろうか。想像がつかない。 「そんなことでいいの? 何でもはできないけど……力になるよ?」 「それだけしてくれたら、私は大満足だよ」  と言うので、私はしぶしぶ承諾した。  それから彼女は去る支度をするとかで一度家へ戻った。  私は一応本来の目的であった屋上へ行って、一通り景色を眺める。どうやら世界は変わりないようだ。そうして私も家に戻って、約束の時間までだらだらと過ごすのだった。
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