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エピローグ
「ねえあなた、もう名前決めた?」
「どうかな。実物を見ないと実感が湧かなくてね」
「実物ならここにいるじゃない」妻は臨月のお腹を叩いてみせた。
ぼくたちの子どもは女の子だ。21世紀も中葉に近づく昨今、性別判定は妊娠が発覚したその日にできる。ぼくは女の子だとわかった時点で、きちんと妻に確認した。
ぼくのX染色体にはホモ遺伝子が乗っている、減数分裂時の組み換えでシャッフルされるにせよ、依然としてぼくの精子にはホモ遺伝子が残る可能性がある、ホモ遺伝子は優性遺伝じゃないけど、ヘテロ接合でも潜在的にそれは残る、娘が将来男の子を生む場合、ぼくらの孫はホモになるかもしれない、それでもいいか?
妻は自信満々に言ってのけた。
「いまの時点でもう、ホモとかレズを気にしてる人がどれだけいるっていうの? あたしたちの孫が生まれたときにそれが問題になるはずないじゃない。きっとピーマンが食べられないのと同じようなものになってるって」
* * *
1か月後、3,026グラムのまるまると太った女の子が生まれた。
ぼくは泣き叫ぶ彼女を慈愛に満ちた眼差しで眺めていた。そのとき突如として雷に打たれたかのように、おぞましい考えが脳裏に浮かび上がった。
妻の言ったことは正しい。娘が子どもを産むころにはもう、同性愛者なんて食べものの好き嫌い程度の嗜好だとみなされているんだろう。でもピーマンを食べられない子どもを持つ親がいたとして、ピーマンを好きにならせることができるのなら、彼らはそれを選びはしないだろうか?
いまや初恋適合を与えないのは虐待とみなされるような世の中だ。ぼくは運営会社が同性愛者をこの世から抹消するためにBEMを作ったとは思わない。それは思わぬ副産物だったんだろう。
でも消費者は――世の中の親たちはどう思うだろう。自分の子どもがホモだとわかったら、ストレートになってもらいたいと願わないだろうか。ピーマンを食べられないより食べられるほうがいいと思わないだろうか。相変わらず右へならえの日本で、息子がマイノリティに属するのを黙って見過ごすだろうか。
父親は見過ごさなかった。正直なところ、もとホモだったぼくですら看過できないと思っている。では娘は? いま目の前で泣き叫んでいる娘は?
たぶん、彼女も初恋適合を息子に施すだろう。
彼の性的嗜好がどうであれ、異性を相手に。
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