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4 私の身に降りかかったこと
「もしもし、下条先生ですか?
お電話ですいません。
患者の桐島弥生です。」
「桐島さん?どうなされました?」
「折り入って、先生にお伝えしたいことがありまして。
少しだけお時間頂けませんか?」
「診察ではなくて、ですか?」
「はい。
前回の診察の時、先生にお話した、私の不思議な記憶の事なんですけど……
私なりに抵抗があって、他の人には聞かれたくないので、二人きりでお会いしたいんですが……
お願いできますか?」
「……そうですか。病院内でも構わないですか?」
「はい、構いません。」
「分かりました。場所と時間を調整しますので、改めて連絡してくれますか?」
「ありがとうございます。
失礼します。」
私は、事件の捜査は警察に任せておけばいいと頭では分かっていても、それはそれ。
不思議な記憶の現象を自らの手で解決したいという欲求が消えず、それどころか日ごとに増していって、自分でも抑えが利かなくなっていた。
ということで、エスパー探偵桐島、再びです。
◇
私は下条先生と病院の面談室にいた。
面談室の室内は10畳くらいの広さがあって、ちょうど部屋の真ん中にテーブル1台とイス4脚のセットがあった。
それ以外にはカレンダーや掛時計の類も無く、見るからに殺風景な部屋だった。
窓のブラインドは閉まっていたけど、室内灯が煌々と点いていて明るかった。
テーブルを挟んで、私と下条先生は向き合って座っていた。
さすがに緊張して手汗がヤバい。
私を襲った先生、どんな反応をするんだろう。
2人きりで会って、何か危害を加えられる恐怖よりも、温厚そうな先生が何故あんなことをしたのか、その理由を知りたい好奇心の方が勝っている。
「お忙しいのに無理を言ってすいません。」
平静を装っていても、声がうわずっていることが自分でも分かる。
「いいえ、大丈夫ですよ。
お話というのは、どのようなことでしょう?
桐島さんの不思議な記憶についてでしたね?」
下条先生はいつも通りの穏やかな笑顔。
この先生があんなことするなんて、今でも信じ難い。
「はい、そうです。
その前に確認したいんですけど……あの……下条先生。
私が先生とお会いしたの、この病院が最初ではないですよね?」
「えっ?どういう意味でしょうか?
桐島さんがこの病院に搬送されてくる前に、私が桐島さんとお会いしていたということですか?」
「はい、その通りです。
……先生は、私がこの病院に搬送された日の前の夜、私と会っていませんか?」
ああだこうだ言わないで、ストレートに聞くのが1番。
緊張して吐きそうだし……
「えっ?前の夜に私が桐島さんと会った?
私はその日、休診日だったと思いますから、ここには来ていませんよ。」
「この病院で会ったのではありません。」
「私がプライベートの時間に患者さんとお会いすることはありませんよ。」
「その時の私は、まだ患者ではありません。」
「あ、そうですね。失礼しました。
でも、お会いしてはいませんよ。」
「会った、と言うのはニュアンスがちょっと違いました。
遭遇した、が正確でしょうか。」
「遭遇した?
私が桐島さんと初めて遭遇したのは、桐島さんがこの病院に搬送されてきた時ですよ。」
「違いますっ!前の日の夜ですっ!」
「何か……勘違いされているようですね。
桐島さん、記憶が混乱しているようです。」
「確かに私の頭は、不思議な現象が起こるし、正常じゃないのかも知れません。
でも、あの日の記憶がようやく戻ったんです。正確に。
実際の場所にも行って確認しました。」
「そうですか?
本当に私を見たんですか?
まあ、私が気づかなかっただけなんでしょう。
記憶が戻ってよかったですね。」
「先生にとっては、よくないんじゃないですか?」
私は大見得を切った。
そして、大目に息を吸い込むと言葉を続けた。
「……私を襲ったの、先生ですよね?」
ついに言ってしまった……もう後戻りは出来ない……
「どういうことですか?」
下条先生は表情ひとつ変えずに笑みをたたえている。
その表情を目の当たりにした私は、つい感情的になってしまった。
「それは私のほうが聞きたいことですっ!」
「桐島さん。あなたのおっしゃっている意味がよく分かりません。」
私と下条先生の間の空気が凍り付いたような気がする。
「とぼけないで下さいっ!」
私は自分を煽ってどんどん緊張してきた。
まずいなぁ……
「桐島さん。どうして私が桐島さんを襲わないとならないのですか?
その理由はどこにあるのですか?
私が初めてお会いした人を、何故、理由も無く襲わないとならないんでしょうか?
私はこれでも分別のある人間ですよ。」
「そ、それは……」
……言葉に窮する。
さすが先生、鋭いなぁ。
正直、先生が私を襲った理由は分からない。残念ながら……
「私のオリジナルの記憶では、先生の顔を見てはいませんけど、私の中に流れ込んできた先生の記憶の光景では、私を襲っている先生の横顔が近くに捨てられていたスタンドミラーに写っていたんですよ。
マスクを付けていましたけど、その横顔、先生に間違いありません。」
「そうなのかも知れませんね、桐島さんの意見としては。
でも、それが何だって言うんですか?」
先生は、少しイラついているのか、人差し指でテーブルを数回叩いた。
「先生が私を襲ったことは事実だということです。」
「そのような桐島さんの想像の域を出ない絵空事の話、誰が信じるのですか?
もう少し、精神的に大人になった方がいいですよ。」
なっ、ムカつくーー!!
先生に対する恐怖心は、いつの間にかどこかに吹き飛んでいた。
「証拠だってありますよ。」
「あるはずが無い。
あるとすれば、それは桐島さんの頭の中に、でしょ?」
先生はしたり顔だ。
ますますムカつくーー!!
ダメダメ、冷静にならなきゃ。
目の前にいる先生、ってか犯人に罪を認めさせないと。
「先生がマスクをしていたことを私が指摘した時、先生は否定しなかったですよね?
この記憶が事実だと認めているからでしょ?」
「その記憶は元々私の記憶なんですよね?桐島さんの言い分では。
その記憶を桐島さんが同期した。
そんなことが証拠ですか?
バカバカしい……」
「そうです。立派な証拠です。
でも、それだけじゃどうにもならないことくらい、私にも分かります。」
「じゃあ、話はここまで。諦めてください。」
下条先生は立ち上がろうとした。
「いいえ、話はまだ済んでいません。
実はあの時の動画があるんです。」
「動画?」
イスに座り直した下条先生の口元が一瞬歪んだように見えた。
「はい。先生が私を襲った時の動画です。」
「まさか……あるはずが無い。
いい加減なことを言うなっ!」
下条先生は、前触れもなく激昂した。
優しい態度も豹変。
私は、気圧されて反射的にのけ反ってしまったけど、マウントを取ったと確信した。
下条先生は明らかに動揺している。
罪を認めている証拠だ。
「そんな動画、どこにあるって言うんだっ!誰が撮った?」
「あの頃、あの場所の近くにあった建設中の建物には、通りを録画する防犯カメラが設置されていました。建物に不法侵入する者がいたらしくて……
そのカメラに運良く私たちが写っていたんですよ。
先生にとっては運悪く、ですけど。
その録画データは警察が保管しています。
まさか、ですよね。先生。」
私は強ぶって見せた。
「ふざけるなっ!
俺はお前の怪我を治してやったんだぞっ!
その恩を仇で返しやがって!」
下条先生がテーブル越しに掴みかかってきた。
「きゃっ!」
私は、下条先生から逃れようとして、イスに座ったまま後ろに倒れ込んでしまった。
絶体絶命のその時、床に倒れている私の背後のドアが勢いよく開くと、如月さんが飛び込んできた。
「下条っ!やめろっ!!」
如月さんは、テーブルを飛び越え、あっという間に下条先生を押さえ付けた。
さすが刑事さん。頼もしい限り。
もしもの時のために、連絡しておいて本当に良かった。
「桐島さんっ!危ないことをしないでくださいっ!
私が来るのが遅れたら、取り返しのつかないことになっていたかも知れないんですよっ!」
如月さんは下条先生を拘束しながら、叫ぶように私を諭した。
「ご、ごめんなさい……反省しています。」
下条先生に襲われそうになった私は、恐怖で全身の震えが止まらず、歯がガタガタと鳴っている。
まさか、社会的地位のある下条先生があんな暴挙に出るとは想像していなかった。
素人が探偵の真似事なんかしたら危険なのね……よく分かりました。
◇
数日後、私は如月さんから事件の詳細を聞いた。
警察としては、被害者の多くが下条先生の勤務する病院に搬送されて、下条先生が主治医になっている事実を怪しんでいたらしい……
なるほどね。私には判り得ない事実だ。
ところで、下条先生はヒーローシンドロームとかいう精神疾患だったらしい。
如月さんは下条先生のことをとんだサイコ野郎だと言っていた。
故意に人を傷つけて、傷つけた人を自ら治療する。
そうしておいて、治療した人から感謝されることで興奮を覚え、自我の満足を得ていたとのことらしい。
まったく、とんだヒーローがいたもんだ……
普段、治療して患者から感謝されることと、どこが違うんだろう?
医者でもない、ましてやヒーローシンドロームでもない私には全く理解できない。
と言うことで、下条先生の犯行目的は強盗じゃなかった。治療して感謝されることが目的。
不幸中の幸いと言うべきか、私のスマホと財布は下条先生の自宅から発見された。
他の被害者の人の私物も見つかったらしい。
下条先生は奪ったものを記念品としてコレクションしていたらしく、……全くのサイコ野郎だ。
ただ、私が下条先生に狙われたのは偶然だったらしい。
マッチングアプリで知り合った相手はやはり先生だった。
たまたま私が下条先生とマッチングしてしまった。
もうこりごり。
そして、下条先生が勤務している病院に搬送されるように、先生は頭部に怪我を負わせ意識を失わせた私を山手通りに置き去りにした。
……こんなひどい話ってある?
あの頭痛はもう起きていない。これからも起きないと思う、多分……
他の人の記憶が同期するようなことはもう無い。
私の頭は、私が失くした記憶を補うために他人の記憶を取り込んでいたんだ……きっと……
なので、私がまた記憶を失くしたら、同じようなことが起こるのかも知れない……
どうして、こんな特異体質になってしまったんだろう?
やっぱり下条先生に殴打されたことが、きっかけであり、原因なんだろうけど……
こんな変わった能力を持ったところで、世の中の役には立たないし積極的に使えるものでもない……
得も言われぬ虚無感……
とにかく、エスパー桐島VSサイコパス下条の戦いは無事に終わりを迎えましたとさ……
めでたし、めでたし。
……なんてね。
……私の特殊な能力……能力って言えるんだろうか……
まあ、それは置いといて、私が特異体質になって起きた出来事を振り返ると、ふと考えてしまう。
人が平凡に生きて行くことは、想像以上に難しいことなんだろうな……
そうなんだろうけど、人は、自分と比べて幸福な人を見ると羨み、平凡な自分に嫌気がさす。
そのくせ、自分と比べて薄幸な人を見ると哀れみ、平凡でよかったと安堵する。
都合よく平凡を使い分ける。
平凡って一体、何?
人を羨んだり、蔑んだりしないこと。それが平凡。
そう思う。精神的に……
もちろん、現実の社会生活における平凡も然り。
そういう意味で平凡が一番。
平凡上等!!
それに越したことは無い。
でも、今の世の中、平凡に生き抜くことは甚だ難しい。
平凡に生きて行くことが平凡ではない。
私は今、強くそう思う。
……そんな取り止めのないことを考えながら大正通りを歩いていると、気が付けばレモンビルの近くまで来ていた。
見上げると、夕日を浴びているレモンビルは記憶の中と同じように赤橙色に染まっていた。
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