透明なビジネス

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透明なビジネス

 それを見つけたのは、男がインターネットの闇サイトを巡っていたときだった。 『透明になれる薬、今だけ限定販売!』  男の視線はキャッチコピーに吸い寄せられていった。もちろん、眉唾物の商品だということは理解している。ただ、男なら誰しも一度は思い願ったことだろう。 ――透明人間になって、あんなことやこんなことをやってみたい。  半信半疑のまま購入ボタンをクリック。かなりの高額商品のため財布は痛むが、邪な欲望には抗えまい。あらぬ妄想をパンパンに膨らませ、男は薬の到着を待った。 「おっ」  薬の効き目を確かめるべく、男は自宅近くのコンビニエンスストアに。入店時、店員が男に向かって「いらっしゃいませ」と声をかけることはなく、レジ前に立っていても、店員が会計に駆けつけることはなかった。そして男は確信した。 ――俺は今、透明人間になってる!  背徳感から体が震えはじめた。下品な笑みをこぼす男。確信を得た男は、迷うことなく店内から飛び出した。薬を購入した真の目的を果たすため、最寄り駅へと急ぐ。温泉地を訪れるために。  電車に揺られ辿り着いた温泉街。目指すは、温泉宿の女風呂。子供の頃から密やかに夢見続けてきた。漫画やアニメの破廉恥なワンシーン。何度、妄想したかわからない。まさかあれが現実になるとは。  一度は宿泊したことのある宿。露天風呂の位置は把握してある。荒い息遣いのまま、男は宿の裏口へとまわった。 「うそだろ?!」  目に飛び込んできた光景に、男は唖然とする。なんとそこには、陰気な男たち――先客が行列を成していた。そして、〈最後尾〉と書かれたプラカードを掲げたスタッフらしき男が声を張る。 「ここが最後尾ですよー。女風呂を覗きたい透明人間の方は、こちらにお並びくださーい!」  男は興ざめした。透明人間の醍醐味と言えば、誰にも見られず、誰にも知られず、ひっそりと悪行を働くことにあるんじゃないのか。順番待ちして味わうものじゃない。男を落胆させたのは、それだけじゃない。透明人間には、透明人間が見えるという新事実。現にこうして、女風呂目当てに長蛇の列を成す愚者どもが目の前に立ち並んでいる。その事実が、男の昂ぶりを萎えさせた。  肩を落とす男のもとに、スーツ姿の男性がすり寄ってきた。 「どうされました?」  岩崎と名乗るその男性は、俯く男の顔を覗き込んだ。聞けば岩崎は、透明人間の薬を開発した会社の社員だそうだ。 「まぁ……いやぁ、ちょっと思っていたのと違っていたもんで」 「そうおっしゃる方がいるのも事実。妄想と現実とは、少し趣が異なります。さらに悲しいことに、こうして並んでいる間にも薬の効果は徐々に弱まり、悲願の女風呂には辿り着けない始末――」  岩崎の言葉にハッとする男。薬の作用は一定の時間だけに限定されている。それが切れれば、透明化の効果は失われてしまう。  詐欺じゃないか――怒りをぶつけようとした瞬間、岩崎が男にチラシを手渡した。 「我が社では、お客様のご不満を解消するべく、新たなサービスの提供をはじめました。そう。サブスクリプションサービスです。月額料金をお支払いいただければ、継続的に薬をお届けいたします」  チラシに掲載されたQRコードを読み取ると、男のスマートフォンにはサービスの購入画面が表示された。薬の初回購入時と同様、決して気軽に払えるはずのない金額。男は戸惑いを見せた。 「効果が切れてしまえば、透明人間の醍醐味も味わえずじまい。男の欲望を存分に満たすためには、おすすめのサービスです。ぜひご勇断くださいませ」  そう言い残すと、岩崎は後ろに並ぶ男たちにも同様の営業をかけていった。  結局、サブスクリプションサービスへと加入した男は、継続的に薬を服用し、小さな快楽を得ることに成功していった。  駅やショッピングモールの女性トイレに侵入したり、ラブホテルの一室に潜み、男女の営みを観察したり。夢である女風呂を覗く悦びは、依然として知らないままだったが。  そんなある日、男の元に一通のメールが届いた。それは薬の開発元の会社から送られたものだった。 『この度、弊社の透明人間薬に欠陥が見つかりました。透明人間の効果が切れず、元の状態に戻れないという欠陥です。欠陥による症状の対処には、別の薬を服用していただく必要がございます。透明人間から元の状態に戻ることをご希望のお客様は、こちらの薬を購入いただき、服用いただくことを推奨します』  詫び文の下に添えられたWebページのURLをクリックすると、〈透明効果消失薬〉と書かれた商品ページが。念のため買っておこうと購入ボタンを探す。するとそこには、透明化の薬とは比べ物にならないほど高額な料金が表示されていた。 「ふざけるな! こいつら完全に足元を見ていやがる! 男心を持て遊びやがって! こんな詐欺ビジネスがまかり通ってたまるか!」  元の姿に戻れなきゃ日常生活を送れない。それどころか、仕事もできやしない。男は怒り狂ったまま自宅を飛び出した。開発元の会社に怒鳴り込むために。  薬品のパッケージに書かれた会社の住所を頼りに、とある雑居ビルへと辿り着いた。既に大勢の透明人間たちがビルを取り囲み、野太い怒声を浴びせていた。 「返金しろ!」 「この詐欺会社! 社長を出せ!」 「訴えてやるからな!」  元の姿に戻れない憐れな男たちが、口々に吠えている。  群衆を見渡すと、その中に見慣れた顔があった。 「おい、桑田じゃないか?!」 「おぉ!」 「何してるんだ?」 「見りゃわかるだろ? 詐欺会社にクレームつけにきたんだよ!」  幼い頃からの友人である桑田。その秀才っぷりに幼少期から天才と讃えられ、有名進学校に難なく合格。その後は、大学、大学院へと進み、知る人ぞ知る著名な医学博士へと相成った男だ。 「なぁ?」 「どうした?」  目を血走らせた旧友が、咆哮の合間に男を振り向く。 「お前ほどの優秀な人間でも、こんな情けない目に遭うんだな」 「情けない?」 「そりゃそうだろ。なんの才能も能力もない、俺たちみたいな無色透明な人間だからこそ、こんな詐欺ビジネスに引っかかっちゃうんじゃないか」  それを聞くと、桑田は誇らしげに胸を張ってみせた。 「どれだけ成功しようが、どれだけ金を得ようが、所詮はただの男。男なんて誰も彼もがバカで惨めなもんだろう」  桑田から発せられた意外な持論に、男は頬を緩ませた。 「あっ、そうだ」 「ん?」 「桑田って医学博士なんだよな?」 「そうだよ」 「いくつも論文を発表したりしてるんだよな」 「まぁな」 「じゃあさ――透明人間の効果を消失させる薬なんて、いともたやすく開発できるんじゃないのか?」  友人から切実な問いをぶつけられた桑田は、表情を曇らせながら言った。 「残念ながら、バカにつける薬はないんだよ」
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