秘密のおくすり

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「知りたいです。教えて下さい」 いつになく生き生きと目を輝かせている小池先生の様子に、俺はワクワクして答えた。 「教えてやってもいいが、それには条件がある。僕のの治験者になってくれるなら、教えてやろう」 「治験者ですって! 死にはしないでしょうね? 俺、まだ人生これからなんですから。何だか不安だなぁ」 「大丈夫。死にはしない。僕の身体で何度も試しているが、体調を崩す心配はない、と思う。ただ、それは僕の場合で、おまえが試すとどうなるか、それはわからない。つまり、僕の研究しているは、効いている間はなりたい自分になれるのだよ」 「なりたい自分になれる?」 「そうだ。例えば、おまえは誰か尊敬している人間がいるか?」 「います。芥川龍之介です。僕は芥川龍之介のような小説家になりたいんです。芥川が現代に生きていたら、どんな小説を考えたろうと、そんな小説を書いてみたいんです」 「ほほう。だが、おまえは山岳部に入って野生の狼みたいな荒々しい冒険を楽しんでいるではないか。高校生のくせに髭も剃らず」 「それはね。芥川が、言っていたんです。若い時、数学と体育をもっと頑張ればよかったと。作家には理路整然とした思考回路と体力が必要なのです。僕は身体を鍛え上げ、数学を頑張ってから、たくましい野性的な魂を持って芥川龍之介が果たし得なかった骨太の長編小説を書き上げたいと考えているんです」 「なるほど。なかなか面白い夢だ。それでは、さっそく、このを飲んでみたまえ。約6時間はの効力が働き、おまえの望む姿に変身する事ができる。ただし、途中で元に戻ることはできないので、よく考えて飲むんだぞ」 「6時間ですか? 今、本当に変身してしまったら、俺、家に帰れないじゃありませんか」 「今、午後3時半だから、21時半には元に戻る。それくらいなら親を誤魔化せるだろう。僕から親御さんに電話しておくよ。進路相談が長引いているので、終わったら僕が自宅まで車で送ると言っておく」 「いや・・それにしても・・今すぐ、どうしても、このを飲まなければいけないのですか?」 「約束したじゃないか。の治験者になってくれるなら、どんな効能か教えると」 「うわぁ。何だか新手の詐欺に騙された気分だなぁ」 「まあ、おまえがなりたい自分が芥川龍之介なら、特別な問題はないだろう。せいぜい芥川になりきっている間に、何か面白い小説でも書いてみてはどうかね?」 小池先生は、そう言って、俺の目の前のノートの上に丸いオブラートをピンセットで載せ、そこへ薄青色の粉薬を小匙一杯、こんもりと盛った。 それからコップ一杯の水が用意された。 そうだ。 そもそも俺は化学の質問をしに来ただけなんだ。 クソッ! 俺は、なるようになれと、度胸を決めて、オブラートを丸め、そのをゴクンと飲み込んだ。 すると急に全身がむずむずして頭の中がぐるぐるした。 何だか妙に喉が渇いて、水をガブガブ飲み干していると、タバコが吸いたくなった。
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