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だが、そう言う男の髪は、意外にも禿げ上がっていた。
「しかし、君。そういう君の髪は、どうしたというのだ」
「あっ! 時間切れだ。朝、おくすりを飲んだけれど、効果がなくなってしまった」
男は慌てて、その部屋の奥の台所かどこかに引っ込むと、しばらくしてニヤニヤ笑いながら出て来た。
髪はフサフサになっていた。
僕はため息をついた。
「どうせおくすりを飲んだところで、アッという間に元に戻ってしまうなら、女が化粧をするのと同じじゃないか。醜女が紅で唇を赤くしたところで、一瞬の自己満足に過ぎない。他人から見れば哀れな一人芝居さ。君は、そのおくすりの効果が切れた真実の自分の姿を見て、情け無いとは思わないのかね? 人間の価値は髪の毛の量で左右されるものではない。僕は、今さらながら、その事に気づいたよ」
男は何か言いたそうに落ち着かない様子で、部屋の中を行ったり来たりしていたが、やがて思い切ったふうに、こう言った。
「芥川先生。そうまで言われて、僕としては黙っている訳にはいきません。どうでしょうか。この際、思い切って、先生は河童になってみませんか? 河童になりたいと強く心に念じながらおくすりを飲めば、もしかすると本物の河童になれるかもしれません」
僕は考えた。
もし僕が河童になれば、この男は、僕をサーカスに売り飛ばすかもしれない。
あるいは僕を見世物小屋に閉じ込めて、金を稼ぐつもりかもしれない。
運良く逃れられたとしても、僕は仲間の河童が住んでいる場所を知らない。
山奥の川辺に掘立て小屋を作り、魚を食べて暮らすしかないじゃないか。
時間切れで、必ず人間に戻る確証はない。
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