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後編
娘の十年後は、やはり明るいものだった。
現在から五年後の三十歳に交際相手の男と婚姻を結び、七年後に第一子、十年後に第二子を授かり円満な家庭を手にしていた。
また仕事も順調で、あれほど悩んでいたのが偽りのように業務をこなし、仕事を任され、新人教育まで担っていた。
「私も若い時は失敗ばかりだった」を口癖に、新人の失敗を庇い、良き上司となっていた。
「これが私?」
娘は十年後の自身の姿に、ただ驚いていた。
そして、それは我もそうだった。
人間は成長をする生き物なのだと、改めて感じた。
『これで安堵しただろう? さあ、元の時代に帰るとしよう』
「はい! ありがとうございます!」
我の神力で現在に戻って来た。
「神様、ありがとうございました! 安心しました!」
『ああ、これからは自身をもっと信じろ。分かったな?』
「はい! ありがとうございました!」
娘は喜んで家路に向かっていく。
その姿に、私は久しぶりに良き働きをしたと思い上がっていた。
……この行動が、娘の未来を変えてしまうなんて思いもせず……。
あれから十年の月日が流れた。
娘は少しずつ我の元に来なくなり、最近は全く顔を見せなくなってしまった。
その理由は明白。我が違った未来を、娘に見せてしまったからだ。
あの日見た未来は、娘は交際中の男と婚姻を結び、子宝に恵まれ、仕事にも励み、美しく輝いている姿だった。
しかしあの娘の現在は、あの男と別れ、仕事も辞め、全てを失ってしまっていた。
神の我が見せる未来に誤りなどあるはずがない。
だから未来が変わった理由は未だ判明せず、どうして良いのか、分からずにいた。
あの娘に会いたくても、我は身動きなど出来ぬ身。そしてなんとかしようにも、どうにも出来ない。原因が分からないのだから……。
そんな時、娘が久方ぶりに私に会いに来てくれた。
その表情は正気がなく、痩せ細り、以前の輝きはなかった。
『……未来が外れて悪かった……。お前を苦しめる事になった……』
「いえ、神様。あなたの力は正しいです。……私が愚かでした……」
『どうゆう事だ?』
この娘の言う意味が分からなかった。
「……あれから私は、いい気になりました。今を適当に過ごしても約束された未来がある。そう思い、努力を怠りました。仕事は度重なる失敗から愛想を尽かされ居場所を失くし、そして彼も私に愛想が尽きたと言い離れていきました。全て、私の怠慢です」
娘から話を聞いても、やはり分からなかった。
娘の怠慢のせいで未来が変わる? 運命など変わるはずないのに……。
しかし、その疑念は娘の話を聞く内に払拭していった。
「……あの時見た十年後は、私が頑張って得た未来でした。彼とは仕事で約束守れなくても謝り、埋め合わせをし、真剣に向き合っていたから結婚の未来があったのだと思います。仕事は、彼との約束を守れない事があるぐらい必死に向き合って頑張っていたから、がむしゃらに頑張って来たから失敗しても周りの人は見離さずにいてくれたのだと思います。適当な事して、失敗を繰り返したら見放されて当然。全て自業自得です。」
そう言い娘は泣き出す。
戻って来ない過去を後悔している悲痛な声だった。
我には不思議だった。この世の成り立ちも崩壊も、生き物の生き死にも、人間の人生も初めから運命によって決まっている。それなのに、自らの行いを責め悔いるなんて……。
しかし、人間とは弱い生き物だと聞いた事がある。弱いから争い、相手を責め立て、そして自分に甘くなる。あれほど謙虚だった娘でさえも……。
分かっている未来の為に、誰が努力を重ね、相手に気遣いをするのだろう? 慢心してしまうのは当然ではないだろうか?
未来は分からないから頑張れる。分からないから悩み苦しむ。我が愚かだと思っていた苦悩の時間は、その人間が成長出来る大切な時間だった……。
そんな事に気付かなかった我こそ慢心していたのだと痛感した。
『……悪かった……』
我はこの娘に謝罪するしかない。この娘を助ける事は、我の消滅を意味する事だから……。
すると娘は座り込み、頭を下げた。
「……神様……。お願いします! あの子達は生まれてくる未来にしてもらえませんか! 勿論、私の子供にして欲しいなんて言いません! どこかの幸せな夫婦の子供として……! お願いします!」
その娘の発言で、ようやく気付いた。
男と婚姻を結ばなかった事により運命が変わり、二つの命がこの世に生を受けることが出来なかった事実を……。
娘は自分の事ではなく、遠目で一度だけ見た子供を気にかけていた。
確かにこの娘の子だが、変わってしまった未来の方では子供を身籠るどころか、この手に抱いた事もない。それなのに、何故これほどの情があるのだろうか?
『……子供もだが、お主はこれからどうするつもりだ?』
「私……? 私なんて……、自業自得だから……」
娘の泣き腫らした目に正気はなかった。心など読まなくても分かる。最期に会いにきてくれたのだと……。
私は、娘の元交際相手が現在どうしているかを知っている。
他の女子との婚姻には至っておらず、交際している相手も居ない。……それなら問題ない。少なくても倫理的には。
だから……。
『……次は過去に連れて行ってやる。人生をやり直してこい!』
「え? いや、私なんて……」
また、自信の無い娘に戻ってしまっていた。
だから我は、突き放すと決めた。
『他人に甘えるな! 穢れのない命を取り戻したいならお主がその腹を痛めて産め! お主が責任持って育てろ!』
「神様……」
『二つの命を取り戻したのだろう? だから、我と出会う前に時間を戻す! だからそう願え!』
……我は消滅の道を選んだ。今からする事は、神の掟を破る事だから……。
しかし、この娘にその事実は言わない。そんな事を知ったら心から願わないだろうから。
『さあ、願え。分かっていると思うが、我は人間が心より願わなければ叶える事は出来ぬからな?」
「はい……」
娘は頷き、黙り込む。
本当に人生をやり直して良いのか悩んでいる心が読める。
『……お主の子供はいくつだった?』
「え?あ、二歳半でした……」
『名は? 何だっけな?』
「一花です」
『大声で泣いていたな?』
「公園で靴脱いで『帰らない』と叫んで、渉も私も手を焼いていましたね……。イヤイヤ期と言って、一番手がかかる時期みたいです」
『あんな、じゃじゃ馬、育てたいのか?』
「……はい」
そう言った娘は頷き、溢れてきた涙を拭う。
『二人目も女だったな? あの男は、『絶対次は男が欲しい』と言っていたくせに、いざ生まれたら娘二人で良かったと吐かす。全く、単純な男だ』
すると、我の話を聞いた娘は笑う。
「神様、どうしてそんな事知っているのですか?」
『そんなの、我が神だからだ』
「会話まで分かるのですか?」
『お主と一緒に未来を見たからに決まっている』
「見に行った十年後は妊娠三ヶ月でした。出産時には行ってません」
……そうだった。どうしてもその後が見たくて娘が帰った後、一人で見に行ったのだった。
なんたる失言。
『悪かった……』
「神様が謝らないで下さいよ!……そっか、あの子もちゃんと生まれて来れたんだ。女の子かぁ。一花は妹が欲しいと言ってたから喜んで……」
娘の涙は頬をつたう。
それが月明かりで光り、それは美しく、そして儚かった。
今話しているのは、実在しなかった未来の話。この娘が握るはずだった小さな手も、腹を優しく摩る存在もない。
『このままでは本当に二つの命は戻って来ぬぞ? それで良いのか?』
「……本当によろしいのですか? 神様に迷惑とかかけるのでは?」
『……我は神だ。こんな簡単な願いぐらい聞いてやる』
「また……、会えますよね? 話、出来ますよね?」
『……勿論だ、次はあの男を連れて来い」
「はい!」
どうやら娘は信じたようだ。
我は、何千年の歴史の中で、初めて人間に偽りを申した。
せめて、それだけは守りたかったのに……。全く、自身の不甲斐なさに、ことごとく呆れる。
『さあ、願いを聞こう』
「……お願いします。私を十年前に連れて行って下さい。今度こそ懸命に生きます!」
『……その願い受け入れた。次はやり直す事は出来ない。分かっているな?』
「はい! ありがとうございます!」
『では十年前に行こう。……悪かったな。辛い記憶は消すから、許してくれ……』
「え?……待って下さい!」
娘は我に、もう一つの願いを言った。
我は反対したが、娘は聞き入れない。だから、我が折れた。
『分かった……。茨の道だが、お主が望むなら……。人生は全てお主次第。全力で生きろ……美咲』
我は最後の力を使い、消滅した。
「もしもし、渉。ごめん、今日も会うの難しくて……」
『え? またかよ?』
美咲は、会社の休憩室からの夜景を見ながら交際相手に電話する。
「ごめん! どうしてもやりたい仕事があって! だから、週末……会ってくれない?」
『別に無理しなくていいし!』
美咲の交際相手は、強い口調で話す。
「そうじゃないの! 私が会いたいの! だからお願い……」
『……分かったよ……』
「ありがとう! 渉! 大好き!」
『……俺も』
美咲は電話を切り、ニヤつく表情を抑え仕事に戻る。
あれから、変わらず仕事の失敗を繰り返していた。しかし時間を重ね、頼もしくなり一人前の会社員になっていた。
美咲は我が憂うぐらい必殺に働いていた。……後悔しない為に……。
「この仕事をやり遂げたら、溜まった有給使うぞー!」
キラキラ輝く夜景を見て、美咲は仕事を再開する。
交際相手との関係も順調だった。
以前は仕事を理解してくれない男に、美咲もどこか喧嘩腰だった。
しかし美咲は交際相手の態度の悪さは淋しさの裏返しだと気付き、出来るだけ愛を言葉にし、優しく接するようにしていた。
一人が変わると相手も変わると言う事なのか、交際相手は少しずつ優しくなり、会うたびに喧嘩となる事は無くなっていた。
そして美咲は、頻回に参拝しに来る。昼に交際相手を連れて、夜は一人で。
「また、この神社かよ?」
「ごめん、ごめん! 少しだけだから」
「まあ、別に良いけど」
以前のこの男なら嫌味を言っていたが、現在は何も言わなくなっていた。この男も、美咲を通して成長したのだろう。
二人は神社の社に向かい手を合わせている。そして、お参りが終わると、私の元に来て必ず触れて来る。
「お前、いつもこの木に触るよな? 何かあるのか?」
「うーん、分からない。なんか安心するって言うか……」
美咲はそう言いながら、私を摩る。
美咲にはタイムスリップの記憶がある。
つまり、周りの人間達が自分に愛想を尽かし離れていった記憶を保持している。我との最後の約束も……。
美咲は社の前で何度も話しかけてくるが、我は答えない。いや、答えられない。
最後に偽りを告げた事は仕方がなかったが、美咲はまだ最後の約束を信じて通っている。
あれから五年の月日が経っているのに……。
我は神力を使用する前に、これからの人生を生きていく為に辛い記憶は消した方が良いと諭したが、美咲はそれを聞き入れなかった。
怠慢により失敗したのは自分だと言い、記憶を保持した状態で今を生きると決意したのだった。
今の仕事関係の人間や、交際相手に離れていかれた記憶は、美咲を時折苦しめているが、自身への戒めとして乗り越えようと懸命に生きている。
全く、あの泣き虫がここまでの変貌を遂げるとは。正直、喜びに震えている。
だから美咲が我に触れると、我は精一杯葉を揺らす。もう話す事は出来ない為、態度で示すしかないからだ。
我はあの日、神の掟を破りその罰から消滅した。
神社の神は本来、参拝者の願いを聞き僅かな神力を与え、願いを叶えやすくするのが務めだった。
当然ながら生物の生き死に、他人に負の影響を与える事、無謀な事を聞き入れるのは出来ず、真っ当な願いでも僅かな神力しか注げず、力になれぬ事など幾度とあった。
だから我は、未来を話す事で救われる人間がいるならと、何千年も前から人間に声をかけていた。
勿論、声をかけるのは未来が分かっても、命や他人への影響を与えない、成功が分かっている人間だけにしていた。
そして、未来が気になり今を大事に出来ない人間。美咲のような人間だった。
何千年としてきた行いの中で、何故、美咲だけ人生が変わってしまったのか考えた。
おそらく時代が変わってしまったからだろう。
数十年前までなら、美咲が言っていたような怠慢と呼ばれる事を繰り返せば、仕事場の上司や交際中の男が美咲を嗜めていただろう。
美咲は素直な性格。叱ってくれる人間が一人でも居たら、未来が変わる事なんてなかったと我は思う。
殺伐とした人間の世界、気薄な人間達の関係。
美咲が悪き心を持つ者に警戒している姿から、時代は変わっている事に気付くべきだった……。
だから我は掟を破り、消滅の道を選んだ。
一人の人間の人生を変え、その命を絶とうとしていた者も救えない存在など、崇められるべきではないからだ。
しかし、我はまだこの世に存在する。
それは掟を破り消滅した後。この世を司る天の神様が、我に二つの慈悲をかけて下さったからだ。
一つ、我は神力を全て失ったが、美咲と交際相手のみの心を読む事が出来る。
だから、美咲が今どんな思いで生きているのか分かっている。我が子だけでなく、この男を心から愛している事も……。
二つ、天の神様が我の消滅理由を知り、消えた魂をかき集めて下さり、この神社に魂を置いてくださった。我の魂は、この樹木の中に存在する。だから、美咲の寿命が尽きるまでこの場所で見守ると決めている。
人生はその人間の選択や生き様により変わっていく。だから儚くて美しいのだろう。
だから我は、美咲がどんな人生を生きていくのか楽しみにしている。
すると男の心から、やり慣れていないであろう企てが聞こえて来た。
── なるほど、美咲の三十歳の誕生日にか……。なかなか憎い奴だ。
一カ月後、美咲より嬉しい報告を聞く事が出来そうだ。
二つの命も、きっと戻ってくるであろう。
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