おくすり

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   僕は、幼稚園の頃から、潜在的に人気者になりたかったんだと思う。誰かから注目されるように動いていたのだと思う。  それは学校に行くようになってからも変わらなかった。  小学校の低学年のときは、僕はひたすら元気の良い子だった。冬でも半そで短パンで過ごせる男の子だった。学校の休憩時間は、あっという間に校庭に出て、一番最初に遊び、チャイムが鳴っても遊びを止めないくらい夢中に動いていた。    クラスで風邪が蔓延している時も、僕は割と平気でいた。そりゃ、僕だって人間なので、たまには調子が悪くなることもある。熱までは出てないが、鼻が出たり咳が出たりすることもある。しかし、薬を飲めば、あっという間に回復する。  母親からは、「あんたは、薬が効きやすい体質でいいわね」と言われていた。  もちろん、学校は無遅刻無欠席で、学校の先生からも、「加納くんは、いつも元気ね」と褒められていた。  僕は元気が取り柄で、みんなの人気を集めていた。校庭で遊んでいるときは、僕を中心にみんなが集まって来た。  しかし、元気が取り柄で人気者になれるのは、小学校の低学年までだった。  高学年になると男女の違いを段々意識するようになった。それにより羞恥心も増してくる。ただ元気でいるだけでは、アホで精神年齢も低く見られてしまう。それに僕は、元気は取り柄だけど、決して運動神経は良くなかった。体育で目立つほどの男の子ではなかったのだ。  クラスで人気のある男の子と言えば、やっぱり足が速くて、スポーツ万能の男の子だった。  僕のクラスでの居場所は、日陰へと変わっていった。  しかし、ある日のホームルーム。僕はあることを発見した。  スポーツが万能でもない男の子が、すごく注目を浴びていることに気が付いたのだ。  その子は、海下くん。体が弱く、学校もよく休んでいた。ちょうどその日も体調を崩して学校をお休みしていた。  「おい、誰か、海下にプリント用紙を持って行ってくれ」と先生は帰りのホームルームで言った。  プリント用紙は、数週間後にある参観日と三者面談の用紙だった。それを休んでいる海下くんに届けるということだ。  すると、女の子の一人が手を挙げた。その子の家は、海下くんの家の通り道にあるそうだ。  ホームルームが終わると、海下くんにプリントを渡す女の子の周りに、数人の女の子が集まっていた。僕は気になったので、すぐに帰らず、その集団をしばらく観察した。  観察して分かったのは、どうやら集まっている女の子たちは、海下くんに手紙を書いているみたいだった。  僕は手紙の内容が気になり、女の子の集団に近づいた。そして手紙を覗こうとした瞬間、一人の女の子に咎められた。  「ねぇ、加納、何、覗いてるのさ」  僕は咄嗟に誤魔化す。  「別に覗いてない」  「だったら、さっさと帰れ」    「お前に言われなくても帰るさ」。僕はそう言うと、ランドセルを担ぎ教室から出て行った。  手紙は読めなかったけど、きっと海下くんへのお見舞いメッセージだろう。  僕は海下くんの人気が羨ましく思った。  海下くんは大人しく、運動もあまり上手くない。読書ばかりしているし、男子の間ではあまり相手にされてない。それなのに、あれだけ女子に人気だったのは驚きだ。まあ、見た目が良いのは認めるけど。  僕は下校時、自分が誰かに心配されるところを想像した。なんだか嬉しい気持ちになった。  僕も学校を休めば、きっと誰かが家までお見舞いに来てくれる。そう思うと、ワクワクする。  しかし僕は健康優良児。学校を休みたくても、風邪もひかなければ、病気もしない。かと言って、うちの両親は仮病で学校を休むようなことは、絶対許してはくれない。  だから僕は、努力して風邪をひく訓練をした。  インターネットで調べると、体が冷えると免疫が下がり、風邪をひきやすいようだ。  僕はお風呂では、シャワーで水を浴びるようにした。あと風呂上りは、体をきちんと拭かず濡れたままで過ごし、服も着ないで裸のままでいた。  「あんた、早く服を着なさい」と、母親から何度も怒られた。何度も何度も怒られたが、僕は諦めなかった。絶対風邪をひいてやる。そして、クラスのみんなから心配される、立派な虚弱体質になるんだ。  僕の努力の甲斐があって、僕は風呂上りに頭が痛くなった。これは熱があるに違いない。僕は母親にアピールするように、「頭痛いんだけど」と伝えた。  「これは熱があるわね」と、母親は僕のおでこを触りながら言った。「あんた、いつまでも裸でいるからよ。まったく」と言いながら薬箱から風邪薬を取り出した。「これを飲んで早く寝なさい」  僕は母親から受け取った薬を飲んで、その日は寝た。  次の日の朝、僕の体調は絶好調だった。熱は下がり、いつもと一緒で元気いっぱいだった。  いままで、薬を飲んで鼻水や咳がすぐに治まったことはあったが、それは風邪の初期症状だからだと思っていた。しかし、まさか熱が出てもすぐに治るとは思わなかった。これでは僕の苦労が水の泡じゃないか。  僕は一応、母親に言ってみた。「頭が痛い」と。  母親は体温計を持ってきて、僕に熱を計らせた。もちろん平熱だった。  「大丈夫。熱は下がったみたいよ」と体温計を見ながら母親は言った。「学校に行ってみて、どうしてもしんどくなったら先生に言いなさい」と言い、母親は僕を学校に送り出した。  くそっ、計画失敗だ。  僕は仕方なしに学校に行った。  その日、僕は学校で、前日の夜に熱があったとは思えないほど快調に過ごした。っというか、熱が出ていたことすら忘れていた。    家に帰って、晩御飯のとき、母親が僕に訊いてきた。  「あんた、どうだったの?」  「何が?」  僕は母親の質問の意図が理解できなかった。  「あんた、熱が出てたんでしょ?学校は大変じゃなかったの?」    僕は母親の言葉で思い出した。  「ああ、もう・・・・・・」  僕は、もう大丈夫、っと答えそうになった。しかし瞬時のうちに言い留まった。大変だった、と思わせたほうが、もしかしたら明日休めるんじゃないかと考えが働いた。  「もうヤバかった。なんとか持ち堪えたよ」と僕は嘘を吐いた。  「だったら、食後にもう一回薬を飲んどきなさい」と母親は僕に風邪薬を渡した。  「ああ」  僕は薬を受け取った。  明日、休めば?っという優しい言葉を期待したのだが、やはりそう甘くない。そして僕は、今さら、やっぱり平気、と言って薬を返すこともできず、元気なのに薬を飲む羽目になってしまった。  しかし、その日の晩、おかしな出来事が起こったのだ。僕は、薬を飲んだ晩、熱を出したのだ。  普段、熱なんてあまり出ない僕なのに、今回は、うなされるほど熱が出たのだ。もちろん、その熱は次の日まで続き、僕は念願の学校を休むことになったのだ。  僕は熱が出て、学校を休むことにワクワクしていたのに、その日はそれどころではなかった。クラスの誰かが、お見舞いに来てくれるという期待なんて出来ないほどに。熱が出るのは、しんどいものだと痛感した。  しかし、その熱も、晩御飯の時には、すっかり下がっていた。  「良かったわね、熱が下がって」と母親が言った。なんだか今日の母親は優しかった。  「うん」  僕は気になっていることを母親に訊いた。  「ねぇ、誰か来なかった?」  「誰かって誰?」  「例えばクラスの友達とか」  「誰も来なかったわよ。誰か来る予定でも入れてたの?」  「そんなことないけど、ただ訊いてみただけ」  僕は考えた。たぶん、今日は配られるプリントがなかったのだろう。それに、海下くんは良く休むのに対して、僕は一回目。お見舞いをするまででもなかったのかもしれない。  僕は次の日は学校に行った。教室に行ったら、みんな僕の周りに集まるかもしれない。どうして休んだの?大丈夫?みんな僕に訊いてくるかもしれない。僕は登校中、胸を躍らせた。    教室に入ると、いつもと変わらない日常だった。みんなと挨拶はするけど、誰も僕が昨日休んだことを訊いてこない。それは、誰も僕が昨日休んだことすら知らないみたいだった。  僕は授業中、色々と考えた。そういえば僕も、誰かが一日休んでも、そう気にしない。一日休んだくらいでは、誰も心配もしないものなんだ。よし、僕も海下くんみたいに何日も休んでみよう。一回風邪をひけたんだから、これからも努力すれば風邪をひけるだろう。みんなに注目されるには努力が必要だ。  その日から僕は、また水のシャワーを浴び、そして裸で生活する。母親から「風邪ひくでしょ」と怒られても、僕は妥協しなかった。全ては人気者になるためだ。  しかし、何日も続けたが、僕は一向に風邪をひかなければ、熱も出なかった。  おかしい。なぜ風邪をひかないのだ?あの日は、どうして熱が出た?たまたまだったのか?  僕は毎日落ち込んだ。でも諦めたくなかった。海下くんに負けたくなかった。僕も立派な虚弱体質を目指すんだ。そしてみんなから心配される人気者に。  僕はそれからも試行錯誤を行った。僕は熱が出た時のことを、もう一度思い出す。  たしかあの日、僕は元気だったが風邪薬を飲んだ。そしてその晩から熱が出た。僕は一つの仮説を導き出した。僕の体は、熱がある時に風邪薬を飲むと回復し、元気な時に風邪薬を飲むと熱が出る、という仮説だ。  僕は試しにやってみることにした。  母親の目を盗んで、薬箱から風邪薬を一回分取り出した。そして晩御飯のあと、こっそりと僕は薬を飲んだ。僕の仮説は的中した。なんとその日の夜、僕は熱を出し、うなされた。  しかし、次の日も僕を見舞うクラスメイトは誰も来なかった。    僕は、辛いのは分かっているが、どうしてもやり遂げなくちゃならないと思い、三日連続で学校を休んだ。  晩御飯のときに薬を飲めば、夜中から熱が出て、次の日は日中うなされるが、夕方には平熱に戻る。平熱に戻ると、再び晩御飯の時に薬を飲み、熱を出す。それを三日連続でやってみたのだ。  三日間休んでみたが、誰も見舞いに来なかった。休み明けに学校に行っても、僕を心配し気遣う言葉もなかった。  その後、何回か熱を出して学校を休んだものの、結果は大して変わらなかった。一回だけ、僕の家のポストに、学校のプリントが入っていた。僕の家の近くのクラスメイトが持ってきてくれたものだという。  僕はプリントを持ってきてくれたクラスメイトに礼を言った。その子は、「先生に頼まれたから」と言って、素っ気ない言葉を返してきた。  僕はこのとき悟った。人気者になれるのは、結局、運動神経が良い奴か顔が良い奴だけなのだ。病弱だからと言って人気になれるわけでもないし、みんなが心配してくれるわけでもなかったのだと。  僕の小学生時代は、このまま冴えなく終わって行った。  中学に入り、僕に可能性が生まれた。人気者になれる可能性が。諦めかかった僕に希望の光が差し込んだ。  運動が出来なくても、顔が良くなくても、人気者になれる方法。それは不良だ。  反抗することが格好いいと思うお年頃。不良になればみんなから注目される。そして僕は、不良っぽく振舞える方法があるのだ。それは小学生のときに身に付けた、薬を飲んで熱を出す方法だ。  例えば、クラスメイトにこう言う。  「明日、面倒だから、学校サボるわ」  そして僕は薬を飲んで熱を出して、本当に学校を休む。  クラスメイトから見れば、サボったように見えるし、親には本当に熱が出ているので休ませてもらえる。  まさか、小学生のときに見つけた秘技が中学生でも使えるとは思わなかった。このように休むことを予告して休めば、不良っぽく見えるのだ。  僕は、いろんなときにこの秘技を使った。  始業式の日は、「校長の話なんて聞くのダルいから休むわ」。  マラソン大会の日も、「走るのダルいし」と言いて休んだ。  何でもない日も、「明日、休んじゃおっかなぁ」となんとなく言って、本当に休んだ。  クラスメイトから、「そんなにサボって、親とかは大丈夫なわけ?」と訊かれたこともある。  「親の言うことなんて、聞いてられっかよ」と僕は息巻いた。  そして、僕は不良として、みんなから注目されるような存在になった。僕の努力がやっと実になったのだ。    その他にも喜ばしいことがあった。それは薬を飲んで熱が出るのが、高熱から微熱に変わり、そして期間も一日から半日になった。  どういうことかというと、僕は平熱時に薬を飲むと熱が出るという体質だった。晩御飯の時に薬を飲むと、その日の晩から次の日の晩御飯の時まで高熱が出ていた。しかし最近では、その日の晩から次の日の昼まで微熱が出るほどで済んでいる。  どういうわけだか分からないが、僕は自分の体が成長し大きくなったから、その分、薬の効きが弱くなったのだろうと推測した。    休めるし、体も辛くない。そして不良に見られて、注目を浴びる。幸せの絶頂とは、このことだ。  しかし、幸せの絶頂があれば、転落もある。それは意外にも早かった。  中学入学で不良デビューをし、中学二年で不良を引退する羽目になった。薬を飲んでも、熱が出なくなったのだ。  体が成長したから薬の効き目が弱くなった、という僕の推測は間違っていた。ただ単に、薬を長く服用することによって、僕には薬の耐性ができてしまったのだ。  中学二年の途中から、僕は予告して休むことができなくなったのだ。いくら薬を飲んでも熱が出ないのだから、親も学校を休ませてはくれない。  もちろん、風邪薬もいろんな種類を試した。自分の貯めていたお年玉を使い切り、ドラックストアにある薬を試した。しかし熱が出なくなってしまったのだ。  こうして、僕の栄光は失われてしまった。  「俺も、だいぶ丸くなった」とか、「反抗している奴なんて、ただのガキだね」と、最初のころは強がって見せた。しかし、次第にメッキは剥がれていく。運動神経もなく、顔も良くなく、不良でもない。なんの変哲もない僕に、誰も注目しなくなる  それからの中学生活は、僕にとっては憂鬱な毎日だった。  だが、高校入試前に事件が起きた。    試験一週間前、僕は風邪をひいてしまった。薬も飲んでないのに風邪をひいたのだ。    僕は軽く考えていた。一週間もあれば治るだろうと。しかし、一向に良くならなかった。むしろ悪化していった。僕は何件も病院を回った。病院に行って検査し、薬を貰うが、薬が全然効かないのだ。僕の薬の耐性は、治すほうでも発揮されてしまったのだ。  僕は風邪が長引き肺炎になり、入院を余儀なくされた。もちろん僕は、どの高校にも試験を受けれず、中学留年となった。  一学年下と同級生となり、僕は思いもよらぬ形で、クラスメイトから注目される存在となったのだ。  ああ、こんなことなら、人気者になりたいって、欲張らなければ良かったのかなぁ。      
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