よくなる薬

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「先生はいいお医者さんだねぇ」  と、言われることが多い。 「ありがとうございます」  そのたびに、そんなことないですよ、と喉から出かかる言葉を飲み込み、のらりくらりと返事をする。 「それじゃあ、お薬出しておきますね。お大事に」  白い小瓶を薬袋に入れ、患者に渡す。曲がった腰をさらに曲げ、杖をつきながら、私を”いい医者だ”と言った患者は診察室を後にした。  私は褒められるほど立派な医者ではないのに。  ここで相手にする患者のほとんどは老人だ。  山間にある村に一軒しかない診療所には、具合の悪い人も、悪くない人も、悪い気がするだけの人も集まる。さながら公民館で談笑するかのごとく朝から居座り、日が暮れるまで帰らない。  医療の場としては似つかわしくない騒がしい待合室が、この診療所の日常であった。 「近頃腰の痛みが酷くてね」 「私は首と肩だわ」 「川本さんのご主人みたいに朝からランニング出来るくらい健康になりたいもんだねぇ」 「そういえば最近見かけないけれど」 「珍しく胃の調子が悪いって言っていたって、奥さんに聞いたわよ」 「うちの向かいの佐藤さんも具合が悪いって言っていたと思ったら、そのままぽっくり亡くなったから、心配ねぇ」 「ご主人なら一昨日、先生が往診に行っていたみたいよ」 「先生に診てもらったのなら大丈夫ね」 「それより、また都会から若い人が来たって聞いたのだけれど」 「あの小洒落た家だろう?」 「田舎暮らしに憧れたとか言って、よそ者が勝手に来て勝手に住みつかれて、いい迷惑だわ」 「今はセカンドライフって言うらしいぞ」 「なあに、また嫌がらせでもして追い出せばいいだけのことよ」 「前みたいにすんなりいくかしら」 「村で一丸となってやれば上手くいくはずよ。昔から守ってきた自然や景観があるのに、あんな洋風の家を建てて、我が物顔で移住するだなんて。村の秩序を脅かされて放ってはおけないもの」 「でも、市長は移住推進派らしいわよ」 「レジャー施設も建設しようとしているらしいって聞いたぞ。なにが地域の活性化だ。ただ自然を壊して目先の利益が欲しいだけじゃないか」 「だからあの男が市長になるのは反対だったのよ」 「まったくだ」 「ねぇ、噂をすれば...」  診療所の扉が開き、件の男が入って来たのを見て、そこにいた老人たちは黙り込んだ。 「おや、みなさんお揃いで」  先程までの騒がしさが嘘のように、全員がじっと男の動向を見つめる。 「何しに来た」  老人の一人が訝しげな表情のまま口を開いた。 「たまには村の方々にご挨拶して回るのも大事かなと思いましてね。しかし助かりました。こう一同に集まってくださっていたなら、村中を歩き回らなくて済む」  皮肉を込めた言い方でそう返す男に、老人たちの表情はますます険しくなった。 「なら用はもうないだろう。早く帰ってくれ」 「いえいえ、まだです。先生にもご挨拶をしないと。ところでみなさんこそ、そろそろ診療所が閉まる時間なのに、帰られなくてよろしいのですか?」  男の言葉に、老人たちは腰掛けていた待合室の椅子から渋々立ち上がり、眉間に皺をよせながら男を横ぎり帰って行った。
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